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この日記をTwitterに載せない理由(2025年2月27日の日記)

生活

 いまの仕事が2月で終わりになって3月からは別の案件をすることになっているが、もうプロジェクト自体が終了間際でここでいくら頑張っても特に評価もなければ報酬も増えない状況で、それでもやり残したまま終わる不義理をしたらよくないなと思いつつ10時間くらい作業。このタイミングでタスクが大量に振られて胃が痛くなってくる。仕事の後、また別件で5時間くらいコードを書く。作業と風呂の合間にアニメを観る。この後も作業がある。

この日記をTwitterに載せない理由

 せっかく毎日日記を書いてるのになぜTwitterでシェアーしないのか問われたので、考えをまとめようと思った。

安全な場所ではなくなったから

 X/Twitterは強力なレコメンドのアルゴリズムやトレンドによって、何かを中傷することがマネタイズに繋がる環境が出来ている。憎悪煽動や誹謗中傷を専門にするインフルエンサーもいる。またその空気にあてられて冷笑や通り魔的な暴言を趣味にしているユーザも多数いる。数年単位で嫌がらせをしてくる人もいる。そのような下劣な人々に生活のことや日々考えたことを触られると想像するだけで、気持ちが悪くて仕方がない。今はもっぱら収入のため、アニメ関連情報の収集のために使っているが、自分の考えを述べて意見を交わすには安全ではない場所だと思った。

インターネットに自我を乗っ取られたくないから

 インターネットを収入源にするなら挑発的なことを書いてSNSでバズらせることも方法としては考えられるが、日記でそれをしたら人生や思考を話題のために切り売りしているようで自我を乗っ取られそうに感じる。バズらないSNSを選んで、夜中に近しい範囲の人だけに公開していれば、それでいいのではないかと思う。意見の交換もそっちのほうが安全かつ有意義に出来るし、今の規模感に満足している。

Twitter以外のSNSを支持しているから

 いくらX/Twitterがダメになっても、みんなソーシャルグラフや習慣を人質に取られて、fediverseやblueskyになかなか移行できない。自分は段階的に移行するためにクロスポストを使っているが、それだけでなくXに載せないコンテンツとして日記を投稿して、Xから離れる練習をしたいと思った。日記を見てくれる人を他のSNSに呼びたい気持ちもある。

きょうのカレー

チキンカレーと蒸し野菜(ココナツ風味)

きょう観たアニメの感想

アラフォー男の異世界通販 8話

 用心棒として出てきたニャメナはやっとまともな人かと思ったら酔って絡んでくるし、みんな子供がいるところで下品な性の話をしまくるし、尻を向けて尾を振る信じられない下品なカットが入るし、底が抜けていてすごい。ケンイチ、異世界人は安ワインでも喜ぶだろう、女はキスでもしとけば機嫌直すだろう、みたいな人間を舐めまくった態度で、異世界アニメなら一昔前のサラリーマン漫画みたいな".本物の男"を主人公にして良いんだ……と思った。

BanG Dream! Ave Mujica 9話

 ラストでにゃむが放った「キモ」に尽きるエピソードだった。誰もが本物になれないし、なることから逃げている。これがにゃむ自身もオーディションで足がすくんで思い知らされていて、自己言及でもあった。
 祥子との大事な場所だと思っていたAve Mujicaが逃避先でしかないと知った初華が見せる自分本位さと暴力性(この突き落とす妄想が、睦の主人格も突き落としたのか?)。かつて転びそうになった燈を助けた階段と同じロケーションという底意地の悪いカット。
 プロとしてでも音楽のためでも家から自立するためでもなく、睦の安寧のためだけにCRYCHICをやろうとする祥子。そこに真の幸福がないことは、本人もわかっているはずだ。しかも睦の人格が消えていること、モーティスが睦を演じていることを見抜けない。それにしたって睦にしてはやや不自然に流暢な言葉と都合のいい主張から疑う余地がありそうなものを、ここで疑わないのは祥子がいまだに睦を都合良いフィルター越しに見ているかのようで、なんて露悪的なんだと思う。
 何かに夢中になりたいという気持ちからAve Mujica再結成へと気が逸り、偽物でもいいからとモーティスをエアギターにする、自らのプライドであったはずの技術にも嘘を付く海鈴。一方でこの等身大の悩みが学生身分に相応の普通であって、事態を大きくして何かシリアスに錯覚することからの脱出の糸口であるようにも見える。
 本物の睦の演技を見て憎悪すら覚えたにゃむにはモーティスの大根役者ぶりが滑稽に見えただろうし、少なくとも楽奈はモーティスであることを見抜いたからこそ「おもしれー女の子」と評したはずだ。祥子はおそらく再結成を止めているであろう豊川家からも脱するどころか逆らおうとすらしておらず、傍目には持つ側の人間が遊びでやっていたかのような不信感、本人には諦観が漂っている。ここはまだ奈落の途中だ。

もめんたりー・リリィ 9話 感想

 葛藤する少しの時間を経て、仮に人間でなかったとしても、記憶をなくしていたとしても、れんげその人の人柄なのだかられんげなのだ、と妹のすずらんが認めるパート。前回のラストの、周囲の人間との関係が自己を規定する(それが人間でなかったとしても!)という主張が反復されている。これはゆりに対するそれの予行演習的でもある。
 久々に5人でわちゃわちゃやっている風呂のシーンでは口癖のセリフがものすごい密度で出てくる。これもキャラロールや役割を互いに演じあうことで自己を規定する確認作業のようでもある。思い返すと遺体を埋葬して死を物理的なものから概念的なものへと変えたり、割烹はするのに食事のパートを頑なに描かなかったり、不自然に斜めのアングルで自然な人間のいでたちというよりグラビア写真のようなサービスじみたショットを重ねたりと、物理的な肉体ではなく概念として・キャラクターとしての人間存在の描写に徹してきたような気がする。
 ワイルドハントは通信をしないらしい。ではなぜバロールは名前(それは存在を区別したり、コミュニケーションしたりするための符号である)を持っているのか?

悪役令嬢転生おじさん 8話

 ゲーム内とプレイしている現実パートという構造のおかげでどのシーンでもツッコミを入れてコメディを作れるようにしているのが作劇のうえで本当に便利で、漫才がないダレを作らないことに成功している。乗り移った体がもっていた元の人格への配慮、ゲーム内でもその世界の人は現実だからと尊重する態度を一貫していて本当に良い。



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