「土曜の朝は、いまだ晴れ」第4話”やるべき仕事を終えた声(ヒスイ)”
なつかしい声、というのは、どうしてこんなに忘れられないんだろう。
あたしはスマホを夢中で見ているふりをして、背後の声を聴いている。
彼の声は、あの頃と全然変わらない。少しかすれていて、やわらかくて初夏の雨のよう。
あの柔らかさが、あの頃のあたしをそっと包んでくれたのだ。
あれは、どうしても必要だった声。
あの声なしでは、あたしはあの時を乗り越えられなかった。
でも。それを今もう一度聞いても、どうしようもない。
ちょうど、ドリップし終えたコーヒー豆がもう可燃ごみとして捨てられるしかないように。
あの声はもう、やるべき仕事を終えたのだ。
あたしはスマホをポケットに入れて、ヒロに言う。
「少し、外に出ない?」
「いいね」
ヒロはちょっと外を見て、それからあたしに向かって手を差し出した。
あたしはそっと、その手を握ってソファーから立ち上がる。ヒロが、さりげなくカウンターの二人に声をかけているのが聞こえた。
「ちょっと、そこのコンビニまで行ってきますから。洗車、まだかかるかなあ」
「あと15分くらいですよ」
ヒロがうなずく気配がした。ヒロはあたしとカウンターのあいだに立って、奥の二人から見えないようにしてくれていた。
ああ。
気づかれちゃったな、とあたしは思った。
ふたりでガソリンスタンドの待合室から出た。コンビニまでは徒歩1分。
手をつないで歩きながらヒロは言った。
「気にするなよ―――いつのカレ?」
あたしは立ちどまった。
あわてて右手で、ヒロの手を握りなおす。
「ちがうの。あの。もうぜんぶ、おわったことだし」
「しってるけどね」
ヒロが少しだけ笑った顔で、こちらを見た。
あたしは、きゅっと左手で持っていたカフェオレの紙コップを握りしめた。
コップはまだ、ほのかに温かい。