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ごまだんご

久しぶりに胡麻団子を食べた。それはもちもちしていて、ぷちぷちしていて、馴染みのある味だった。きっと、某大型スーパーで大量購入したものだろう、と舌が教えてくる。食べたくて食べたんじゃない。天ぷらうどんセットにしたら、ミニデザートとして付いてきた。

学生の頃は大学へ行くバス停の前にあるコンビニで、胡麻団子をよく買っていた。初めて食べたときは ”こんなにもおいしかったのか” と驚いた。ただの餅も好きだったし、胡麻も好き、餡子はふつうだった。胡麻団子の餡があんなにも、ごまごましているとは思っていなかったから、予想以上の胡麻さに驚愕したんだと思う。
あの、油を胡麻が吸いまくって、もはや胡麻の皮だになっているほどカリカリしているのも美味かった。綺麗な油のときは胡麻の色も白くて、汚れてきた油のときは胡麻が茶色く、別の食べ物の香りがすることもあった。それがよかった。バス停前のコンビニにあると、気持ちが昂った。3つ以上あることは滅多になく、あればあるだけ買って食べた。鞄に入れていると、袋の隙間からこぼれた胡麻が鞄の奥底に溜まった。鞄が油の匂いをさせることすら心地よく、洗おうとはしなかった。だから同級生は私の鞄を「臭い」と言った。この心地よさがわからないなんて、可哀想だと思った。もちろん、鞄に落ちた胡麻は一粒残らず拾って、食べた。

そんなに好きだったのに、次第に胡麻団子を見つけても買わなくなった。油がキツくなったからじゃない。なぜかわからないけど、とにかく私に必要ではなくなった。代わりのお気に入りが見つかったわけでもないのに、コンビニすら行かなくなった。あんなに好きだったのに、自分勝手だと思った。胡麻団子しか世界にいないほど、胡麻団子のことしか頭にないくらい、夢中に追いかけていた。そんなにも胡麻団子を思っていたし、胡麻団子も私に食べられるのを受け入れていたのに、私が必要じゃなくなったから、胡麻団子も私の視界に入らなくなった。

胡麻団子を追いかけなくなって、もはや忘れかけていたころ、うどんに小さな胡麻団子が付いてきた。久しぶりに食べるとやはりおいしかったが、あのときの感情や感動はもうなかった。いまは懐かしさや、この小さなサイズ感がありがたかった。大きな胡麻団子を1日に3つ食べていたことがあったな、と思い出した。
胡麻団子を忘れかけていた間に、いろいろなものを食べた。胡麻団子以上においしいものも、まずいものも、食べた。だから胡麻団子を最高にうまい、と感じることができなくなった。この程度じゃ感動できなくなったことが、悲しい。けれども、それは当たり前に日々を生活していたから起こったことで、しかたがないとも思った。胡麻団子、最高の味覚時代は懐かしくて暖かい記憶だけれど、そこに戻りたいとは思わない。あのときの胡麻団子に対する情熱と、その後の別れがあったから、いまは胡麻団子に夢中になることなく、楽しめている。

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