よもやま話:【鬼滅の刃】と人を動かす力(変革力)についての考察
こんにちは。ヒトラボジェイピーの村上です。
今日のテーマは、2020年12月現在、絶賛ヒット中の「鬼滅の刃(吾峠呼世晴氏 著)」です。
鬼滅の刃のキャラクターに焦点を当てて、●●のリーダーシップが素晴らしいとか、●●のコミュニケーション力が参考になるとか、そんな話は全く書きませんので、そういうモノが読みたい方のご期待には沿えないかもしれません。
この空前絶後の鬼滅の刃のヒットに際して、きっとこういう事を思った人がいるはずです。
いや、確かに面白いとは思うが、他にもっと面白い漫画やアニメがあるのになぜ?
要は意外だったという感想を持つ人が、結構おられるのではないかと。私は、広告代理店での経験がある訳でもなく、マーケティングが得意な訳でもありませんので、そういう方面で何か洞察がある訳ではありません。
ただ組織におけるリーダーシップの発揮、特に変革時のビジョンの提示や変革コミュニケーションに優れたリーダーの方々には多数接してきました。そこに今回の現象と何か共通点のようなものを感じたんですね。うすぼんやりと。
それでまあ考えているうちに、「ああなるほど」と一人得心がいきましたので、その辺の想いを共有してみたくてノートを書いています。
まず違和感を持った出来事について語る事からスタートしましょう。
アニメでも漫画でも何でも良いのですが、そういうものの良さを語る場というのがありますよね。それである程度何の制限もない自由な場だと、だいたいこういう流れになると思うんですよ。
・誰かが作品を肯定(あるいは否定)するコメントを投稿する
・上記に追随するフォロワーと、反発する反対者が現れる
・フォロワーと反対者の力バランスが一方に大きく偏ると、概ね議論は発生せず、収束する。そしてどちらか一方の意見がドミナント(支配的)になった場が出現する
・フォロワーと反対者の力バランスが拮抗、あるいは特定個人としてエネルギーレベルも論述レベルも高いプレイヤーがいた場合は、議論の応酬が続く
・上記が過熱すると、途中から作品本来の魅力やストーリーから離れ、人格攻撃がはじまり、場が荒れる
まあだいたいこんな感じではないでしょうか。
それでこの応酬を見ていて、気づいた事が一つありまして、それは何かと言えば、
「作品の魅力というのは、作品単体では成立しない」という暗黙の前提がどうも見事にすっ飛ばされているのではないか
という事なんです。いや勿論インターネット上の議論なんで、適当にストレス発散しているだけなんだよ!と言われれば身も蓋もないのですが、どうも上記前提が考慮に入ったコメントをしている人は少ないような気がするのです。
もう少し丁寧に説明するならば、作品、特に物語性・ストーリー性のあるものを人が魅力的に感じるというのは、作品単体のコンテンツの魅力に加え、見る側のパーソナルなストーリー・体験・現実・価値観といったものとの化学反応によって、魅力度が増すという事だと思うのですよ。
他の他人にとっては駄作・駄目シーンであっても、自分にとっての名作・名シーンというのがありますよね。それは皆さんの中にある何か大事なもの(何かではこの後説明がしにくいので、仮に【大事認識】 としましょう)、あるいは極めてあなたにとって親しい人・あるいは尊敬する人の【大事認識】と、作品の何かが反応しているからなんですね。なので究極的に言えば作品の絶対的優劣を議論する事自体がナンセンスなんではないかという事が言いたい訳です。
むしろ共有すべきは、少し理屈っぽく言えばこういうことだと思うのです。
・自分はこの作品に感銘を受けた
・なぜ感銘を受けたかと言えば、それは自分の【大事認識】に反応したからだ
・自分がなぜかような【大事認識】を持つに至ったかは、~だ(あるいはわからない)
・この作品のX部分は、特に私の【大事認識】を刺激してくれる
という事ではないかと。そうすると理屈的には、
極論してしまえば、全ての物語・創作物に駄作はない
という事になります。なぜならば、いつか誰かがその創作物に極めて個人的でありながら、重要な気づきや影響を受ける可能性はゼロと言えないからです。
少し話が長くなりましたが、それでも物語・創作の中には、売れるものと売れないもの、名作と呼ばれるものと、駄作と呼ばれるもの、が存在します。
これはどういう事かと言えば、ヒットした作品というのは、ヒットがヒットを生むというメカニズムが勿論あるとしても、まず最初のヒットを生む上では、個々人のパーソナルな【大事認識】でありながら、共通化されたもの、まさに現在社会で共通化・共有化されつつあるものを、刺激しうるものが含まれているという事です。
ということは、
・この物語は極めて強く私のパーソナルで独自で固有な【大事認識】を刺激してくれている気がする
・上記の感覚を実は、多くの人々が同時に持っている
という一見矛盾する感覚を引き起こすという奇妙な現象を起こせる作品が名作・ヒット作と言えるのかもしれません。
言い換えれば「器が大きい」作品ともいえます。
鬼滅の刃の話に戻ると、(作品自体が魅力的あることは勿論)、幅広い年代に対して、彼・彼女らが持つ固有の【大事認識】を刺激する引き出し・間口が多い本作が、タイミングよく投入されたという面は大きいのかもしれません。
例えば、60代以上の方、下手をすれば明治・大正という時代を実際に生きた人もいるかもしれません。その方たちはかつての時代の空気に間接的にでも触れることができ、さらに兄弟姉妹が多く大家族時代に青春を送った方の【大事認識】を刺激する要素は、ふんだんに鬼滅の刃の中に含まれている気がします。
35~45歳の所謂ジャンプ世代の男性。彼らはもしかしたら、聖闘士星矢のゴールド聖闘士、るろうに剣心の十本刀、ブリーチの護廷十三隊隊長もしくは十刃、キン肉マンの正義・悪魔超人軍団、ワンピースの王下七武会、ダイの大冒険の6大軍団長等々との邂逅を通じて形成された【大事認識】が、鬼滅の刃の9名の「柱」や「十二鬼月」との対比構造で、刺激されたかもしれません。
他にもコロナ渦という状況で、炎柱の煉獄氏が持つ「ほのお」という、まさに細菌を死滅させそうな印象が、共通して【大事認識】に影響を与えたかもしれません。
こういう時代だからこそ、功利的・打算的・効率的に生きるのではなく、ある種目標にまっすぐ向かう主人公 炭治郎のひたむきさや折れない心は、自らの襟を正すきっかけになったかもしれません。器用じゃないけど一つのことを突き詰めた善逸の活躍は、“誰がなんと言おうと自分はこの道を突き進むのだ”という、プロフェッショナルの卵を勇気づけたかもしれません。草食系男子にはない伊之助のワイルドさや猪突猛進で型破りな行動は、大自然への憧憬やイノベーションに頭を悩ます人々に何かヒントをくれたかもしれません。
そのような観点で、なぜヒットしたのか、どこに影響を受けたのか、という個々人の【大事認識】を聞いていけば、きっとその多様性と共に、この作品が持つ間口の広さがわかってくるのではないかと感じています。
さて、鬼滅の刃の話ばかりしていますが、このヒットの構造を考えているうちに、似たような状況があるなと思ったんですね。それは組織における変革です。
企業においても、変革が上手いリーダーというのは、この共通化された【大事認識】をうまく捉えて、ビジョンにしたり、コア・メッセージにしてコミュニケーションするのが上手いのです。
それは一言で言えば、組織の【大事認識】を掴む能力に長けているという事です。
逆に言えば、とても優秀なのに、変革に失敗するリーダーがいます。
この方々の変革プランというのは、理論的には立派なものが多いです。変革の進め方も素晴らしい。
でも何か足りない。そして大体失敗します。仮に成功しても、形状記憶合金のように組織は元に戻ってしまいます。組織メンバーが抱えている【大事認識】を全くわかっていないからです。
こういうリーダーの方をコーチングしている際に、最初に言われる言葉は大体こうです。
「なんで、こんなに完璧な変革プランなのに、こうするしかないのに、わかってくれないんだ。」
切り返しでこう問います。
「では、あなたはこの組織のメンバーが何を大事にしているか、そして何故そのような事を大事に思う認識に至ったか、具体的に語れますか?」
要はあなたの変革プランは、変革プラン単体として素晴らしいけど、それだけだと作品としては完成しない
事を重々わかってもらう必要があるんですね。
「そうか、私は独りよがりの作品を作っていたのか・・・」という事に気づいてもらう事が大事です。
この組織の【大事認識】を掴むには、ストックとして個々人が持っている【大事認識】を把握していく事は勿論、フローとして影響を与え続けてくる外部環境や社会の流れをよく知っておく必要があります。なぜならば、【大事認識】は、大きな外部からの力で変わることもあるからですね。
そういう意味では、コロナ前のノミュニケーションや職場での雑談というのは、リーダーの方が【大事認識】や【大事認識】の変化を肌感覚的に掴む上ではとても重要な機会だった訳ですね。
テレワークが中心になって、いまそういう場が失われつつありますけれど、リーダーの方は意図的にメンバーの方の【大事認識】を把握するための方法論なり、場なり、ツールなりを真剣に考える必要があると思いますね。そうしないと、変革倒れ、になりそうな組織が増えてしまいそうです(この点は色々と切り口・やり方がありますが、そちらについてはまた稿を改めて書いてみたいと思います)。
なおいわゆる革命レベルの変革をリードするには、時にはリーダーは、メンバーが抱える【大事認識】を大きく変える、あえて捨てさせる決断をさせる事も必要になってきます。そういう時にも【大事認識】という感覚を理解した上で、捨てさせるためには、それに代替する新たな【大事認識】の醸成のためのストーリーや、未来観が必要になってきます。偉大な変革リーダーというのは、まだ誰も見てきたことがない未来を、あたかも見てきたかのように語ることで、情景や景色の合わせを行い、ある種、船に乗る人を選別するような厳しさや覚悟を問う面もあるわけです。
そして、この選別要素は鬼滅の刃の鬼殺隊に入る【最終選別】試験にも物語として描かれていましたね(そういう意味でもやはり興味深い作品です)。
組織に変革を起こしたい、と思っている未来のリーダーの方は是非このような点を頭に留めておいてほしいなと思います。
以上、よもやま話ではありましたが、少しでも参考になれば幸いです。
文責: 村上 朋也