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#26 ちいさな本屋さんを わたしの心に育てる

久しぶりにちいさな本屋さんに行ってきた。
それで思い出した、
子どもの時に本屋さんになりたいと考えていたことを。

本に囲まれて毎日を過ごすことができるなんて、
なんて素敵なのだろう。

わたしの読書タイムライン

子どもの頃、本が大好きだった。
だけど、あまり子どもが読んで楽しくなるような本がない家庭だった。
とにかく、活字に飢えていた小学3年のわたしの愛読書は、
叔父が胃潰瘍になったと言って母が買ってきた「家庭の医学」。
国語辞典よりも分厚くて、読んでも読んでも終わらない。
読書が、どこまでも続けられる。
お医者さんとか看護婦さんになりたいとは
これっぽっちも思っていなかったのに、
とにかくいろいろな病名と、
その治療法や予後など読み進めていった。
とくに、
「応急処置」と「妊娠・出産」「小児の病気」のページを読むのが好きで、
背表紙がボロボロになるまで読み込んだ。

小学校高学年になると、学校の図書室に入り浸って本を読んでいた。
図書室から本を借りることはほとんどなかったのは、
子どもの頃、ちょっとものの扱いが雑になる自覚があったから。
本の汚損や返し忘れてしまうことが嫌だったからだ。
それに、ハードカバーが多くて持ち帰りも大変だったことも大きい。
よく読んだのは、学研の学習漫画。
特に歴史上の人物のやつがとても好きで、
棚の端から端まで読んだ。

中学生になって、図書室に文庫本が増え、
借りた本を家に持ち帰るのが容易になった。
さすがに、ものの扱いにも気を配れる様になった。
そのため、図書室で本を借りて読むことも増えた。
とりあえず、赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズ、
そしてショートショートやSF作品に手を出し始めた。

その頃、借りた本の貸出票をみるのがとても好きだった。
これまでどんな人が読んだのか、
それを知るのが楽しかった。
誰の名前も書かれていない貸出票の時も
自分が初めて借りる本なのだと、ちょっと嬉しくなった。
わたしが手に取る本と同じジャンルをこのむ人がいるようで
同じ人の名前と追いかけっこになることもあった。
相手が気づいていたかは、わからないけれど。

高校生の頃は、受験勉強から逃避するように、本を読んでいた。
筒井康隆を読み始めたのはこの頃だった。
文庫本の表紙を折り返したあたりに
これまで出版された作品名が並んでいる。
それを上から順に借りたり買ったり。
小学生の頃にヒットした映画「時をかける少女」の原作者が
筒井康隆だと知るのは何冊も作品を読んだ後だった。

受験生の時に、読みたい本を我慢して
大学生になったら読もうと思っていたのだが、
その時にはその時の本との出会いがあって、
何を読みたかったのかを忘れてしまっていた。
本は読みたい時が読みどきだということを
忘れないようにしようと思った。

現在、お年頃になったわたしの目は
小さな活字を裸眼では拾ってくれなくなった。
読みたい気持ちはあるけれど
日々の仕事や生活のことを優先させているうちに
なかなか読書が進まない。
たまに読むのは、仕事の本や資料がほとんど。
それはそれで有意義なのだけれど。
娯楽としての読書はなかなか進まず、
それなのに本屋さんに行くたびに本を買ってしまって
積読が進んでいくばかりだ。

本屋さんになれたなら

大学生になったら、本屋さんでアルバイトしたかった。
だけどわたし通った大学がある街には
街の本屋さんが数軒。
大学の授業のスケジュールを優先させると、
できるアルバイトは限られていた。

小さい頃、本屋さんになりたかったことを
いつしか忘れて、現在の職業について25年。
やりたくてやっている仕事で転職する気はさらさらない。
でも先日、久しぶりに小さな本屋さんにいって
本に囲まれた中で店員さんとお話しした。
とても穏やかないい時間を過ごすことができて
その時ふと、
本屋さんで働きたいと思っていた子ども時代を思い出した。

60歳定年だったら、
退職後にアルバイトかパートで本屋さん勤務なんていうことも
考えられたかもしれないけれど、
私たちの世代は定年が65歳。
その頃には本屋さんで働く体力が残っているだろうか。

もしも、宝くじでも当たったら、
自分の好きな本と使いやすい文房具を並べて
飲み物でも飲みながら、
ちょっとおしゃべりしたりすることのできる
ちいさな本屋さんを開きたい。
そんな妄想を、
とりあえず心の中の小人さんに育ててもらいながら
日々を過ごしていこう。
きっと日々の生活も足取りも、軽やかに鮮やかになるだろう。