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リックさんのアップルシード ~ネット社会の種~

人間とコンピュータの共生
直訳すれば『Man-Computer Symbiosis』

「現在における大事なテーマですよね!
AI(人工知能)が発展して、
人間にできること、できないこと、
コンピュータにできること、できないこと、
相互を見定めることが大切だ!」

…そう思いましたか?

確かにこれは「現在における」テーマ。
しかしこのテーマについて
何と「1960年」に言っていた人がいます。
2024年から60年以上も前のことです。

「…えっと、予言者か何か、ですか?」

いえ、とある一人の科学者です。
その男の名はリックライダー
ジョゼフ・カール・ロブネット・
リックライダーという人。

本記事では敬愛を込めて
「リックさん」と書きましょう。
本記事は、彼の生涯をかいつまんで
アップルパイのように焼き上げた物語です。

リックさんは、1915年に生まれました。
日本で言えば大正4年。
芥川龍之介が『羅生門』を書いた頃です。

アメリカ合衆国のセントルイス生まれ。
父は牧師で、一人っ子でした。
工学が大好きな子どもで、
模型飛行機や自動車いじりで遊んでいた。
セントルイス・ワシントン大学に進学。
1942年にはロチェスター大学で
「音響心理学」の博士号を取得します。

「…何ですか? 音響心理学って」

聴覚心理学とも呼ばれる学問分野で、
音が心理に与える影響などを研究します。
胎教でモーツァルトを聴かせるとか、
騒音が心理に与える影響とか、
対人兵器としての音響兵器とか…。

1942年夏、第二次世界大戦の真っただ中、
彼はハーバード大学の音響心理学研究所で
働くようになりました。
ここで、パイロットの心理を和らげて、
助けるような研究を行った。

戦闘機に乗るパイロットは、
もの凄い速さで移動する関係上、
常に「騒音」に悩まされていました。
耳をつんざく轟音の中で、彼らは
「交信」をしなければいけない…。
もう、へっとへと。

そこで、リックさんは「話し言葉」を
人が理解する過程の研究を行います。
その中で「子音」を強調すれば
騒音の中でも伝わりやすいことを発見。
変換機が開発されていき、
パイロットへの情報伝達が改善されました。
交信がしやすくなった。
パイロット、感涙…!

1950年、マサチューセッツ工科大学の
准教授になりました。
工学部の学生向けの心理学プログラムを
つくったりします。

「工学好きだけど人間研究もできる…。
理系と文系とをうまく橋渡しして、
融合させるような人
なんですね!」

まさにその通り!
工学好きは、人間嫌いが多くなりがち。
心理学好きは、機械音痴が多くなりがち。
しかしリックさんは違った。
「両方」のエキスパート、専門家なのです。

…そんな彼が1960年に
『Man-Computer Symbiosis』という
論文を書いたのは、いわば
「歴史の必然」かもしれません。

人間とコンピュータの共生!

…これに先立つ1951年、彼は
「ライトペン」の開発を行っていました。
これはレーダーを操作する
オペレーターを助ける開発です。

レーダーは電波で関知した情報を
ディスプレイに映し出します。
オペレーターは、その位置を認識して、
コンピュータに入力する必要があった。

機械と人間とのあいだの業務…。

リックさんは、ライトペンを開発して、
「ボタンを押すだけ」で簡単に
入力できるようにしてあげた。

オペレーター、感涙…!
リックさんありがとう状態です。

そんな履歴を持つ彼ですから、
機械と人間との「橋渡し」を考えるのは
まさに十八番、真骨頂とも言える。

当時、最もホットな機械は、
「コンピュータ」でした。
しかし、その当時のコンピュータは
「ただの凄い計算機」という感じです。

リックさんは考えます。

…自分は研究所で働いている。
ここには知的労働をする人がたくさんいる。
では彼らはどのように「時間」
使っているのだろうか?

自分自身の行動や思考を考えてみました。
その結果、自分の思考時間の85%が
「思考するための準備」に
取られている
ことがわかりました。
つまり、必要な情報を見つけたり、
どこにあるのか探したり、
そういう「前段階」に時間がかかっていた。

◆人間は問題を明確に整理する
◆プログラムを組み立てる
◆ここまでに2日かかる
◆その翌日にコンピュータが
「数分」で処理した結果を
6メートルの長さの紙で受け取る…

「…意味ないんじゃない?」

情報をパッと見つけられれば、
人間は「思考」に時間を使えるのに!
そしてたくさんの情報を探すのは
コンピュータのほうが得意なのでは?
『共生』すべきでは?

そう考えたリックさんは
「タイムシェアリング」という考え方を
探究していきます。

この当時、コンピュータは高価で
おいそれと使えるものではありません。
しかし、もし多くのユーザーが
「時間単位でコンピュータを分け合う
ことができれば?
「情報を集めたりする思考の準備」
にかかる85%を短縮できるのでは?

…高度な対話型のコンピュータと
常にネットワークでつながっていれば、
人間とコンピュータの双方の
長所を活用できる?


…情報検索の機能を高めて
図書館のようなシンキング・センターを作り、
通信回線で相互に接続すれば…?

ユーザーは有料の回線サービスで
センターを利用する。
巨大なメモリと複雑なプログラムを
一人で抱え込むのではなく
みんなで一緒にリアルタイムに
コストを分かち合う…


そうです。これは現在の
「インターネット(ワーク)」の考え。
リックさんは1960年の段階で、すでに
こんなことを論文で発表していた。

…当時のアメリカはソ連と仲が悪い。
1962年には「キューバ危機」も起こった。
何とかして情報網を強化しなければ!

『ARPANET(アーパネット)』という
ネットワークが整備されます。
Advanced Research Projects
Agency NETwork。
「高等研究計画局ネットワーク」です。

1962年10月、彼はこの部門の部長に就任。
1963年には
「銀河間コンピュータ・ネットワーク」
というメモを各メンバーに送ります。
彼の指導で、多くのプロジェクトが動き出す!
それを見届けると、1964年6月、
パッと退職していきました。

在職期間、わずかに1年と約半分…。

しかしこの時期、確実に後の
「ネット社会」「情報化社会」への
門が開かれたのです。

最後にまとめます。

本記事では「リックさん」こと
リックライダーの事績をまとめました。

彼は「コンピュータの
ジョニー・アップルシード」

とも呼ばれています。
『リンゴの種をまく人』という意味。

1990年、いよいよインターネットが
世界に普及していく年に、彼は息を引き取る。

彼は時代に先んじて種をまいた。

…私は今、その果実を美味しく活用し、
こうして「投稿」をしているのでした。

※人と人とのネットワーク、
交流や紐帯について考えた
グラノヴェッターさんの記事はこちら↓
『弱い紐帯の強み』

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