#101. ある雨の日の英語考
雨の日のことも好きになれたら、きっと毎日が楽しいだろう。
数年前、フィンランドの首都ヘルシンキの街を歩いていたとき、強めの雨が降っているのに、街の人たちがいっこうに傘をささないことに驚いた。
その日の雨は土砂降りで、ぼくはすぐにでも屋内に入りたくなったのだけれど、そこらにいた現地人たちは、とくべつ雨を気にしていない様子だった。
そのとき一緒に歩いていたイタリア人のロレンツォにワケを尋ねてみたが、「まあたぶんここは湿度があまり高くないし、濡れたとしてもすぐに乾くからなんじゃないかな」と、雨にあたりながら話してくれた。
たしかに、すぐに乾いてしまうなら、あまり雨を防ぐ必要はないかもしれない。それに彼らは、日本人のように髪を整髪料でセットしたりはしていないし、女性も厚化粧をしている人は見かけない …… だとしたら、雨からなにかを守る必要もないのか。
「雨の日に対するとらえ方も、きっと違っているんだろうなあ …… 」
駅でロレンツォに別れを告げて、ひとりでそんなことを考えていたら、ぼくの髪はすっかり乾いていた。
◇
きのう、関東に降った雨は「強かった」。
日本語では、あのような雨のことを「強い」と言って形容するが、それと違って英語では、同じような雨のことを heavy、すなわち「重い」という言葉で表現する。
「強い雨」は strong rain でも hard rain でもなく、heavy rain なのであり、ぼくらが窓越しに「(今日の雨)つよっ!」と思っているところを、英語話者は「おもっ!」という風に思っているわけだ(たぶん)。
では、今日のような「弱い雨」はどうだろうか。
一つには、当然 heavy の対義語である light を使った light rain(「軽い雨」)という言い方があり、またこれが最も一般的だ。
しかし、雨脚の弱い雨に対してはもう一つ、よく知れた言い方が存在する。
それは、gentle rain …… すなわち「優しい雨」という表現である。こちらはより詩的な表現だ。
同じ様子の雨でも、ぼくら日本人は「弱い」とか、もしくは「小雨」のように「小さい」という形容詞を使って、傘をさしながら「今日の雨は弱いな」とか「小雨だな」などと心の中でつぶやくわけだが、はたして、「今日の雨は優しいなあ …… 」と思ったことはあるだろうか。
ぼくは、この英語表現を知るまで小雨に対してそんな風に感じたことはなかった。
しかしいまでは、しとしと降る雨を窓から眺めているときに、あるいはポツポツという音を傘の中ひとり聞きながら、ふと「優しい」という言葉が頭に浮かぶことがある。
雨のとらえ方がまた一つ増えた。
◇
英語を勉強する意義として、「視野が拡がる」ということがよく言われる。
多くの人が思い浮かべるのは、世界中の人々と英語を使ってコミュニケーションし、さまざまな価値観に触れることで視野が拡がっていくというものだろう。
もちろんこれは 100% 正しい。英語がある程度できる人ならほとんどだれでも、このようなプロセスの中で自分の価値観が変わった経験はあるだろう。ぼくも英語ができるようになってから、いろんな人に、良くも悪くもモノの見方を揺さぶられてきた。
しかし、価値観の拡がりは、なにもこういったいわゆる「社交的な」方法でのみ達成されるわけではない。
ぼくが小雨に対して「優しい」というとらえ方を新しく得たように、英語を勉強していく上で必ず出遭う、こういったわずかな表現方法の違いだって、十分にぼくらの視野を拡げてくれる可能性を秘めているのだ。
発音、語彙、文法、表現 …… 英語と日本語はなにからなにまで違うことばかりではあるが、それが英語学習の難しいところであり、同時に楽しいところでもある。
もしも自分が、ドイツ語やフランス語のように英語と非常に似ている言語の母語話者だったなら、英語を勉強している中で、ことばの上での細かな違いに「へえ~!そっちではそんな言い方するんだ」と驚いたり、結果的に視野を拡げたりすることも、できなかったかもしれない。
習得は容易かもしれないけれども、そんなの味気ないではないか。
一つ一つの違いをいちいち面白がることができたなら、英語の勉強はきっと、もっと愉しくなるような気がしている。
◇
…… と、雨宿りのついでに書きはじめた文章だったが、こんなことを書いているうちに、ぼくの髪はすっかり乾いて …… いなかった。
日本の雨は、優しくないなあ。