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「ニセモノ」、登場。
人はだれでも「本性」を隠して生きている。
どんなに笑顔が絶えない人も、人当たりが良くて皆に好かれている人気者でも、表の皮一枚はがせば「違う誰か」がそこにいる。
「誰か」は追い詰められたときや、優位な立場に立ったときにひょっこりと顔を出します。
わたしの中にも、「もう一人の自分」がいます。
その自分は、時間に追われているときや、大きなストレスを抱えこむとよく出てきます。
その人の名前は「他人のせいにしてしまう自分」です。
その人は表面上は他人に優しく接することができるのですが、心の中では話していることとはまるで違うことをつぶやいています。
「この人があんなこと言ったからこうなってしまった」
「あの人がああしていればこんなことにはならなかった」
心の声とは違うことを話している自分は嘘つきで、「今の自分ってニセモノだなぁ」なんて思ってしまいます。
心が穏やかであれば、相手の失敗や、他人の不愉快な行動や言動を見たり聞いたりしても、自分と相手を切り離して物事を見ることができます。
そしてそんな自分が「本当の自分」だと、そのときは信じているのです。
しかし、一旦「その人」が出てくると、信じていた「本当の自分」はどこかへ行ってしまい、心の中では黒い感情が渦巻いてしまいます。
そして信じていた「本当の自分」が帰ってきたとき、ひどい自己嫌悪になるのです。
そんな自分が嫌になり、いつでも心穏やかな「本当の自分」でいたいと強く思っています。
日々、様々な自己啓発を心に染みこませるようにしていますが、なかなか実感するには至っていません。
もともと自分の中にあるものは簡単には変えられない。それを変えることがいかに難しいことかを痛感しています。
とある事情から今から約一年後、わたしに人生最大の危機がやってきます。詳しくは書けませんが家庭に関わることです。
そのとき、「わたしはもう一人の自分を抑えられなくなるのではないか?」と怖くなります。
抑えられなくなった感情がもう一人の自分を呼び出し、大切な人との絆を壊してしまうのではないか?
そんなことを想像すると怖くて仕方ありません。
大きなストレスにさらされる中で自分の本性を隠し、「ニセモノの自分」を演じることができるのでしょうか?
おそらく無理でしょう。人の心はそんなに丈夫なものではありません。
わたしにできることは、そのときにかかるストレスが思っているよりも小さいことを祈るばかりです。
ですがもし、極限状態のなか、「ニセモノの自分」でいられたのならば、それはもう「ホンモノの自分」といっても良いのではないだろうか?
大きく渦巻く感情を抑えて、思いやりをもった発言と行動ができる自分。
それができた自分は、本性を隠した「ニセモノの自分」ではなく、本性を制して行動を選択する力を持った「ホンモノの自分」と言えるのではないだろうか?
それができたらもう「悟り」の域だ。