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【読書感想文】味つけはせんでええんです/土井善晴(料理をする事)

一応主婦をしている私は、家庭内において主たる料理者です。
正直3度の食事を考える(作らないとしても、ではどうするか考えなくてはいけない)のは面倒でないとは言えません。

以前読んだ『7つの習慣』という本に、「重要度と緊急度が高い仕事ばかりしていると人は疲弊する」と書いてあって、あーこれ主婦の事だわと思ったのです。
「お母さん今日疲れてるから、晩御飯は明日の朝でもいいかしら?」とはどうしたって言えません。日々食事に追われている気もする。

そんな主婦、はたまた全日本人に「料理をする事を絶対に手放してはいけない」と主張しているのが土井善晴さんだと思います。

この本に出て来た未来をもう少し具体的に考えてみました。
例えばアップルウォッチか何かから今日の体調や気分のデータがどこかに送られ、その日の私に最適な料理(しかも無添加)があとはチンするだけの状態で、コンビニで受け取れたり、自宅に届いたりする。その事実にあらがってまで私は料理が作れるのでしょうか?

しかも食事提供会社は「あなたが考えて適当に作ったご飯よりも、こちらの方がずっと健康に良い」と主張するでしょう。「いまさら料理をするなんて野蛮だ」とまで言うかもしれません。

それでも私は料理をするのでしょうか?

土井先生はそれでも料理をすべき、と主張します。
なぜならの詳しくは本を読んで頂きたいのですが、私が解釈したところでは

料理をする事で、感性を磨き、人間らしさを保つ事ができるから。

「食べる」だけから「料理する」になったところで人と動物の差ができたともいえます。また「食べる」だけに戻ったら、もはや人ではなくなってしまうかも。

そんなに大切な料理なのに、それをする事に疲弊してしまった主たる家庭料理者に、それでも料理する事を手放して欲しくないと思った土井先生が提案したのが一汁一菜(ご飯とお味噌汁のみ)です。そして「おいしい」とかも考えなくて良い、何だったら一食ぐらい食べなくても良い、と。

さすがに育ち盛りの子を一汁一菜で育てる勇気は私には無かったので、それまで一人のお昼は冷凍パスタとかに頼っていたのを、冷凍ご飯と具を入れて冷凍しておいたお味噌汁、に変更しました。
冷凍って事に変わりはないのですが、何だかすっきりしていくような気がします。
そういえば稲垣えみ子さんも『もうレシピ本はいらない-人生を救う最強の食卓』でこの一汁一菜が最高に美味しいと言っていましたっけ。

あと実は私基本レシピに頼ってご飯を作っています。何か作ろうと思うとすぐ検索してしまう。そこにも土井先生の喝が。

レシピどおりにつくるのは、昨日の自分に頼ること、それではなにも新しい自分が生まれない。それはクリエイションではない。新しい自分が見たいのだと、自由に料理するところに楽しみがあるのです。

最近、自分が本当に脳だけで生きているな、と思う事が多くて、もう少し感じる能力を上げたいなぁ、と思っていた所。料理って感じる能力アップにはうってつけだったのですね。

ところで土井先生は「料理は感性を磨く」と断言していらっしゃいますが、はたして本当にそうなのか?と思ってここ数日料理をしてみました。
たぶん料理研究家の方はぼーっとしていたり惰性で料理を作ったりという事がないのだと思います。凡人の私にはよくある。

感性を磨くって、とりあえず五感を働かせる事だと思うのですが、これが集中してないとできない。音や香りに注意して料理すると確かに完成度上がるのですが、気づくとぼーっとして手癖で料理をしている事が多い。

これは先日書いた「気(持ち)を付ける」だな、と思ったのです。
目の前の事を意識して行う。
でも本当にそうやって料理すると疲れるのですよねぇ~。
少しずつ慣れていきたいと思います。

以下本文にいくつか忘れたくない言葉があったので、それを羅列します。

人間の万能センサーである豊かな感性を失うと、痛みのような強い刺激を求めるようになるから。

料理は自然と繋がることだから。人間は自然物だから自然とつかがっていないと生きられない。

家事にある「喜び」と「努力」は一つのものです。

生きるための動機は(本来)暮らしの中にありました。競争社会は、仕事やスポーツや趣味を、暮らしと分けて強い喜びを生む「生きがい」にしたのです。

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