東京は人口第一位ではなかった?!
「東京一極集中」について考えています。
東京4:近畿2:中京1:福岡0.5くらい。
見事な「東京一極集中」ですよね。
…しかし、昔はそうではなかった。
いや、もちろん江戸時代から
「将軍様のお膝元」の「江戸」は
大都市だったわけですが。
江戸時代が終わり明治時代へ。明治維新。
…ふつうに考えれば、東の江戸の時代が終わり、
今度は西の京都や大阪の時代になったはず。
しかし時代の流れは、皆様ご存知の通り、
「皇居」が今の東京駅付近・江戸城跡に移転、
「東の京都」として「東京」が爆誕した。
ですが、どうしても錯覚しやすいんですが、
東京は最初から人口一位ではない。
「地方多極分散」の時代があったんです。
ここで、辰井裕紀さんの記事を発見しました。
『なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか?
都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史』
という記事です。
本記事ではこの記事を引用紹介しつつ、
近代化以後(明治維新以後)の
人口日本一の推移をみていこうと思います。
(引用元記事も本記事最後のリンクからぜひ!)
廃藩置県、1871年。
「藩とイワナイ 廃藩置県」。
東京(中央)の政府から県知事が派遣され、
地方を治めるようになりますよね。
いわゆる「中央集権」です。
最初は四十七以上、たくさんあったのですが、
徐々に整理されていく…。
人口統計は1872年から始まります。
近代国家運営に人口の把握は欠かせないから。
さて、栄えある人口第一位に輝いたのは?
…広島県!なんです!
(ここから引用)
(引用終わり)
もちろんまだ廃藩置県したてですので、
広島だけに「広い範囲を県として認められた」
ところが人口が多いのは、当たり前です。
ただ、広島が人口日本一の時代があった、
ということは、もっと知られてもいい。
1894年、日清戦争の時には、
広島に「大本営」が置かれます。
帝国議会も広島臨時仮議事堂で行われ
「臨時首都」になったこともあります。
人口が多かったと聞けば、うなずけますよね。
話を戻します。
翌年1873年の人口第一位はどこか?
それは、愛知県だったんです。
尾張中心の「名古屋県」と
三河中心の「額田県」に分かれていたのが
統合して「愛知県」になったのが、要因。
(ここから引用)
(引用終わり)
八代将軍吉宗の頃の尾張藩主、徳川宗春は
質素倹約の「享保の改革」を行う幕府とは逆に
規制緩和の開放政策を採り、
「名古屋の繁華に京(興)がさめた」という
栄華を誇りました(藩の借金は増えましたが)。
愛知県も、人口第一位だった時代があった!
しかし1870年代になると、
もっと意外なところが人口第一位になります。
それが、新潟県・石川県です。
(ここから引用)
(引用終わり)
辰井さんの記事によると、
「仏教が普及していて、全国各地の農村などで
日常的に行われていた『間引き』が少なかった」
「米がたくさん採れ、北前船などの海運により
日本海側の港も繁栄していた」ことが
大きな要因だった、とのことです。
…ただ、明治期には「鉄道」ができます。
海運も「陸運」に取って代わられていく。
徐々に太平洋側に人口が移っていき、
日本海側は低迷の時代を迎えてしまうのです。
1900年頃には「大阪」が繁栄しています。
1925年の国勢調査では大阪市(211.5万人)が
東京市(199.6万人)よりも多い!
(ここから引用)
(引用終わり)
明治維新により大阪の経済は
ずたぼろになりましたが、見事に復活!
東京よりも大阪のほうが、経済が凄かった。
もちろん「帝都」東京も負けてはいません。
人口を増やし、一位になっていきますが
1945年には、意外なところが人口一位になる。
それが、北海道です。
(ここから引用)
(引用終わり)
最後に、まとめます。
本記事では、東京一極集中の戦後以前、
明治維新から終戦までの
人口第一位のところを見ていきました。
広島、愛知、北陸、大阪、北海道…。
今では東京に圧倒的な差がついていますが
実は「人口日本一」だった時代もあった。
東京一極集中と地方多極分散。
その推移。
これからの日本を、ひいては自身のキャリアを
考える上において重要なテーマの一つ
ではないでしょうか?
興味が出てきた方は
下記のリンクから引用元の
辰井裕紀さんの記事を、ぜひ!
(東京に銭湯が多い理由も載っていますよ!)
※「戦後日本」の東京一極集中については
こちらの記事を↓
合わせてぜひどうぞ!