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『あたしの姪は、春告げ鳥~後編』ヒスイの鍛錬・100本ノック㉓

『あたしの姪は、春告げ鳥~後編』

 あたしが絵を描けなくなって引きこもっている間に、元カレの健太(けんた)は皆に勝手な話をしたらしい。

『翠(みどり)はいま、調子が悪くてね。俺が付いているから、いずれ描けるよ』
『カノジョ? ちがうちがう。創作仲間のひとりだよ。まあ、翠のほうは、俺をメチャクチャ好きみたいだけどね』 

 みんな、信じた。健太はこぎれいな男で、性格がいいヤツに見えたから。
 あたしは恋愛に依存して絵が描けなくなったおかしいオンナ、と認識された。逆に、彼のイメージは爆上がり。絵もうまくなって、描いたものをSNSに投稿するとイイネが付くようになった。
 健太は新しいカノジョを作った。

 だけどもう、あたしは何もかもどうでもよくなっていた。外に出ることもなくて、ただ部屋で使わなくなった画材とすごしていた。
 とにかく自分が引き起こしたことだから、ひとりで引っかぶればいいと、思っていた。

 今朝までは。
 雪がぬるんだ音を立てて車にはね飛ばされる音を聞くまでは、そう思っていたんだ。
 あの時、気が付いた。
 あたしは、勝手に不幸になりたがっていたんだって。
 健太に利用されたことも、健太に勝手なことを言わせておいたことも。全部、あたしが決めたことだった。
 だからこそ。自分の決断で、何もかもひっくり返すことができる。

 一月の歩道をゆく北風に、コートの裾がはためく。あたしはポケットのなかでパレットナイフを握りしめた。
 目の前のギャラリーの窓は大きくて、ブラインドが半分ひらいていた。薄く曇ったガラスの向こうに学生がいて、絵をかけたり位置を変えたりしているのが見えた。

 そのなかに、健太がいた。絵をもって笑っていた。白梅の枝とウグイスを描いたもの。構図に見おぼえがある。以前、あたしが個人指導の課題で描いた小品とそっくりだ。
 どろっと、黒いものがあたしの中に湧き上がる。心に降り積もった真黒なものが、地吹雪となって舞い上がった。
 握っているパレットナイフの柄が、冷たい。

 こいつをあの絵に突き立てたら、どんなに気持ちがいいだろう。画面を切り裂いたところからは、きっとどす黒いものが出てくる。
 健太のずるさ、浅はかさ、薄汚なさがあふれ出して、みんな、あいつがどれほどのろくでなしなのか、初めて知るんだろう。
 あたしは薄笑いを浮かべて、ギャラリーに上がる階段に足をかけた。

 そのとき。
 背後から、甲高い声がした。
「翠ちゃん、なにしてるの?」
 振り返ると、水色の帽子をかぶり、ランドセルを背負った姪の澄(すみ)がいた。


 澄は三つ編みにした頭をかしげて、ギャラリーの中を見た。
「絵だね。翠ちゃんの絵もあるの?」
「あー。ない……澄、あんたもう下校時間?」
「今日は学校が、お昼までなんだ。翠ちゃん、いま、あんまり描いてないよね。あたし、翠ちゃんの絵が好きなのにな。ほら、アレみたいなやつ」

 澄は手袋をはめた手でギャラリーのなかを指さした。

「白い花と緑の鳥がいる絵。ああいうのを見てると、手がぽわぽわしてくるんだ。でもさ……」
 澄は小さな額にしわを寄せた。あたしはぎくりとして尋ねる。
 「でも?」

 うん……と澄は言いづらそうに黙った。それからガラス越しに、健太と画 を見たまま言った。
「あれ、へたっぴだね」
「下手っぴ?」
 澄はまるまるした顎で、うなずいた。
「だって、見てても手があったかくならないから。なんか、線も色もヘン。きもちわるい」

 ばしゃ! と、あたしの後ろで泥水が跳ねた。自転車が風音を立てて、通りすぎていく。あたしは澄を見て、もう一度ギャラリーの中を見た。
 健太がいる。中途半端に小ぎれいで、器用に絵をかく男。体力はあるから一気に何枚もの絵を仕上げるけど、構図も色づかいも、どこかで見たことがあるものばかり。本当は人間ぎらいで、人物デッサンはどれだけやってもアタリがとれなかった。
 
 『下手っぴ』

 澄の声が響く。あたしの手からパレットナイフが落ちた。ポケットから手を出す。空っぽになった手のひらは、薄く汗をかいていた。
「翠ちゃん、手が汚れたの?」
 隣で澄が言う。うん、と答えると、ごそごそとハンカチを出してきた。真っ白で、ふちにグリーンのラインが入ったハンカチだ。

「かしてあげるよ。どうせポケットにはゴミしか入っていないんでしょ」
「うん……ゴミしか入ってない」
 あたしは笑いながら姪にハンカチを借りて、そっと手のひらをぬぐった。どす黒いものの残滓が、澄の声で清められていく。
 
「澄、ケーキでも食べに行く?」
「寄り道すると、ママに叱られる」
「今からママに電話してあげるからさ――」



 あれから十年が過ぎ、あたしの目の前には高校生になった澄がいる。
「……そんなこと、あったかなあ?」
 澄はケーキを食べながら首をかしげる。右手にフォーク、左手にスマホ。カフェの中にはにぎやかな音楽がかかっている。

「覚えてないよ。翠ちゃんとは何度も下校途中に会ったから。あ、もう一個、食べてもいい?」
「あんた、次で三つめだよ」
「あたし、お腹が空いてんだよね。それにほら、外は雪が降っているし。栄養つけたほうがいいんだよ」

 あたしは澄につられて外を見た。
 二月四日。立春が過ぎ、冬は終わった。春の雪は道に降り積もらない。
 あたしは、春の雪が好きだ。素直にとけてしまい、次の季節に備えているみたいだから。

 そしてあたしは姪に視線を戻す。三つ目のケーキを選んでいる澄。あの日、あたしを正気に戻してくれた子供が、ここにいる。
 
 彼女はあたしの、春告げ鳥。
 暗い冬を終わらせ、春を連れてくる春告げ鳥だ。
「翠ちゃん、きまったよ」
 あたしは笑って、三つ目のケーキをオーダーするために手を挙げた。



【了】

#NN師匠の企画
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題は愛

100本ノック 今後のお題:
三階建て←かざまさん←俳句←言葉←舌先三寸←真昼の決闘夕日←春告げ鳥←ポーカー←課題←タイムスリップ←蜘蛛←中立←バッハ←お風呂←メタバース←アニメ←科学←鳥獣戯画←枯れ木←鬼←ゴーヤ←ワイン



……てへっ(笑)。
今回は、黒ヒスイが精一杯がんばりました。
あすはいつものヒスイ日記です💛 また20時にお会いしましょうね。

前編は、ここです



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ヒスイ~強運女子・小粋でポップな恋愛小説家
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