日記
ふと
暮らしをともにする人の日記を読んだ
ああ、文章を書きたいなと
ひさしぶりに思わされた
ことばにはひとを動かす力があると
よくいうけれど
ことばで切り取られた
その人のせかいがひとを動かすんだ
とぼくは思う
焼きたてのケーキを優しく切ったときの断面に
フルーツのかけらがつと見えたときのような
実家のかつて自分の住んでいた部屋の
引き出しの奥底に淡い手紙を見つけてしまったような
かすかな、それでいて芯に響く
そんなことばを誰かが紡ぎ
それを受けとったとき、ひとは、心は動く
そんなふうにぼくはおもう
.
人は何百万単位の刺激を常に受けながら
認知できるのはその数十、数百程度だという
その感覚器を、
あなたのことばは拡張してくれ
わたしが日々
刺激を受けながら認知できなかった世界を
思い出させてくれる
日々は認知されないたくさんの刺激が
ただただ流されていく
微細なそれは認知できたことも含めて
消えて流されていく
そんな日々が
だれかによって留められ、表され
それが新しい認知を、せかいをうんでいる
.
向かいのベッドで
寝返りをうっているあなたの
その衣ずれのかすかな音が
ひとを知り、ひとりを知る
「今日は帰りが遅いんだな」
「明日、朝会えたらこの話をしよう」
「でも忙しそうだったら、また夜にかな」
この話、はだいたい賞味期限があるもので
たいてい自分も次の機会には忘れてたりする
そんな自分の気持ちを
ひとりであることを
ひとりじゃないことを
空間のかすかな振動が教えてくれる
誰かと暮らすことは
一人でいるときよりもひとりを知ることだと
この暮らしのなかでわたしは知った
.
なんでもない夜に
ふらっとあなたと散歩するのが好きだった
あなたたちのせかいの切り取り方を知れるから
自分のせかいを、留めることができるから
暮らしをともにすることは
自然をともにすることであり
あたりまえの違いを認知しあうことでもある
だからこそ尊いし
だからこそむつかしい
それでいてこころは必要以上に動かされ
それは人生においてきっと回り道である
でもきっと
まっすぐ歩くよりも視界は広く
本来歩く道を景色として眺められる
立ち止まれるし、その道に戻ることもできる
そんな回り道を
ぼくはまだまだ歩き続けたいし
いろんなけもの道を
足跡のない砂浜を
あなたたちに届けていきたい
日々をともに記すあなたへ
この認知の感謝とともに