つながるボックス史 ~箱の分化と結合と~
現代社会は「箱だらけ」だと思うのです。
ボックス、BOXという英語は
日本語では「箱」と訳されますが、
二つの意味があります。
ただ、もう一つ、意味がある。
語源には諸説ありますが、
その一説を紹介します。
古代ギリシア語における箱は「PUXOS」。
PUXOSは「PUGME」(握りしめた拳)に
由来している、と言われています。
これが「ボクシング」の語源。
一万年ほど前にエチオピアで行われていた
兵士の訓練(試合形式の殴り合い)が
エジプト、クレタ島、ギリシアに伝わり、
ボクシングが隆盛したそうです。
ただ、英語のBOXのほうは、語源が違う。
ラテン語の「BUXIS」で、ツゲの木など、
小さな木をあらわす言葉だった。
この木を使って箱が作られたことから、
「箱」を表す言葉になっていった。
つまりボックス、と一口に言っても、
異なる語源を持っている。
ゆえに「容器/区画」「殴る」という
違う意味を持つようになった…。
本記事ではこの「ボックス」から、
現代史の断面と実相をたどります。
ボックスを容器、「箱」と捉えた時、
この段階を経る。
まず「乗り物」について考えてみます。
近代になると「鉄道」が出現。
大きな、動く「箱」!
この箱に乗って、みんなで移動した。
しかし次第に「自動車」が出現する。
小さな、動く「箱」ですよね。
マイカーが普及すると、
自分仕様の箱で移動できるようになった。
次に「家」を考えてみます。
江戸時代の江戸には「長屋」という
一種の集合住宅がありました。
地方の家であっても個室はない。
みんなで囲炉裏を囲み、
子どもたちは同じ空間に寝た。
「個室」を持っている人は、
よほどのお偉いさんくらいなもの。
明治期に欧米風の「個室」が流入し、
部屋が分化する文化があらわれます。
プライベートなエリア(ボックス)!
子どもであっても「子ども部屋」が
親から与えられたりしていく…。
(余談ですが、古い日本家屋では
成立しづらい「密室殺人ミステリー」を
挑戦して書いたのが、横溝正史さんの
『本陣殺人事件』という推理小説。
密室ものは、欧米の個室空間でこそ、
発達していったんですね)
ただこれは、人口密度によって違います。
都会では一戸建てが高く庶民は手が出ず
アパートやマンションなど
「現代の長屋」に住んでいる人も多い。
しかしその中ではプライベートゾーン、
各部屋、つまり「箱」に分化している。
厳密には「長屋」とは性格が異なる…。
続いて「映像機器」を考えてみます。
テレビが世に出始めた頃、
街頭でみんなが一斉にプロレスの力道山の
同じ空手チョップなどを見ていた。
一つの箱を、みんなで共有していました。
それが、徐々に家庭にテレビが普及、
「一家庭に一つ」に箱が分かれていく。
でもまだ個人で箱は持てず、
「チャンネル争い」などが勃発していた。
チャンネルの部品をわざと抜き取り、
他人がチャンネルを変えられないようにした。
これが、さらに分化する。
今では一人一人がスマホやPCで
自由に映像を見ていますよね。
チャンネル争い、起こらない。
考えてみれば「コンピュータ」もそう。
初期のコンピュータは巨大な「箱」。
それを、研究者たちが共有していた。
しかし徐々に小さくなっていき、
「マイ」コンや「パソ」コンになる。
ハチハチとかキューハチの時代は
まさに「箱」でした。
それがさらに小型化し、
ノートパソコンやタブレットに…。
スマホも普及し、手の平でコンピュータを
扱えるようになったのです。
さて、ここまで、乗り物、家、映像機器、
コンピュータの例を挙げましたが、
このように現代史は「大きな箱」から
「小さな箱」へと分化していく過程。
ただ、弊害も生まれました。
マイカーは、交通事故の増加を生んだ。
個室の出現により、家族であっても
お互いに知らないことが増えていった。
「虐待」はブラックボックスで起こりがち。
子どもが「不適切な映像」を
勝手に見ることも増えてきている。
ネットは誹謗中傷、炎上を生み出した…。
これは本来、扱うことに
専門技能が必要だった「箱」が
「普及」して個人化していったがゆえに
「殴り合い」に発展するケースが増えた、
とも言えるでしょう。
加えて言えば、この箱を巡るせめぎ合いは
「地域差」「風土」も影響します。
(ハコモノ行政、なども多い)
都会と地方で、対比します。
例えば東京では
「みんなで使う箱」が主流。
電車網が発達、みんなで箱に入って移動。
集合住宅が多く、一つ屋根の下で過ごす。
映画館も、スポーツバーもクラブも多い。
このようなオープンな環境ならば、
「共有の箱での作法」が無意識のうちに
身につくことでしょう。
一方、今の地方の多くは「車社会」。
マイカーの中で運転中にいくら大声で
歌おうと人に迷惑はかかりません。
一戸建ては隣人に壁を叩かれることもない。
その代わり「共有の箱での作法」が
なかなか身につかない…。
また、私たちは「学校」という
世間から境界を引いて隔絶しやすい
「共有の箱」に入って幼少期、思春期を
過ごすことが多いのですが、
そこですら個人差がついてきている。
アクティブ・ラーニング、
オンライン授業なども発達し、
みんな一様のものではなくなってきた。
一社専従、終身雇用の
会社という護送船団のハコから、
キャリアが多様化したのも同じ。
このように、共有の箱がありつつも、
「個人的な箱」にも籠りやすいのが
現代の実相だ、と言えそうです。
ただ同時に、この分化した箱が独自に
「つながり」つつあるのも、また実相。
SNSは、お互い違う箱にいる人たちを、
容易に結びつけることを可能にしました。
国家、会社、地域、家庭など、
本来なら外からは見えないはずの
違う箱にいた人たちを
(取捨選択した限定情報ではあるものの)
可視化し、つないでいった…。
◆みんなが「同じ箱」にいた
◆「個人用」の箱に分化した
◆分かれた箱が「つながる」
と書きましたけれども、まさに今は
個の箱がつながる過程の時代なのです。
最後にまとめましょう。
本記事では「ボックス」という言葉から
現代史の過程と断面をたどりました。
「箱」とは不思議なもの。
開けることも、閉めることもできます。
見せることも、見せないこともできる。
どちらが良いとも悪いとも言えない。
箱は、あくまでツールです。
人と自分とを分かつ「境界」や、
時には「殴り合い」になることもある。
「玉手箱」「びっくり箱」のように、
不思議なサプライズが起きたりもする…。
さて、読者の皆様は、いかに
「マイボックス」を使っていきますか?
私は…自分なりに無理せず、
ぴったり合った使い方をしていきたい。
言わば、マッチ箱。
…火事にならないよう、気を付けます。