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続けるということ
その類の動画を見たからだろうか。
ここ数日。
おすすめ動画に、
・手帳の使い方
・デイリーログ(日記)の続け方
・手帳の続け方
など、手帳や日記にまつわる内容が、
目に飛び込んでくる。
パワーワードは、
「続ける」。
ここからは、
個人的な感想を
残しておきたい。
「手帳を使えない」
「手帳が続かない」
どうしても、
違和感がある(あった)。
よくよく動画を拝見すると、
手帳を持つことで所有欲を満たす、
って前提があることが理解できた。
なんとなく。
かくいうわたしも、そう。
トラベラーズノートやPLOTTERを所有すると、
どことなく欲求を満たされる。
持っているというだけで。
それは、それ。
ひとついえるのは、
「所有欲」から「手帳を続ける」は、
ウルトラCをも超える高難易度の技、
だなぁ。と。直感。
なぜなら。
「所有欲」に「味変」をしても、
「続ける」ことは難しい。
かもしれない。
つまり。
残酷なことをいうが、
手帳はあくまでツールであって、
目的ではない。
つまり、所有欲が優先する以上は、
続く兆しがないのでは。
って。
というか、続ける必要があるのか。
換言すると。
なんのために手帳を続けるのか、
っていうわたしにとっての本質をつく、
動画にお見受けすることができなかった。
(もしかしたら、あるのかもしれない)
しかし。
「いいの!
手帳に目的を考えるなんて、
固っ苦しいことは抜きにして!」
って思う方もいるのかもしれない。
であれば。
続けることは諦めた方がいいのだろうか。
お財布と一緒に手帳を持ち続けて、
手帳のエイジングを楽しむ。
それだけで、満足なような気がする。
補足しておく。
手帳の使い方に迷走されている方へのメッセージなど、
烏滸がましいことは考えていない。一切。
強いて言うなら、
わたし自身への自問である。
目的と手段をすり替えないように。
なぜ、花に水を注ぐのか
動画を見ながら、
ひとりで勝手に、
この言葉を連想していた。
目的は、
水を注ぐことではなく、
花が活き活きと育ち綺麗な花芽をつけること。
シンプル。
そう。
目的が、
水をあげることになってしまうと、
花は溺水の一路を辿り、
根腐りとい結末を迎えることは、
容易に想像がつく。
あやうい。
何をするにも目的があり、
目的がない行動は、
やめることすらできなくなる。
なぜなら、
手段が目的になっているから。
なんのために、やっているのか。
わたしは、
些細なことでも、
「なんのため」を大事にしている。
想起すると。
「手帳が続かない」のではなく、
「なんのために手帳をつかうのか」
を大事にしたい。わたしも。
いたって、シンプルだけど難しく大事なこと。
手帳に「目的」という意味を付けるという思考は。
わたしが、
本noteを、7ヶ月間1日も欠かさず、
続けられていることも、
目的があるからだ。
と、再認識。
以前、本noteのポップアップを目にした。
「継続は力」と。
どんなチカラが備わったのか。
まだまだ見つからない。
まだまだかかりそう。
自分さがしは、
続けることが大事らしい。
では。では。