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ロックな法人研修開催しました(^O^)/

夏の法人研修、開催しました!

1日かけて行う法人研修。午前は全体での共有事項、勤続10年以上の
スタッフの表彰🎉



7月からスタートした神奈川県主催ともいきアート展の紹介など♪

その後、Jump &カムカム!、スローバラード、ラブジェッツ 2箇所に別れて障害者虐待防止・権利擁護研修を行いました。

事例をあげての具体的な共有とそこから今後に活かすための意見交流、アイディアを出し合う時間となりました。

そして!

午後はいよいよ、精神科医・44万人が登録するYouTuberの益田裕介先生によるご講演(*^◯^*)


【なぜ虐待が起こるのか?精神科医が教える主観2.0を活かした福祉実践】

外部からのご参加席も満員御礼で開催しました。



先生のご専門から、
・なぜ虐待が起こるのか、脳の構造
・自分の気持ちを自分で把握する方法
・転移・投影・逆転移など心理学的な視点から自分を認知するために必要な知識
・臨床で実践されていること
・ご自身で実践している「マインドフルネス」について

などなど、盛りだくさんの内容でお話いただきました。
リョーハムさんも撮影に大忙しです!


質疑応答では次々と質問が出され、先生はひとつひとつの問いにていねいにご回答くださいました。

その後は益田先生と理事長かしわのトークセッション。お題目をくじ引きで決定!

その一部をご紹介します^^

■テーマ:根拠なき楽観VS根拠なき悲観

益田先生:悲観的…ぼくは楽観的なんですよね。防衛大は周りの人が優秀なのでなんとかしてくれるんじゃないかという学生生活を送ってたんですよね。悲観的な人って周りが見えていない人が多いですよね。

かしわ:私は楽観の塊みたいな人間なんですけれど、どちらにも根拠がないとしたら楽観の方がいいんじゃないかと。

益田先生:そうですね。その方が脳みその使い方でいいというデータが出てきているので。

かしわ:人は悲観の根拠を探しますよね。探してこんなに私は悲しいんだと訴えることが多いですよね。悲観である立場に安住するという精神状態ってあるんじゃないですかね。

益田先生:人って悲観的な物事に因果関係を勝手に作ってしまう、作りたがる。偶然でしかないことに理由を作りたがるんですよ。「深雪の丘」って僕はよく言うのですが、そこに一回跡がついてしまうと同じように考えがち。そこのラーメン屋へ最初に入ったとき、おいしくなかった場合、次もおいしくないと考えるというような。最初に入った情報を重要視する傾向がある。最初に悲観で入ってしまうと悲観的に考えがちなので、ポジティブに入った方がいいですね。

かしわ:お互い楽観的ってことだから、僕たち話していても同類だから「そうだよね」で終わっちゃうよね(笑)。

■承認欲求VS目立ちたがり

かしわ:承認欲求が強い方が今は多いですが、承認欲求っていうのはなんなんですかね?

益田先生:結構難しいんですよね。子どもの時だと、親からの愛を独占したい、ひな鳥が親からの餌を奪い合うように、兄弟間の争いなんです。それが思春期になると同族間のヒエラルキー、異性愛の奪い合い、愛を獲得したい競争になる。子育てになると、群れの中で優位な立場をとりたい、となる。それが承認欲求なのかなと思っています。

かしわ:目立ちたがりとは?

益田先生:承認欲求の中に目立てばいいという要素もあるので。単純に言うと目立っているとヒエラルキーの上をとれるということかなと。

かしわ:目立ちたがりに深いものはないと思うけれど、承認欲求には深いものがあるように思います。私の存在自体を認めてください、ということじゃないかと。集団の中で認められたいという思い。

益田先生:目立ちたがりは、楽しいからそこにいる、というような、牧歌的なものかもしれませんね。

かしわ:牧歌的!いい言葉ですね。牧歌的かぁ。

益田先生:承認欲求は内に向いちゃう、集団を巻き込みたいとなると、成熟に向かわないのであまりよくないかなと思いますけれどね。

かしわ:私が20歳のころはあまり耳にしなかった。承認欲求という言葉自体がなかったのかもしれません。ある時期からそれがすごく出てきた。昔よりはるかに個性の尊重が言われているのに。

益田先生:精神分析では、脱自己中心化、脱中心化、自己中心的なことを放棄していかなければいけないが、資本主義社会においては、自分のものをもつ、自分が楽しいことをする、それが尊重される。承認欲求という言葉が浸透することで物が売れる。資本主義社会にのっかっているのではないかと。

かしわ:「あなはたあなたらしく」「世界にひとつだけの花」「みんなちがってみんないい」そういうプレッシャーみたいなものがあるんじゃないか。そこらじゅうにある雑草じゃだめなんじゃないか、という圧力というものがあって、そういうものが自己承認欲求みたいなものに結びついているのでは。

益田先生:他者を巻き込んでいるんですよね。自己の中に。みんな、フロンティアみたいなことを目指してないんですよね。まだ誰も到達していないところを目指せばいい。それを追求していけばいいのだけれど、フロンティアの部分を今の若い人はわかっていないのでは。フロンティアがない、世の中は完成されていて、その席取り合戦と思っている。フロンティア意識がない。新しい世界を作っていく、その上での役割がぼくたちにはある。障害がある人には障害があることでやるべきことが必ずある。

ぼくは孫文化と呼んでいる。いい孫じゃなきゃいけない、という。そうじゃなくて、作っていかなければいけないもの。それが個性を伸ばすということだと思うのだけれど。

■言語のコミュニケーションVS芸術

益田先生:精神分析医という仕事柄、昔は言語的な介入がいいと思っていた。最近は言語的なものの限界を感じている、それは何かというとチャットGPTなんですよね。僕よりも言語を用いて世界をデザインすることができる。最初はちょっとおもしろいと思っていたんですけど、チャットGPTの登場で、言語をつかって心を表現することの不可能を感じて、鬱っぽくなった。その後に、人間ってなんだろうということを考え直した。空白、間、身体的な理解の仕方、そういうことに注目し始めた。芸術についても考えたりする。仏像、彫刻、音楽…音楽も言語と似ていて、ある限られた瞬間をスケッチしているだけなので、限界があって。空間があって、歌い手がいて、歌い手の歴史があって…そういうものがなければデッサンできない。どうやって立体的に映し出すのかと考えている。

かしわ:言葉でなしえない、伝えられないことをこそ芸術が伝えられるとよく言われるが、僕はそう思わない。芸術表現は芸術表現。言葉の代わりではない。言葉のコミュニケーションとは別の回路、波長で伝わっていくコミュニケーション。言葉で伝えられないから音楽、絵画があるとは考えない。人間が言語を持つ前から芸術表現はあったのだから。僕たちには両方ある。両方ともできる生き物なんだと思う。言語でコミュニケーションができないから、でなく、芸術でしか伝えられないものが確実に我々にはある。それは素晴らしいことなのではないかと思っているんですよね。

益田先生:言葉で伝える時代って減っていくと思います。YouTubeもそうだけど、映像で伝える時代。昔は人に伝えようとすると、活版印刷など、言語でしか伝えられなかった。今は動画が強い。そういう意味では芸術的なものが強くなってくる、言葉だけじゃなく音楽、表情、そういうものを使って伝える時代がくる。

かしわ:人間性をもう一度獲得していくということにおいても芸術というものが必要になってくると思っているんですよね。

益田先生:それをどういうふうに病気の治療に使うのかはまだまだ未発見、未開発なので、そういうことが今後人類に必要なことですよね。

最後はみんなでロックンロール!

トークセッション終了後は、恒例のみんなでロックンロール!今回は「リラックスNO.1」を演奏しました。

歌詞の一節を印字したポストカードを参加者全員にプレゼントさせていただきました♪

先生から教えていただいたことを、ごきげんな事業所づくり・今後の支援に活かしていきたいと思います!

益田先生、リョーハムさん、ご参加の皆様、誠にありがとうござました!


益田先生のYouTubeチャンネルはこちら




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