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野球は不思議なスポーツと思いませんか?

「変化」するスポーツです。
誰か凄い人「だけ」が
打席に入るわけではない。
九人が、順番に打席に入っていく。
打順が回るという点では公平。
チームスポーツ。つながりが大事。

それでいて「固定」のスポーツでもある。
守備位置は、同時の兼任ができません。
ピッチャーとキャッチャーを
同時にすることは不可能。
チームスポーツ。つながりなのです。

九回、27のアウトをめぐって、
いかに変化して、いかに固定していくか…。
そこに様々なドラマが生まれる。

本記事はそんな野球の歴史
起源・誕生から、日本で野球と呼ばれるまで、
その変遷を書いてみたいと思います。

いわゆるスポーツとしての「球技」は、
中世ヨーロッパ、フランスにおける
「ラ・シュール」が起源と言われる。
12世紀の頃。日本では平安末期~鎌倉時代。

このラ・シュールは、
敵陣にある2本の杭の間に
ボールを通すゲーム、球技でした。
手足や棒を使う。

これがイギリスにわたっていく。

14世紀のイギリスでは「ストールボール」
呼ばれるゲームが生まれる。
これは「投げる」を楽しむものです。
一人が的に向かってボールを投げる。
一人は素手でボールを止めて的を守る。

16世紀には徐々にこれが変化して
「クリケット」が生まれます。
これは「打つ」を楽しむ。
投げられたボールを木の棒で打つ。

18世紀になると、クリケットの簡易版、
「ラウンダーズ」というゲームが生まれる。
打者がボールを打った後、
順に回る。1周すると1点。
まさに「ラウンド」を回る。
これが野球の原型、と言ってもいい。

◆12世紀フランス:ラ・シュール(球技の元祖)
◆14世紀イギリス:ストールボールで「投げる」
◆16世紀イギリス:クリケットで「打つ」
◆18世紀イギリス:ラウンダーズで「塁を回る」

このラウンダーズが、大西洋を越えて
イギリスから独立した
アメリカ合衆国に渡っていくんですね。

王様がいない民主主義の国。
みんなで話し合うことが必要。
「タウン・ミーティング」が
そこかしこで開かれることになります。
でも、話し合いだけじゃ面白くない。
レクリエーションとして、
ラウンダーズの試合が行われるんです。
そのため「タウン・ボール」とも呼ばれた。

…ただ、タウン、街によって
ルールや人数はバラバラでした。
「おらが街のタウン・ボール!」のルールは
街により千差万別だった。

さて、そんな1845年、
アレクサンダー・カートライトという
男が現れる。野球史における重要人物!

ニューヨーク・マンハッタンで
ボランティア消防団を創設した男です。
彼は消防団員の結束を強めつつ、
彼らの運動不足を解消するには
どうすればいいのかを考えた。

「そうだ、屋外でスポーツをしよう」

ニューヨーク・ニッカーボッカーズという
チームを組織、マレー・ヒルという場所で
タウン・ボールをするようになった。

でも、それぞれの街で
知っているルールが違っていたのでは、
ルールを確認するところから
始めなければならない。…面倒くさい。

そこでカートライトは、
「共通ルール」を作ることにした。

◆人数は攻撃と守備、それぞれ9人
◆一方が攻撃する時、一方は守備につく
◆フィールドはひし形、ベースを置く
◆3つのアウトで攻守交替
◆一塁または三塁の外はファール
◆21点先取したほうが勝ち

…若干違いますが、いわゆる野球の元ですね。
「ベースボール」と呼んだ。

団員たちは「そんなん、面白いか?」と
半信半疑、ばかにして笑っていましたが、
やってみると、意外にこれが面白い!
カートライト、にやり。

1846年6月19日。

初めてこの共通ルールで試合が行われます。
6月19日は「ベースボール記念日」。
『このルール、君がgood!と言ったから、
6月19日は野球記念日』
ですね。
(なおカートライトのニッカーボッカーズは
1対23でボロ負けしました)

ただ、21点も取るのはあまりにも
時間がかかり過ぎるぞ…ということで
1857年には「9回終了時に
得点が多かったチームの勝ち」に変化します。
その後も徐々にルールが整えられ、現在の
ベースボール(野球)と同じになっていく…。
(例:最初の頃はノーバウンドだけでなく、
ワンバウンドでの捕球もアウトでした)

さて、この頃、アメリカは大変な時代です。
1861年からの「南北戦争」!
戦争が終わり、南北が統一されると、
ニューヨークなど北部中心に行われていた
ベースボールが南部にも広まっていく…。

このわずか約10年後頃なんです。
ベースボールが日本に来たのは!

1871年「廃藩置県」の頃、
明治維新後に来日した
ホーレス・ウィルソンという男が、
現在の東大でベースボールを紹介!
※1872年あるいは1873年頃

この「新しい面白いスポーツ」は
『打球おにごっこ』という名前で
全国的に広まっていきます。
(…何、この名前?)

まあ、確かにおにごっこ要素はありますが
あんまりと言えばあんまりな名前ですね。
…これが「野球」となったのは、
1894年のことだ、と言われています。

第一高等中学校(後の東大教養学部)で
ベースボールをしていた中馬庚
ちゅうま かなえ(かのえ)です。
彼が、名付け親だとされている。

彼はベースボール部の部史を書くにあたり、
どう日本語に訳すかを考える。
『打球おにごっこ部』はちょっと。
Ball in the field…か。
フィールド上で行う球技?
庭で行うテニスは「庭球」だ。
では野で行うベースボールは「野球」!
1894年、部史で「野球」と訳して発表する。

なお、有名な俳人である正岡子規は、
これより前の1890年、中馬よりも先に
自分の幼名「のぼる」にちなんで
「のぼーる」つまり野球、という
雅号を使っています。しかし、
これは「自分の雅号」に過ぎない。

「ベースボール=野球」と翻訳したのは、
あくまで中馬なのです。

2002年、野球殿堂入りしています。

最後にまとめます。

本記事では、日本で「野球」が
生まれるまでの歴史を見てみました。

まさに変化と固定の歴史でもある。
面白いルールは取り入れる。
興をそぐルールはガンガン変えていく。

現在でもタイブレークやピッチクロックなど、
昔は無かったルールが試行錯誤されています。
…でも、1845年にカートライトが決めた
基本路線、統一路線は変えていない。
一塁から回って二塁、三塁、本塁。
いきなり三塁に向かっては走れない。
ラウンドするんです。ベースは一周。

太平洋を西に渡って日本にやってきた
ベースボールは、こうして
「おにごっこ」から「野球」に変化、
日本はWBCで優勝もしている。
逆に東へ海を渡った大谷翔平選手は
夢のホームラン王まで取っています。
世界をぐるりと一周…。歴史は巡ります。

読者の皆様はいかがでしょう?
あなたの「野球史」は?

※現代の野球のルールの中でも
かなり難しいトピック、
『ルール上の盲点の1点』については
こちらの記事もどうぞ↓

※東京ドームには
「野球殿堂博物館」もありますのでぜひ↓

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