古き良き
わたしは、
今より昔のものに「しっくり感」があり、愛用している。
たとえば、クルマ。
御年50歳、ミニクーパー。
わたしの、ちょっと先輩にあたる。
内装は、冷暖房がない。
夏は室内40℃超え、冬はドアノブが凍結しドアが開かない。
ミニは、暑さと寒さをモロに受けとめてしまう癖があり、
わたしは、過度なまでの季節感を楽しめる。
もはや、風物詩。
外装は、錆でボロボロ。
今の車とは違って、錆の集合体。
いたるところが穴だらけで、雨が降れば床がビショ濡れ。
今の車の方が、
乗り心地も最高で、
外気温をモロ受けすることなく、快適な運転ができるはず。
けど、ボロボロクルマを、手放せない。
たとえば、ボールペン。
毎日握るボールペンは、1950年代の生まれ。
ボディは、2箇所のクラック(ひび割れ)。
ノックは、ハンマートリガーという脆弱な機構。
カラーは、今のボールペンではお見受けしないボルドー。
今のボールペンの方が、
どう考えてもスタイリッシュで使い心地も最高なはず。
けど、古びたボールペンを、手放せない。
そこで、
わたしは、
なんで昔のものに惹かれ「しっくり感」を受けるのか。
考えてみる。
良いものは存続する、 という大前提
これはあくまで主観。
50年も機能が維持できている理由は、
機構がシンプルであり部品が最小限であるからかもしれない。
くわえて、製材の品質が良いともおもう。
また、その時代にいたコレクターなども相まってか、
保存状態が良いため、今なお存続するのも確か。
一生モノを持つ、 という安心感
品質が良いものを前提とし、
惹かれる本質は「ずっと保有したい」症候群がある。
これからも永く使える「安心感」が最大の理由かもしれない。
だから、だろうか。
たとえば、今の衣服市場に目を向ける。
こぞって大手量販店は、ローコストによるロープライスで成立。
お気に入りの服を安く買えるというメリットもありつつ、
来年は手に入らないという残念感を拭えない。
つまり、いつかはいなくなるという「不安感」。
自分だけ、 という特別感
「他者とは違う自分」に「特別感」に拘りをもつ傾向がある。
日本人が「限定品」に滅法弱いのにちょっと似ているかも。
(ちがうか)
正直なところ、
どこかで「もの珍しさ」に優越感をもっているかも。
あと、シンプルに現在の製品に感じるスタイリッシュさより、
ひと昔前の露骨なシルエットや色使いに飽きなさを感じる。
思いつきのまま想起しながら、文字に起こしてみた。
なので、
ビンテージやアンティーク品をこよなく愛する人にとっては、
物足りない内容かもしれない。
なので、
自身の「古き良きの定義」を充足するためにも、
ボロボロクルマや古びたボールペンと、
末永く付き合っていく。
では。では。
※冒頭のフォト
わたしのクルマ。ミニクーパー。
錆でフロントサイドに空いた穴を自分で修復。
レストア・修理してもらった方が賢明だとおもいつつも、
このまま。