砂漠の果てで虹を待つ

 2024年の集英社ノベル大賞に応募していました。
 結果は、四次選考通過、最終候補入りならずでした。後述もしますが、そこまで行けたのは完全にラッキーだった思います。

 四次選考通過が発表されてから七月中は、身を焼くような、そして、徐々に絶望が体を冷やしていくような日々でした。
 いつ、いわゆる〝受賞連絡〟が来るのか、私は受賞したことがないので知りません。だから、ただ素直に待っていました。一日一つずつ、諦めを積み上げながら。

 さすがに、八月に入ったら諦めがつきましたので、四次結果が出てから、七月までの約十日間のことです。

 四次通過作品は、私の数え間違いでなければ、十四作品。
 この中のいくつかの作品は、受賞する可能性がある。決して、低くない確率になった段階。

 砂漠で虹がかかるのを待つかのごとく、一滴の水もなく、ただジリジリと体を焼かれながら、一縷の望みをかけ続けました。

 *

 私は、公募歴が長くありません。
 出版社に出す、非公開公募は、2023年のポプラ社が最初です。つまり、始めて約一年。
 一年ごときでこんな弱音を吐いていてはいけないのですが、今回思い知ったのは、高次落ちには一次落ちとは別の苦しみがあるということです。

 一次落ちもショックですが、長期間に渡り、身を焼かれることはなくなり、次に進むことができます。

 もちろん、私もノベル大賞の選考期間、何もしていないわけではありません。2024年のポプラ社、小説現代に二ヶ月連続で出し、野性時代にも出す予定ですので三ヶ月連続の長編応募です。
 十月〆の女による女のためのR-18文学賞も一作書き、もう一作構想があります。できたら、松本清張賞も書きたいです。こちらも構想があります。
 note創作大賞にも、過去作を改稿して、三作出しています。

 それでも、頭の片隅に常にノベル大賞がある。これは、とても、とても、苦しいことでした。

 きっと虹は現れない。砂漠地帯で起こり得ない。
 でも、とても低い確率だけれど、虹がかかることもある。
 そのために、布をかぶって砂嵐をやりすごしながら、じっと空に祈り続ける。
 そんな選考期間でした。

 *

 私がプロになれるのかはわかりません。
 でも、こうしてもがき苦しむことは、プロになる過程で必要で、なんと過酷なのだろうと思います。

 今回私が出したのは、ずっとネット上に放置していた、長編処女作を少し改稿した程度のもの(今回まではWEB公開済作も応募可でした)。完全新作でもなく、思い入れも少ないものですし、ここまで来られたのは単なるビギナーズラックです。
 ただのラッキーでここまで来られたことを感謝するべきなのでしょう。
 でも、悔しさはあります。
 積み木で最後の一つを乗せようとしたときに、横から手を出されて全て崩された気分です。

 この公募は、終わりました。
 次はどうなるのでしょう。
 ポプラ、現代、note、野性時代、それから女のための文学賞。可能なら、松本清張賞。そして、来年のノベル大賞。

 書いて書いて。
 そして、次の砂漠に出て、じっと空を見上げるのです。

 なお、今回落選した作品は、後日、noteにて公開予定です。よろしければご一読ください。

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