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『常磐線』(じょうばんせん)の特急は
「ひたち」と「ときわ」

「ひたち、は分かります。
茨城県のあたりはその昔、常陸国、
ひたちのくに、と呼ばれていたんですよね!
かつ、茨城には『日立市』もありますから。
…でも『ときわ』って何?」

考えてみると不思議ですよね。
「ときわ」と茨城県の「常磐線」…。
どう結びつくのでしょう?

本記事では謎の多い
「ときわ」について書いてみました。

まず、ときわ、という
言葉の意味を探っていきます。
辞書で調べてみますと…。

◆永久に変わらないこと
◆木の葉が一年中緑であること

そんな意味で使われる。
もともとは「永久に変わらない岩」です。
堅いもの。ゆるがないもの…。

「とこ・いわ」という言葉が
「ときわ」に変わったという説が有力です。
常夏は「とこなつ」と読みますよね。
「とこ=常、いわ=岩・石=磐」から
「常磐」と書いて「ときわ」…。

古代の日本には、
「常磐堅磐」という表現がありました。
これは「ときわかきわ」と読みます。
変わらない岩に堅い岩。カッチカチ。
転じて「永久に変わらない」という意味。
和歌や祝詞などに使われます。

「…でも、待ってください。
女優の常盤貴子さんの『ときわ』は
常磐ではなくて常盤と書きますよね?
盤と磐。何が違うんですか?」

これには諸説ありますが、簡単に言えば、

◆常盤=主に植物や人間など「命あるもの」
◆常磐=主に水や道路など「物理的なもの」

こう使い分けられることが多いようです。
ただし、単体の漢字だけを見ますと
また別の解釈もある…。

◆盤:広がる皿=平らに広がる「平面」
◆磐:地名・人名によく使われる「岩」


一般名詞でよく見かけるのは「盤」。
「将棋盤」「碁盤」「鍵盤」
「地盤」「岩盤」「羅針盤」
「序盤」「中盤」「終盤」…。
いずれも皿のほうの『盤』を使います。

もう一方の「磐」は地名・人名に使う。
ジュビロ磐田の「磐田」。
福島県東部あたりの「磐城(いわき)」。
古代の事件、「磐井」の反乱。
いずれも石のほうの『磐』です。

「…いや、でも、常盤貴子さんの常盤は
『皿』のほうを使いますよ? なぜ?」

ええ、これには理由があるようです。
「常盤」という
皿の盤のほうの字を使う一族が
歴史上で栄えた
ことがある。

これまた諸説がありますが、
一例には神奈川県の鎌倉に
「常盤」という地名がある。
これは元は『常葉』と呼ばれていた。
常緑樹である「常葉ノ松」と言われる
有名な松があったからだ、と言われます。

それがいつしか「常盤」と書かれる…。
鎌倉時代の実力者、北条氏の分家が
このあたりに住んでいたので、
「常盤流北条氏」と呼ばれることもあった。
この一族が各地で繁栄する。

要するに「ときわさん」は
「常磐」だけではなく
「常盤」と書くこともある。

(『平家物語』の源義経の母親も
「常盤御前」という名前でした)

…ともかく、常盤にしても、常磐にしても、
「変わらない」という本意は、
どちらでも変わらない。

一族も土地も、
「変わらず衰えず、末代まで続くように」
という願いがあるものですよね。
ゆえに、ときわ、という地名や人名が
日本各地で使われている。

…読者の皆様の住所の近くにも
「ときわ〇〇」という住所や名前が
あるかもしれません。
『ドラえもん』の藤子不二雄さんも
手塚治虫さんが出ていった後に
「トキワ荘」というアパートに入った…。

「ときわ、常磐/常盤という言葉が
古代からある言葉で、縁起が良くて、
変わらぬ繁栄を願うめでたい言葉、
ということはわかりました。
…でも、なぜまた茨城県で
『ときわ』が『常磐』という地名とともに
よく使われている
んですか?」

なぜでしょう?

少し、考えていきましょうか。
ヒントを出しながら行きます。

…茨城県の古代の名前は?

「常陸、ひたち、ですよね」

では、福島県東部の名前は?

「磐城、いわき、ですね」

茨城県と福島県東部をつなぐ電車は?

「常磐線、じょうばんせん」

茨城県と福島県東部をつなぐ道路は?

「常磐道、常磐高速道路です…!」

…だんだんひらめいてきたでしょうか?
そう、「常」陸と「磐」城をつなぐから、
漢字を一字ずつ取って「常磐」になった。
そしてこの熟語は、じょうばん、
だけではなく、ときわ、とも読む…!

ゆえに茨城~福島をつなぐものは
「常磐」であり、じょうばんであり、
ときわでもある、ということなんです。
(なお水産の世界では、茨城沖・福島沖の
あたりの水産物のことを
『常磐(じょうばん)もの』と呼びます)

ちなみに「磐城国」とは、
戊辰戦争が終わった後の1869年に、
陸奥国が分割されてできた地名です。
別名は「磐州」(ばんしゅう)。
常陸は「常州」(じょうしゅう)。
常州と磐州を結ぶ鉄道、
「じょう」しゅうと「ばん」しゅうで
『じょうばんせん』
と名付けられた。

…明治時代・文明開化は鉄道とともに
日本各地に広がっていきました。
「ジョウ・バン・セン!」という響きは、
汽車の黒煙とともに
沿線の民に刻まれたことでしょう。
実際、この沿線では
「常磐炭田」(じょうばんたんでん)があり、
近代化に使われた石炭がたくさん運ばれた…。

そして先述しましたように
常磐は「ときわ」とも読みます。

ゆえに、常磐線の通る水戸市では、
「ときわ」と名付けられたものが
今も数多く存在しているのです。

◆常磐町(ときわまち)
◆常磐大学(ときわだいがく)
◆常磐神社(ときわじんじゃ)…他多数


このうちの常磐神社は、
梅の花で有名な「偕楽園」の中に
建てられた神社。
1873年に常磐神社の社号が正式に決まる。
徳川光圀と徳川斉昭をまつっています。

斉昭は幕末の九代目の水戸藩藩主。

維新の先駆け的な存在となるも、
1860年に急死してしまいました。
彼の死後、水戸藩では保守派と革新派が
争い合い、混乱状態に陥る…。

その諸行無常の悲劇を経ての明治時代。

改めて「常磐」の名を冠した神社が
建てられた、というわけです。
変わらない英雄をまつり、
色々なものを鎮めている…。


最後にまとめます。

本記事では「ときわ」の謎に
迫ってみました。

元々は一般的な普通名詞ですから、
茨城県だけではなく
日本全国にたくさん「ときわ」という
名前がつけられた場所がある、と思います。

試しに「ときわこうえん」で検索すると…

◆北海道旭川市の常磐公園
◆埼玉県さいたま市の常盤公園
◆静岡県葵区の常磐公園
◆岡山県総社市の常盤公園
◆山口県宇部市のときわ公園
(常盤池を中心とした公園)…他多数

たくさん出てくるのです。

移り変わり、諸行無常の世の中にあって
「変わらない平穏」をも同時に願う想い…。


それは、全国共通なのかもしれませんね。

変わらないものと変わっていくもの。
常緑樹と落葉樹。常磐堅磐と諸行無常。
不易そして流行。クラシックとポップ…。

両方を大事にしていきたいものです。

※画像は古風な女将の皆さんたちが
企画した斬新なポップコーンです。

※『ひたち』の謎については、こちらから↓
『ひたち七変化』

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