コロンブスとラス・カサスの毀誉褒貶
「大航海時代」を経てスペインは、
「日の没することのない国」となります。
1492年「イヨクニ燃えるコロンブス」の、
新大陸の発見(前からそこにあったのですが)。
1519年「みんなイゴイク世界一周」の、
マゼラン(の部下)による世界一周。
1521年、メキシコのアステカ王国滅亡。
1533年、アンデスのインカ帝国滅亡。
1571年、フィリピンを支配。
日本にも訪れます。
1549年「イゴヨク広まるキリスト教」の
ザビエルは、スペインの宣教師でした。
後に織田信長の庇護もあり、
戦国時代、特に九州を中心に
キリスト教の信者が激増していく。
「キリシタン大名」も現れます。
16世紀、スペインは
「新大陸」ことアメリカ大陸のみならず
東南アジア、東アジアへと広がる
広大な地域を支配したんです。
その後、オランダがスペインから独立。
1581年に独立宣言、1648年に正式承認。
覇権はオランダへと移っていきます。
…この時代のスペインの支配には、
功罪半ばするものがある。
植民地化を正当化、理想化したものを
「白い伝説」と呼ぶそうです。
スペインは凄い!という
歴史観を説明する時によく用いられる。
一方で、スペインを諸悪の根源、
悪の大帝国として説明する際には
「黒い伝説」と呼ばれる。
どちらも「解釈」の問題です。
どう捉えるか? 立場によっても変わる。
その根拠として使われたものの一つに、
ラス・カサスという宣教師による
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
という史料があります。
本記事では、ラス・カサスの報告と
重ね合わせて、歴史の解釈について
書いていきます。
ラス・カサスは1474年、
スペイン南部、アンダルシア地方の
セビリアの街に生まれました。
1493年には「新大陸」を「発見」して
セビリアの港に戻ってきたコロンブスを
目撃しています。
彼の父親は、兄弟たちと
コロンブスの第二次航海へと参加した。
ラス・カサスにとって、
新大陸はまさに「新しい世界」でした。
「ゆくゆくは僕も行きたい!」と
ワクワクしたとしても不思議ではない。
当時、アメリカ大陸は
インドの一部だ、と思われていました。
ゆえに、そこに住む人は
インディアス(インディオ)と呼ばれた。
1502年、ラス・カサスは
新大陸へと渡ります。
…しかし、そこで見たものは
現地の先住民とスペイン入植者との
激烈な争い、戦いの日々。
1506年、いったんセビリアに戻った彼は
聖職者になろうと志す。
ローマに行き、カトリックの司祭になる。
1512年、従軍司祭として
スペインのキューバ征服軍に加わります。
…この現地での戦いの中、
ラス・カサスはインディオに対する
拷問や虐殺などを目撃する。
彼は激しい良心の呵責を感じた。
ついに従軍司祭の地位を捨てます。
農業をしながら聖書について考える。
1514年、彼は熟考した末に、
自分が奴隷として所有していた
インディオを解放するのです。
…当時、スペイン王室が
植民地支配の上で採用していた制度を
「エンコミエンダ制」と呼びます。
委託する=エンコメンダール。
現地の入植者たちに対し、
スペインの王室が「委託」していた。
何を? インディオたちの支配権を、です。
委託された人たちを
「エンコメンデーロ」と呼びます。
つまり、ラス・カサスは
エンコメンデーロの地位を捨てたんです。
1515年、彼はスペイン王室に
「エンコミエンダ制の廃止」を提案します。
合わせて、虐待の禁止や
平和的なキリスト教布教などを提案する。
「インディアス審議会」が発足します。
ラス・カサスは「インディオ保護官」という
肩書で調査団に加わり、再び現地に赴く…。
…ただ、お察しの通り、
ラス・カサスは命を狙われます。
修道院にかくまわれる。
この危険な中で調査が進められ、
1542年に報告されたのが
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
という報告なのです。いわば暴露・告発。
これによって、いったん
エンコミエンダ制の廃止が決まります。
…しかし当然ながら、この報告は、
現地のエンコメンデーロたちの
激烈な反対と彼への憎悪を呼びました。
制度の廃止は延期されてしまいます。
以後、制度廃止の賛成者と反対者が
大論争を繰り広げていく。
そのさなか、1566年に死去。
彼は「インディオの保護者」とも呼ばれました。
…さて、彼の死後、どうなったのでしょう?
オランダがスペインから独立。
1581年に独立宣言、1588年に無敵艦隊敗北、
1648年には正式承認。
海外におけるスペインの勢力が弱まっていく…。
同時期、日本でも、1587年に豊臣秀吉が
「九州平定」を成し遂げた際、
九州におけるキリスト教徒の勢いに驚いて
『伴天連追放令』を出しています。
…奴隷として、日本人が国外に
連れ出されていたことを知ったから、とも。
その後、江戸幕府は
1624年にスペイン船の来航を禁止。
1637年~1638年には
「島原・天草一揆」が起こって
日本国内での布教が厳禁される。
日本からの視点で言えば「鎖国」で
植民地化を防いだ…とも言えます。
(同時期、同じ島国のフィリピンは
植民地化されていました)
スペインの勢力が後退していく中、
オランダやイギリスなど後釜を狙う勢力は
「スペイン=悪」という宣伝を行います。
…その時に使われたのが、
ラス・カサスの報告なんですね。
「スペインはひどいことをした」
いわゆる『黒い伝説』です。
その論拠となる報告をしたラス・カサスは
「スペインの誇りを失墜させた男」として
非難されます。
しかし19世紀、ラテンアメリカで
独立運動が盛んになりますと、現地では
「独立の先駆者」として評価される。
ただ、諸国が独立後に混乱していく中、
今度は逆にスペインによる植民地支配が
正当化・再評価されていく。
これが『白い伝説』。
再びラス・カサスは批判にさらされる。
さらに第二次世界大戦後になりますと、
虐げられていた人たちを解放した
「素晴らしい思想的先駆者」として、
改めてその業績が評価されていく…。
最後にまとめます。
本記事ではラス・カサスの報告と
彼の事績、彼に対する評価の変遷を
書いてみました。
最近でも、Mrs. GREEN APPLEという
バンドの新曲「コロンブス」の
ミュージックビデオが問題視されて炎上、
公開停止になった問題が起きています。
黒い伝説と白い伝説の両面を知らないと、
「コロンブス=優れた航海者」だけの
一面的な解釈になりがちです。
彼は「征服者」「奴隷商人」
という側面も持っていた。
歴史の解釈は常に賛否両論。
複数の視点を持って見ていきたい…。
私も自戒しようと感じた次第です。
皆様はどう考えますか?
※「コロンブス炎上」の問題はこちらを↓
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側面を日本史・世界史両面から考えた
記事はこちらから↓
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