五年刻みの旧新 ~四字熟語にて振り返る~
「キャリアの棚卸し」は、時々行うと
様々なあれこれが思い出せていいですよね!
私は今、四十代半ばです。
キリがいいところで「十歳から五年刻み」にて
簡単に振り返ってみたい、と思います。
本記事は『四字熟語縛り』で
それぞれ考えて、書いてみました。
◆10歳『自選実践』
じせんじっせん。
10歳までの記憶はあまりありません。
おそらく、家族からの言うことを
素直に聞いていたのか、
流されるまま生きていたのか…。
ただ、10歳の頃にですね、
「自分自身で選んで決めた」ことがあり、
それが鮮烈に、今でも記憶に残っている。
「少年野球チーム」に入ったんです。
これが後から考えれば
後の人生にかなり影響を及ぼした。
ターニングポイントの一つ、です。
それまでそんなに運動に興味も
無かった子どもが、なぜか、野球を始めた…。
そんなに上手くはなりませんでしたが
アウトドア的な経験・体験が広がって
文字通り、世界が広がった記憶があります。
◆15歳『高校進学』
私は、街の子どもではありません。
むしろ山の中の田んぼに囲まれて
育ったような土臭い子どもでした。
その「お山のいなかっぺ大将」が
街に出ていきます。
高校進学をきっかけとして。
それまでニクラスくらいの
同学年五十人程度の小規模な中学校。
それが同学年三百六十人程度の
大規模な組織に入る。約七倍。
正直、ビビりました。
カルチャーショック! 何、この数!?
まず、昇降口の上履き棚の多さに驚いた。
慣れるまで、だいぶかかりました。
◆20歳『教教驚居』
きょうきょうきょうきょ、と
リフレインで書いてみましたが。
大学に進学して、寮に入ったんですよ。
一年だけですけれども。
そこでの部屋が、まあ、狭かった。
壁は何だか汚いし、
トイレは共同(和式)だし…。
ですが、初めて実家を離れて
一人暮らしをしたこともあり、
かなり自由を満喫しました。
共同の台所で、下手な焼きそば作ったり。
ここで感じたのが「教教」ということです。
それまで「受動的」に学んできたことが
多かったのですが、ここで初めて
「教えることで教わる」「教わることで教える」
そんなアクティブラーニングを
身につけたような気がします。
◆25歳『入大学院』
新卒で三年勤めて、お金を貯めて、
大学院に入り直しました。
自虐的に言えば、いわゆる「入院」です。
ですが、その当時の私には
絶対に欠かせない、必要なことだった。
大学院では、好きな歴史(教育)を
思う存分、学んだんです。
図書室の地下に入り浸り、ひたすら考え、
ゼミで対話し、ひたすら文字にしていった。
「歴史と地理」「ヒスとジオ」という
私の土台を形作ったものは、
この時期に固められていった、と思います。
◆30歳『決地結知』
けっちけっち。
土地を決める、知を結ぶ。
私は20代まで、日本各地、
関東・中京・近畿・中国四国など
色んなところを流転していたんです。
東京・名古屋・大阪・福岡。
日本の大きな都市圏(の周辺)で
実際に生活をしてきました。
しかし、30歳をめどに
「本拠地を決める」ことにしました。
それが、今でも住んでいる、北関東。
これまでに固めた土台の上で、
どんなことができるか、色んなものに
「応用」をしていきました。
(知を結ぶと書くと、何となくカッコイイ)
30歳を過ぎて私は、
初めて「営業」の仕事に挑戦しました。
それまでは食わず嫌いで、やらなかった。
やってみると、意外に面白かった。
全く畑違いの業界にも、挑戦しました。
もっともこれは「惨敗」しましたが、
今思い返せば、自分の向き不向きを
痛感できて良かったと思います。
◆35歳『家族増加』
ぶらぶら無頼に生きてきましたけれども、
この頃に、家族が増えた。
人間は社会的動物である、とは言いますが、
他者がいて初めて自分というものが
より良くわかる、と思います。
その意味で、教えることで教わる、
教わることで教える、そういったことが
日々の生活でも潤沢にできることは
いいことだ、とも思うのです。
ですがやはりこの頃は、
公私ともにバタバタしていました。
忙しかった。記憶が飛んでいる部分も…。
(写真を見ると思い出せます)
◆40歳『発信発進』
はっしんはっしん。文字通りです。
私は「見る専」「読む専」で
「物言わぬSNSユーザー」だったんですが、
40歳頃のお正月にSNSで発信することを
始めてみました。
最初はTwitterから、次にnote。
そして、リンクトインを。
日々「文字化」「見せる化」することにより
刺激を与え、刺激を受け、
文字通り「教えることで教わる」
「教わることで教える」、これをいい感じで
積み重ねていけているように思います。
◆45歳『今朝旧新』
40代半ば、今、このあたり。
「温故知新」という既存の四字熟語を
使うまでもなく、
古いこと、過ぎ去ったこと、旧式なものを
自覚することによって、
新しいこと、これからのこと、新式なものも
取り入れやすくなっていくように思います。
「旧式と新式のはざま」。
今朝、イマココ、という気分です。
最後にまとめます。
本記事では、私のここまでのキャリアを
四字熟語縛りで八つ、五年刻みで
書いてみました。
漢詩風に書くと、以下の通りです。
韻を整理しきれていなくて申し訳ないですが…。
≪漢詩風に書くと≫
≪読み方は…≫
≪無理やり読み下し文で書くと、こう≫
さて、読者の皆様の
棚卸しはいかがでしょう?
休日を利用して、四字熟語、漢詩などで
自分の「来し方」をあらわしてみませんか?
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