明けない喪を生きる
なんで鬱なのかって、それは多分、喪に服し続けているからなのだ。八歳のあの日から、もしかしたらそれよりも前からずっと。
あの日に失ったのは人間ではない。人によっては「たかが犬」。法律上は所有物。死んでも公的には何の変化もない。日常生活に支障をきたすほど落ち込んだとしても、相手がよほどの動物好きでない限り、不思議そうな顔をされるか鼻で笑われる。軽く見られた死。
生まれる前から祖父母の家には犬や猫がいた。三歳になると自分の家にも犬がやってきた。兄弟のように、我が子のように、家族だった。
失っても周りには言えなかった。その悲しみを理解できる人はいなかった。あるいはいるとは思えなかった。ちょうど学校で「死」という漢字を習った頃で、でも書きたくないから漢字テストでわざと空白にして、そのせいで書き取りの宿題を出され、ノートに「死死死死死」と書き連ねる羽目になった。
新しく来た犬は一歳の誕生日も迎えずに死んだ。
自分の内側に溜め込んだ痛みは手当てもされないまま膿んで、傷を巻き込んだまま人格が形成された。空想の世界に逃げ込んで、主人公が亡骸を抱え続ける物語を作っては一人涙を流した。この癖はごく最近まで生活の重要な一角を占めていた。今だって完全になくなったとは言えない。
成長しても死んでいった犬たちを忘れはしなかった。次の犬は老いるまで生きた。祖父母の家にいた犬や猫、魚、烏骨鶏、祖父母自身も、今はもういない。思い出の染みついたあの家ももうない。時に後悔に沈み、罪悪感に悶え、会いたいと咽び、また時には忘却に追いやりながら、どうにか生き延びてきた。
心の片隅には愛したものたちとの別れが常にあった。乗り越えることはできなかった。乗り越えるとはどういうことか、それが可能なことなのかもわからなかった。子供が駄々をこねるみたいに、喪失を認めることを拒否していたのかもしれない。事実を捻じ曲げてでも、失っていないことにしたかった。狂ってしまいたかった。なのにどこまでも正気だった。
何度も見送って、置き去りにされた。過去に囚われていると言えるかもしれないが、未来に目を向けたところで、新たな喪失があり、新たな喪が始まるだけだ。喪が幾重にも重なって、重量を増していく。愛着のあるものたちが、あちら側に引っ越していく。長生きし過ぎた孤独な老人も、きっと似たような憂鬱を抱えていることだろう。違いは僕にはまだお迎えが来そうもないことと、現実を忘れ、時間に洗われて角が取れた優しい思い出の中に生きる救いもしばらくは訪れそうにないこと。
抗鬱剤を飲んだって、根本的には変わらない。喪は終わらない。失われたものへの思慕は消えない。もはや宗教でしか扱えない領域の問題だ。わかっていたが頭が合理主義過ぎて神も仏もそう簡単には信じられず、ならばと自分のためだけの思想体系を作ろうと試みたが疲れてしまった。今は不眠症の頭でぼんやりと生き延びている。
他にできることといえば、いずれ失われるものが、少しでも幸せに生き、少しでも安らかに逝けるように努力すること。どんなに願っても根本的に救うことは叶わない、燃え盛る炎にスプーンで水をかけ続けるような努力だとしても。
別れは苦しく、多くが旅立った後の世界は虚しい。けれど悲しみとは甘美なものだ。胸を引き裂くような愛を、いつまでも感じることができる。この悲しみを手放さないために、きっと生きている限り見えない喪に服し続ける。