庄内と徂徠学、致道館とソライ
「キッズドーム・ソライ」という施設があります。
山形県の庄内地方、鶴岡市のスイデンテラスという
ホテルのすぐ近くにある施設↓
ホームページから、施設の概要文を引用します。
(ここから引用)
(引用終わり)
この施設の名前の由来になったのは、
「荻生徂徠」(おぎゅうそらい)という
江戸時代の学者です。
…なぜ、そんな人の名前がこの施設の名前に?
本記事では、その理由を探ってみます。
庄内を江戸時代に治めていた庄内藩には
「藩校」がありました。
致道館(ちどうかん)と言います。
1805年に設立↓
藩校というのは、江戸時代の「藩」が
独自に作った学校でして、
藩士たちを中心に、ここで学問をさせます。
ここで、どんな学問を学ばせるべきか?
江戸時代の学問の主流は「儒学」。
中国の孔子が始めた学問です。
その中でも江戸時代に「正統」とされていたのは、
「朱子学」と言われる学問の一派でした。
この頃の江戸幕府の老中、松平定信は
「寛政異学の禁」を出しています(1790年)。
幕府が運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)で
朱子学「だけ」を正しい学問として教えることとし、
その他の学派は 「異学」 と位置づけて、
教えることを禁じたのです。
なんでわざわざこんなことをしたのか?
実はですね、松平定信の前のあたり、
八代将軍吉宗~田沼意次の時代には、
朱子学が衰えていたんですよ。
理論はすごいけど、現実に合ってない…。
そもそも儒学の初心に返りましょうよ…。
そう言っている学者が、増えていた。
荻生徂徠も、その一人でした。
その風潮に待ったをかけたのが、定信。
朱子学は「上下の別」を大事にします。
幕府が偉いんだぞ!ということを示すには
朱子学のほうが都合がいい、とばかりに
統制策の一つとして、朱子学を正統、
他の儒学の学派を「異学」としたのでした。
※誤解されがちなので補足しますと、
別に「国学」「蘭学」とかを
異学にしたわけではなく、
あくまで「幕府直轄の学問機関の中で、
儒学の朱子学以外の学派を異学とした」だけです。
※もう一つ誤解されがちですが、
松平定信自身は、朱子学狂いでもなんでもなく、
「朱子学は理屈が先に立ち、学ぶと偏屈に陥る」
と著書で書いたりしています。
あくまで「老中の仕事」として、
寛政異学の禁を行っただけです。
…そういう流れがありますから、
各地にできた藩校も、幕府に右にならえ、
「朱子学のほうがいいのかな…」と
追随するところが多かった。
ところが。
庄内藩の藩校、致道館では
荻生徂徠の学派「徂徠学」を採用した。
幕府内での主流の学問に歯向かう形です。
(もっとも松平定信は1793年に失脚しており、
あくまで寛政異学の禁は幕府内の話のため、
藩校にまでは口出ししなかったのですが)。
…ちょっと、気になります。
なぜあえて「徂徠学」を採用したのか?
庄内藩を治めていたのは譜代大名の酒井氏。
徳川家康に仕え、四天王の一人と呼ばれた
酒井忠次の直系の家系です。
幕府ににらまれそうなことはしないはず…?
うん、こういう時は「致道館」の
ホームページの記述を見てみるのがいい。
(ここから引用)
(引用終わり)
つまり、荻生徂徠のお弟子さんが
庄内藩の関係者だった。
徂徠学を使って、藩政の改革も行われ、
それがうまくいったので、広がった。
だからこそ「徂徠学」が採用された、と。
では実際に、どんな教育が行われたのか?
再び、致道館のホームページから引用。
(ここから引用)
(引用終わり)
天性重視。個性伸長。自学自習。…
その人の個性に応じたものを自分で学ばせる。
まさに「アクティブラーニング」!
冒頭の「キッズドーム・ソライ」では、
この天性重視・個性伸長・自学自習の
理念を体現しています。
「アソビバ」「ツクルバ」「ライブラリ」。
『子どもたちが自分の好きなものに没入し、
成長していける環境創り』が成されている…。
まさに、ソライこと「徂徠」の教えが
この地に脈々と受け継がれている、
と言えるでしょう↓
最後に、まとめます。
このように「異学」「異色」の学問が
教えられてきた庄内藩からは、幕末に
明治維新の火付け役の一人と言われる
ある男が出てきます。
清河八郎(きよかわはちろう)です。
彼は江戸に出て古学派(徂徠の流れ)の
東条一堂という学者について学問を修め、
同時に北辰一刀流の剣を学んで免許皆伝、
志士として実にアクティブに活躍します。
その彼がつくったのが「浪士組」。
…のちの新徴組、新選組です。
「腕に覚えがある者であれば
犯罪者であろうと農民であろうと
身分を問わず年齢を問わず参加できる」
常識に囚われず画期的な組織を作り、
広く人材を集めようとした彼の土台には
荻生徂徠の徂徠学があったのではないか?
八郎は志半ばでこの世を去ります。しかし、
その志は明治維新につながり、
身分にとらわれず、自由に学問ができる
明治時代へとつながっていくのです。
◆「スイデンテラス」については
私の紹介記事もどうぞ↓
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