石の上にも3年、地獄にも3年

「継続は力なり」昔の人の言うことは大体、正しい。何かをやりたいと思う人が1000人いたなら、それを実行できる人はせいぜい100人、継続できる人は5人いればいい方だと、思う。みんな何かと理由をつけて、やらない。やってみても続かない。
けれども、継続した先に何があるんだ? なんとか大会で優勝するとか、何級を取得するとか、目標があれば継続できるかもしれない。達成したその先は? 平凡な日々の積み重ね、何を達成したところで、その先に待っているのは死なのに、どうしてがんばれるんだろう。ある意味ではいまの体たらくな人生を継続する能力はすでにあるのだから、自殺をしない大体の人は「継続は力なり」を体現できているのかもしれない。何が”力”になっているのかわからないけど、継続=力だとしたら、何かしらの力になっているんだろう。

継続できなさすぎて、転職中の面談で、最後に質問があるかを聞かれ、「どうして仕事を続けられるんですか」と、聞いてみたことがある。教育職だったので、「大人たちには嫌な思いをしているけれど、それでも続けられるのは子どもたちの成長を感じられるから」と答えてもらった。そんなもんかと思って、そこに就職してみた。いまは少しだけその人の気持ちがわかる気がする。まぁ、1年も続けていないので、わかる気になっているだけだと思う。
私が学生だったときも、大人たちが可愛がってくれた。それは今の私と同じように、将来への期待、成長を感じてくれていたからだろうな、と思う。自分にも子どもにも死ぬことだけが全員に約束された未来なのに、それでも自分より下の子に期待を抱くのは死んでなくなることよりも、生きている時間を紡いでいくことに思いを寄せているからで、それが愛情の形のひとつなんだろう。

どちらにせよ、どうせ死ぬのに、どんな選択をしても大して変わりないじゃないか。それなのに、街角にいた占い師はいつの間にかオンラインでも鑑定できるようになっているし、お悩み相談にスパチャする人も、その動画を閲覧する人も大勢いる。偉そうな私も、そんな動画の視聴者である。
「死ぬときに幸せだと思って死にたい」誰かが、そう言っていた。その言葉を飲み込むことができなかったけど、そう思う人はいっぱい、いるみたいで、否定すると白い目のビームがどこからともなく飛んでくる。

続けることが苦手な私でも、唯一バスケットボールだけは続けていた。小学校2年生の時分、たまたま両隣の席の友人がバスケットボールクラブに入っていて、体験会に誘われたのがきっかけだった。なんとなくで始めたバスケを、結局いまも続けている。
それでも、辞めようと思ったことは数えきれないほどある。練習がキツいからじゃない。練習してもうまくならない、チームメイトと勝利への熱量の差が埋まらない、試合で勝てない、うまくいかないことへの不満が、なんのためにバスケをしているんだろうと思わせた。それでもやめなかったのは、事実上は離婚状態で貧乏だった母がなんとか月謝を払ってくれていたから、バッシュやボール、ウエアを買ってくれていたから、試合を見にくる母が嬉しそうに応援してくれていたから・・・。
辞めてしまうのは簡単だけど、今までのお金を無駄にすることになるし、それは母への裏切りだと思った。半径30cmの小さな世界で生きているし、”先生”という生き物がこの世でいちばん嫌いだったし、友だちに弱い自分を見せたくないし、顔も見えないホットラインに電話する気にもなれなかったので、日頃の鬱々とした気持ちを、毎日毎日、紙に書いた。文章のときもあれば線だけのときも、絵のときもあった。それでなんとか気持ちを保っていた。
なんとか続けて小学校6年生のとき、県ベスト8、そのクラブチームができてからいちばんの結果を残せた。自分の持っている力だけでなく、何倍にもなったチームの力を感じて、チームメイトと監督とバスケが大好きだった。

嫌なときがあっても続ければ、最後には良い思いができるんだと思って、そのまま中学でもバスケを続けた。ミニバスをいっしょにやっていた主要メンバーは推薦で私立の学校へ行ったり、テニス部に入部したりした。唯一、1人だけバスケ部に入ったけれど、1年くらいで辞めてしまった。
残ったのは中学からバスケを始めた初心者だけだった。先輩には何人かミニバス経験者もいたけれど、みんな上を目指してはいなかった。中学校特有の先輩文化は根強くて、下手くそな先輩の使っている時間はシュートを打てなかった。制服のまま練習に参加する先輩のために準備・片付けをして、言うことを聞く自分に腹が立ったので、同学年を巻き込んで部活ストライキを起こした。そんな先輩が面を広げているのには耐えられなかった。
先輩たちは顧問の先生に注意されたが、先輩は気に食わなかったらしく、その後1人ずつ先輩に呼び出された。下手くそな先輩は15人もいたので、他勢に無勢だ。いじめじゃないかと思いながら、殺されることはないだろうと、むしろ殴ってくれと思った。「ナメんじゃねぇ」とか「馬鹿にすんな」とかなんとか言われた気がするけれど、今となっては特に覚えていない。
15人もいるとユニフォームを着れないので、「勝ちたいなら着させろ」と言って着せてもらった。顧問の先生の気持ちを考えると胃が痛い。

いままでの話はいかに自分が傲慢だったか、ということだが、その傲慢さにはさらに磨きがかかる。中学生までの勉学は小・中皆勤賞の人には屁みたいなもので、授業を聞いて素直にやることをやれば点数が取れた。そこで自惚れて、なろうと思えばいつでもアインシュタインになれると思った。
同級生が偏差値の高い高校に合格するためにがんばっている最中、良い学校へ行くことの大事さを理解できずにいた。
良い高校から良い大学へ、そこから大手の企業に就職して税金諸々を払って、社内恋愛か何かで結婚をして、そのうち子どもが産まれて、子育てのために仕事を辞めて、家事を手伝ってくれない夫に腹が立って、化粧もしなくなった私に愛想が尽きて不倫か風俗遊びをされて、もしくは離婚するときに共同財産で揉めて、気づけば新しいことに挑戦できない守るべきものと年齢になっていて・・・
そんな先の見える未来のどこが幸せで、なんでその道に進ませようとするのか、全くわからなかった。
いまとなれば、その通りに進んだ同級生が大手企業に就職してそれなりにお給料をもらって、大型連休で楽しそうに海外旅行しているSNSをを見かけるので、その道を進めた大人の気持ちがわかるようになった。

昼間に仕事をして夕方に帰ってきて、1日の終わりのビールがうまい、そんな生活が嫌いなわけじゃない。そんな家庭で育ってきて、それが正解かのように偉そうに指図されるのが、たまらなく嫌だった。
自分のためというより、いうことを聞きたくなくてだと思う。本当なら偏差値60くらいの学校へ行くべきところが、偏差値40満たない学校に進むことになる。それも、スポーツ推薦で。

嫌な思いを散々したのに、懲りずにスポーツ推薦で安易に高校を決めてしまった。しかも、少女漫画が大好きで、高校生になったら少女漫画の主人公みたいな恋ができると思っていたのに、何を血迷ったか、女子校に入学してしまった。担任や顧問の先生、姉などに散々止められたが、止められれば止められるほど進みたくなる性だろう。押し切って入学した。

勉強は中学校の復習をする程度なので、寝ている授業も多かった。その代わり、朝から晩まで部活をした。誰よりも早く体育館に到着し、モップがけをして、シュートやリバウンド練習をした。勝ちたかった。全国大会に出場したかった。
1年生のうちはとにかく走り、走り、走った。越せない先輩を越そうとして素直にがんばった。そのがんばりは認められていたし、練習すればするほど成長していくのも面白かった。
一方で、同じポジションの先輩がミスをするたびに「どうしてミスをしたのか」チームメイトから責められ、先生から殴られ、今にも自殺してしまいそうな暗い空気を纏っていた。可哀想だな、と本気で思っていたが、他人事だった。まさか翌年、自分にその役割が回ってくるとも知らずに。知っていたらとっくに逃げてたことだろう。
2年生になった。自分で点を獲り確実に勝利に貢献している感覚は私にエネルギーを与えたが、シュートを外したりリバウンドが取れなかったりするたびに責められることで、せっかく溜まったエネルギーはいつも怒りに変換された。どうしようもないことで人格を否定され、土下座させられて頭を踏まれ、ボールや鞄を投げられ、学校のクラスに戻ってもチームメイトから否定され続ける日々は、次第に私から感情を失わせていった。
「いやだ」「怖い」「うざい」怒りも恐怖も感じなくなったある日、「足が遅い」と怒られているときに何かが切れた。

”あ、私、この人たちに人生壊される” 

そこでそう思えてよかった、と思う。
ミニバスのときみたいに、今までがんばってきたからこそ、母への申し訳ない思いを強く感じたが、ここで逃げないと私は自ら死ぬ、死ななくても済んだように生きていく、と思った。
翌日、試合へ行くふりをして家出をした。ケータイは捨てた。いつまで経っても帰ってこないので、捜索願いが出された。
もう家に戻る気はなくて、長野の雪山で死のうと思って歩いていたとき、何にも侵されていない大自然を前にして、泣いた。1年近く失われていた感情が、一気に込み上げてきた。喜怒哀楽が入り混じって、何もかもわからない思いが一気に涙になって流れてきた。母を悲しませようが、私が元気に生きていることがいちばんだと思えた。私の人生は私のもの、他の誰にも邪魔できない。

冷静になって静岡に戻り、怖かった監督に初めて意見をした。「で?」の一文字で何事もなかったかのように振る舞う監督のことは心底、軽蔑した。

そこまで続けてきたからこそ感じたこと、学んだことがあるとは、わかっている。けれども。石の上に3年いたところで、石の上の世界が天国にあわるわけじゃない。その地獄に慣れてしまってはいけない。
続けるのも力が要る。だけど、覚悟を持って辞めることも、それ相応に勇気のある選択なんだと、言いたい。

#あの選択をしたから

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