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「ドラフト」には、たくさんの意味があります。

線を引く、物を引く。
ラテン語のtrahereから来ている。
ここからたくさんの意味が
「引っ張って」こられたんですね!
英和辞典の記載を列挙してみましょう。

≪draft≫
①(積み荷・車・網などを)引くこと
②(線を引いて)描くこと
③草稿,下書き,草案
④すき間風
⑤〇〇飲み
⑥つぎ出すこと、(酒などの)たる抜き
⑦枯渇、強要
⑧(糧食・軍勢・資金の)調達
⑨選抜部隊
⑩金の引き出し、手形振り出し
⑪(船の)喫水
⑫チェッカー

「trahere」とは、to draw。「引っ張る」。
あるものを引っ張る、引き出す、の意味。
ここから、色んな意味が生まれました。

①のモノを引くことは、そのものずばり。
②③はペンで線を引くことで生まれた。
④は空気を引き出すんですね。
⑤も液体を引き出すことから。
⑥は入れ物から出す!
⑦は無理やり引き出して空っぽになる。
⑧や⑨は世の中から「抜き出す」こと。
⑩はお金を引き出す。
⑪は船を引っ張って水に乗り出すこと。
⑫はミスをチェックして引っ張り出す…。

「…ちょっと苦しい解釈もありますが、
おおむね『引く・引き出す』ですね!」

ただこれが
『ドラフト』とカタカナ言葉になりますと

◆(プロ野球の)ドラフト会議
◆樽から出したばかりのドラフトビール
◆下書き欄にある報告書のドラフト(草稿)

というように、全く縁もゆかりにもない
言葉に変わってしまうので
「?」になってしまうのです。

前置きが長くなりました。
本記事ではプロ野球の「ドラフト会議」、
特に1990年に起こった事件、
「小池騒動」を取り上げてみたいと思います。

「新戦力を世の中から引っ張り出す、
選抜する」という意味合いで
『ドラフト』の言葉が当てられる会議。

1965年に始まって、
2024年現在では60年近い歴史があります。

その制度は時代によって
だいぶ変わってきましたが、
各球団が自分たちが望む選手を選び出して
「指名」して「交渉」する、という
基本スタイルには変わりがない。

(注:一時「逆指名」的な
選手のほうから球団を選ぶこともありましたが、
お金が絡んで「指名してくれよ」と
事前交渉する問題が頻発し、無くなりました)

…ただ、これって要するに
「買い手市場」ですよね?
雇う側に、大きな選択の権利がある。
どんなにプロ野球の世界に行きたくても、
基本は、指名されなければ行けない…。

だからこそ「甲子園大会」や
「大学リーグ」や「都市対抗野球」などに
出場して、活躍して、
『スカウト』の目につくように
プロ志望の野球選手たちは頑張るわけです。

そんな中で『ドラフト1位』で
指名される選手は、すごい存在ばかり!
特に、複数の球団から指名される選手は
争奪戦になるわけです。
そこに、悲喜こもごものドラマが生まれる。

「この球団に絶対行きたいんだ!」

そんな考えがあっても、
他の球団が指名して、ぶつかって、
くじ引きをして、交渉権を得たら
その球団と交渉をしなければいけない…。

1990年のドラフト会議では、
まさにそのドラマが展開されました。
中心となったのは
小池秀郎(こいけひでお)選手。
亜細亜大学の大エースです。

何と「8球団」からドラフト1位で指名された。
当時小学生だった私は
「こいけひでお、す、すごい人だ!」と
感動したものです。
1球団だけでもドラフト1位で指名されるのは
本当にすごいこと。それが、8球団!
野茂英雄、もう一人の「ひでお」レベル!

…しかし当時の私は、
その裏に横たわる感情、事情などは
知らなかった。

現在ではドラフト会議で指名されると
よほどの強い意志がない限りは
球団と交渉して契約します。
そこには、セ・リーグ、パ・リーグの
人気がどっちも上がってきた背景がある。
観客動員数も、各球団の営業努力もあり
だいぶ増えてきているんです。

ところが以前は
「人気のセ、実力のパ」という時代。
ゴールデンタイムで放映されるのは
だいたい巨人、ジャイアンツ戦…。
ゆえに「このチームに行きたい」
「このチームには『行きたくない』」
という選手側の希望も
偏っていることが多かったのです。

小池秀郎投手にも、意中の球団がありました。

3球団に絞っていた。
「ヤクルト・西武・巨人」です。
それ以外の球団から指名を受けた場合は
社会人野球に進み、五輪を目指したい…。
そう語っていたんです。

果たして、1990年11月24日。

西武・ヤクルト・阪神・ロッテ・
中日、広島、日本ハム・近鉄。
この8球団が指名しました。
素晴らしいピッチングをする小池投手を
どのチームも欲しがった。

運命のくじ引き。緊張の一瞬。
その当たりくじを引いたのは…。

ロッテ・オリオンズでした。

ロッテは今では人気球団の一つですが、
その当時は球界屈指の不人気球団。
大学の総監督も
「ロッテは最も入れたくない球団だ」
と発言していたほどです。
(5学年上に亜細亜大学からロッテに
入団した選手がいたが伸び悩んでいたそう)

そのロッテが…。まさか…。

このドラフト会議の様子は
今でもYouTubeなどで観られますが、
何ともやるせない展開です。

それまで小池投手は
インタビュアーの質問にも気さくに応じ、
「どこになるかな?」と
笑顔を見せたりしていましたが、

ロッテがくじを引き当てた瞬間
表情が一変します。
顔面から笑みが消える。
大学の会場からは悲鳴と罵声が上がる…。

そもそも、事前にロッテから
「指名を断念する。
湯舟敏郎を1位指名する」
大学側にもその旨を伝えていたんです。
しかし、直前になって金田監督が
小池の指名を強く希望し、
強引に変更させた、とも言われています。

「今は何も言えません…。頭が真っ白です。
ロッテの方と会うことはありません」

そう言った小池投手は、
ロッテの入団を拒否。社会人野球に進みます。

1992年、近鉄にドラフト1位で入団し、
1997年には15勝を挙げて最多勝を取りますが、
2005年には楽天で選手生活を終えました。

最後にまとめます。

本記事では『ドラフト』から
1990年の小池秀郎投手のドラマを
書いてみました。

くじを「引く」、その腕から、
次のドラフトでもドラマが生まれていきます。

ちなみに小池投手の同級生であった
高津臣吾選手は、ヤクルトに3位指名され、
後には監督にも就任している。

「本当なら素直に喜んでいいのでしょうが、
テレビに映っていた小池のことを思うと
素直に喜べない…」

当時の高津投手はこんなことを
コメントしていました。

一人でも多くの方が
自分の望む球団に行ってほしい…。
改めて、私はそう思うところです。

(プロに入ったら、
1位指名だろうが育成契約だろうが
あとは実力勝負ですから…)

皆様は、どう思いますか?

※1990年のドラフト会議はこちら↓

合わせてぜひどうぞ!

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