「お金に困る」って最大の自分いじめな気がする
こんにちは、高塚アカネです。
筆者、ミニマリストになったと同時に、「超がつく浪費家」から卒業できたひとりだと思っております。
その浪費っぷりはすごかった(;'∀')。アドレスホッパーでして、暮らしその物にクレジットカード、外食でクレジットカード…。
ノーマネーデーってなに?(;'∀')<それ美味しいの?
湯水のごとく出て行くお金は、正直申し上げると「入ってくるお金と同額」。
クレジットカードなので、うっかりすれば借金になるのに、なぜか綱渡りで収入=支出に着地する、「首の皮一枚」ライフが、齢30半ばを過ぎても治らなかった…という、重症っぷりでした。
いつもお金を心配している時代
支出額を気にしていない割に、「おとく」とか、「セール」などにはとことん弱い脳をしていました。
その観点で行くと、借金=利息は、ぜったいに払いたくない。そういうのが「私には得」…という、なぞの「ケチ」っぷりが、なんとか借金生活には陥らなかった唯一に救いだったのかな…と思います(;'∀')。
ただ、借金はしたくないので、クレジットカードの引き落としが迫るたびに、「あれ?いくら引き落とされるんだっけ?」と口座を心配する日々。
その時代、家計簿をつけていなかったので、正直思い出すのですが「残るお金」ではなくて、「出て行くお金」を常に見続けておりました。(今では筆者は「マネーフォワードME」を活用しておりまして、「手元に残るお金」を見ております。)
残るお金は無視して、出て行くお金のほうに焦点を合わせておりますので、本気で「貯まる」という可能性は皆無だったと思います。本当、借金しなくてよかったよ…(;'∀')。
宵越しの金はもたない…というか、このくらいなら使っても大丈夫!…という謎の自信は、私のなけなしの自尊心を保つために必要な時代だった…とは思うところはあります。本当に自分に自信もないですし、地に足がつかない根無し草で、足元がぐらっぐらしていました。
将来がどうなるかわからない(…というか見えない)、という感覚は少しだけ、世紀末的だったような気がしますが、ミニマリスト化し、いろんな人格改善を図りました。
人格って変わるよ
ミニマリストになる過程の、その前段階で私は大病をすることになります。
病気って不思議なもんだな~…と思うのですが、私はいまの自分の病気に、不思議と「感謝しかありません(;'∀')」。
理由を上げるとキリがないのですが、
・体力があり過信していた若いころ⇒仕事はほどほど・収入もほどほどへ
・病気だけが理由ではないですが、おんな一人、生きていく決意
・人生がそこまで長くないことを自覚して、身辺整理
こういう経過を経ているんですが、この過程が、まるで悟りを開いたかのようで…!!!( ;∀;)
私は過去を思い出すのですが、ここまで、人生の見通しがパッと立ったことは、若いころにはありませんでした。
「こうなりたい」という条件付けをしたこともなかった気がします。
例えばです。
女に生まれておりますが、「結婚がしたい」という願望が、どこを探ってもない。ですがいまだに「結婚しなくちゃいけない」「子どもをもうけなければいけない」な風潮があることを見たくなく、お酒におぼれるようなガキンチョ…という感じもひしひししました(;'∀')。
今日も1日が終わったのだから、お酒でカンパイ。…という人生。…なんだろう、本当に、自分の中に何もなくて、むなしい(;'∀')。
そうしたちょっと崩壊した毎日から一転、今は…というと、本当に充実して、びっくりです。
収入の枚数(札です)を数えて、このお金は、例えば「下着の買い替えに使う」…とか、「タオルを買い替える」…とか。暮らしにかかるお金を把握して、それに沿ってお金を使い、ほどほどに働いて暮らす。
がむしゃらに頑張らなくても暮らせることがわかりますので、「あれ?私は昔、お金が足りないと思うから、頑張っていたんじゃないか?」…という、境地にもたどり着いた気持ちです。
人当たりもすごくきつかったですし、底意地が悪かった気もします。数年に1回写真を撮られる「免許証」を見れば見るほど、険がとれて、柔和な顔になったもんだ…(;'∀')…としみじみしてしまいます。
欲が深いのは危険だ
今の暮らしはすごくシステマチックでして、収入と支出がおよそ把握できているので、あとは時間が解決してくれる。…という暮らしに移行しました。
借金がないので、返済するものがない点で、余るお金を増やして、将来働かない時代に向けて、お金を送っていくだけ。
10年先はこうなる。20年先はこうなる。そして旅立つ。
そういう、「向こう岸に行く瞬間」すら楽しみな今です。西遊記みたいな人生だなーー!(;'∀')
三蔵法師の気分で、今日も暮らしていこうと思う所存です。
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