極東のゴールドラッシュ ~幕末日本の金流出~
船で往復して両替をするだけで儲かる?
合法的に?
そんな美味しい儲け話があれば、
やってみようとする者が出てきます。
そんなあり得ない「濡れ手に粟」が、
幕末の日本の一期間で起きました。
海外の商人たちは日本に殺到、
両替しまくってガッポガッポ…。
あたかも「ゴールドラッシュ」です。
本記事では、なぜそのような
ことが起きたのかを書いてみます。
黒船の「ペリー」の後に
アメリカ合衆国からやってきたのは、
総領事「ハリス」という男。
1804年~1878年。
ニューヨークの貧しい家に生まれた彼は、
図書館などに通って苦学力行、
1846年にはニューヨーク市の教育局長に
就任しました。しかし二年後に辞職。
商人に転職、貿易業で一山当てようとします。
1853年に日本に向かうペリー艦隊に
同乗しようとしますが、
民間人だったため、拒否される。
それならばと政界に働きかけ、1855年に
大統領から初代駐日領事に任命されます。
1858年、日米修好通商条約締結!
貿易開始。その際に問題になったのは、
「為替レート」の問題でした。
アメリカ側はハリス。
日本側は「水野忠徳(ただのり)」という男が
レートの交渉に当たります。
当時の日本の通貨は「両」「分」「朱」の貨幣。
1両金貨、1分銀貨などを使用していました。
ハリスの前のペリーと話して合意していたのは、
「1両=4ドル」のレートです。
日本では1両=四分だから「1ドル=1分」。
これが日本側(水野側)の主張。
ところが、アメリカが持ってくる
メキシコドル貨幣は、1分の銀貨より、
三倍も重かった。ゆえにハリスは、
「1ドル=3分」の線を主張。
対して水野は、1分の銀は政府(幕府)が
刻印を打って認めている銀貨である、
だから三倍の価値が認められているのだ!
と主張して譲りません。
ハリスには、この理屈が理解できない。
政府(幕府)が認めているから?
日本国内のことなんて知らないよ!
とつっぱねる。
同じく貿易をしようとしていた
イギリス公使のオールコックという男にも、
この考えは理解できませんでした。
…もし今の世の中ならば、
政府が「〇〇円」と認めれば
通貨として流通しますよね?
現に、ただの紙を材料として作ったお札が
「一万円」などとして流通できている。
通用手形としての補助通貨という考え方。
ただ当時は、アメリカもイギリスも
そんなことはしていません。
彼らの目には、水野はなんだかんだと
屁理屈をこねて自国に有利に
しようとしているだけと思われる。
ハリスもオールコックも強気に突っぱねる。
結果、1859年、
上司の幕閣のほうが折れてしまって、
「銀5グラムと金1グラムを交換できる」
というレートが決まってしまった。
幕閣も全員がしっかり
理解しているわけじゃない。
開港した横浜で両替ができることになった。
…ところが、ですね。
国際的なその頃の相場は違った。
「銀16グラムと金1グラムを交換できる」。
となると、どうなるでしょうか?
外国の商人たちは
「銀5グラムを金1グラムに両替」。
得た金1グラムを、上海に行って、
国際相場の「銀16グラム」と交換する。
再び横浜に来ると「金3グラム」になる。
上海に戻って、金3グラムを
「銀48グラム」と交換する。
さらに横浜に戻って「金9グラム」に…。
そうなんです。まさに錬金術!
横浜と上海を往復すれば、
資産を倍々ゲームで増やすことができる…!
日本の金を狙え!
横浜に外国の商人たちが殺到しました。
両替が繰り返され、
日本にあった金が流出していきます。
この事態を深刻に感じた幕府は、
水野忠徳たちの主導の下、新通貨である
「安政二朱銀」などを流通させようと
しますが、うまくいかない…。
各国の外交官たちが難色を示したから。
やむなく「万延小判」「万延二分判」など
「金の含有量を減らした」小判を発行。
レートを適正な状態に戻し、
混乱を収めようとする。
…ただ、これだと通貨の量が増えますよね。
1860年以降、日本では
爆発的なインフレーション(物価高)が
起こってしまいました。
さすがにこんな未曽有の儲けのチャンスは
そう長くは続きません。
ゴールドラッシュ状態は消えていきます。
しかし、インフレ、物価高が引き起こした
政情の不安定、混乱は消えることなく、
沈静化はしませんでした。
経済的な混乱が、幕府への失望を生み、
政治的な混乱を引き起こし、ひいては
幕府滅亡の引き金になった…とも言える。
そもそも「開国」したとしても、
適切なレートが設定できて、
日本側も儲かっていれば、問題はなかった。
それがハリスやオールコックなどの押し付け、
武力を背景にした揺さぶり、
それらに屈して設定してしまったがゆえに、
混乱が起きた。
このちょっと前、1849年には、
アメリカでは西部のカリフォルニアで
金鉱が発見されており、
リアルな「ゴールドラッシュ」が
起こっていましたからね。
その約十年後、日本でそれが
起こったとあれば、そりゃやってきますよ。
なお、当の本人、ハリスやオールコックも
このレートで儲けた、と言われています。
(後に政府にばれて、叱責されている)
水野はこの金貨の流出、経済的な混乱を
食い止めようと奔走し、
「万延元年遣米使節」や
「文久遣欧使節」など各国に使節を派遣、
貿易やレートの問題を交渉させようとしています。
ただ、金融に明るい、目端の利く水野が
本国にやってきては都合が悪い。
自国に都合よくレートを
設定したことがばれてしまう…。
そう考えたのは、英国公使のオールコック。
彼から嫌われていた水野は、文久遣欧使節に
参加することができなかった。
その後、水野は各地の奉行を歴任。
幕政の混乱に乗じた朝廷や
薩長などの討幕勢力に抵抗し、
「攘夷派撃滅によるクーデター」や
「江戸城徹底抗戦」を企画しますが、
官軍に歯向かわずに降伏を決断した
徳川慶喜に献策が受け入れられず、
隠居します。1868年、死去。
憤死、と言われています。
最後にまとめます。
本記事では幕末の開国によって起こった
「金流出」「幕末の通貨問題」
について書きました。
『水野忠徳、小栗忠順、岩瀬忠震』。
この三人は幕末の混乱の中で
欧米列強と対峙し折衝したということで
「幕末三俊」と呼ばれていますが、
『西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允』
この「維新三傑」に比べて知名度が低い。
私もよく知りませんでした。
知らなかったので書いてみた。
ペリー来航から続く幕末の混乱の中で
奮闘、奔走したが及ばずに亡くなった
貨幣の理論家、水野忠徳…。
ぜひ名前だけでも覚えていただければ、です。
※1985年に第4回新田次郎文学賞を受賞した
佐藤雅美さんの小説、
『大君の通貨 幕末「円ドル」戦争』では
さらに詳しく書いてあります。ぜひ!