働いても働かなくても誰かのためになっている
働かない価値
働くことによって誰かの役に立つことができたり誰かのためになったりするということは容易に考えつく。
けれども、働かないことによって誰かのためになっていることもある。
どういうことかと言うと、自分が働かないことで、自分が就かなかった仕事に誰かがありつけるからだ。
自分が働くことは、誰かの仕事を奪うことになる可能性がある。
働かないことで、誰かに稼ぎ口を譲っている。
暇つぶしとしての労働
例えば、生活するお金に困っていない一人の人間が、暇で退屈だからという理由で、暇つぶしに労働をしたらどうだろう。
暇つぶしに労働することを選んだ人間が就いた仕事にありつけなかったことで、どこかの誰かが無職の状態が続いて生活に困ったかもしれない。
その仕事にありつけなかったどこかの誰かが、仕事がないことで精神を病んでうつ病になったり、自殺したり、社会を憎んで罪を犯したりしたかもしれない。
だから、生活に困らないだけのお金があれば、もしくは誰かに養ってもらえて、その養ってくれる誰かに極端に負担をかけるのでなければ、働かなくてもいい。
嫌々ながら労働をする弊害
やりたくもない仕事をする必要はない。
もし、やりたくもない仕事をしてストレスでうつ病になって、それでも無理して働き続けてうつ病の療養が長期化して医療費を多く使うより、身内に頼るなり生活保護を受給するなりして、早期に回復して自分が望むような仕事に転職する方がいい。
社会を恨んで罪を犯すくらいなら生活保護を受給する方がいい。
進歩を妨げる労働
たまに、誰も働き手が見つからない求人もある。
高度なスキルを持った人が必要なときもある。
そういう、自分以外に誰もやる人がいないような仕事を暇つぶしにやるのは自由だ。
しかし、その仕事を自分がやらなければ、結局はその会社の社員などで何とか回るのだろうし、回らなかったとしたら何らかのシステムなどを導入したりアウトソーシングをしたりするきっかけになるだろう。
暇つぶしに労働をするのは自由だが、無駄に労働をすることで、システムの導入や発展が遅れる可能性もある。
誰の役に立ちたいか
仕事をして、誰かの、あるいは社会の役に立つことはもちろん素晴らしいことである。
だが、冷静に考えてみれば、大抵の人がやっている仕事の、その役に立つ量というのは社会の中のほんのわずかな程度のものである。
誰か一人が、無収入だろうが年収100万円だろうが年収300万円だろうが年収500万円だろうが、世界はほとんど変わらない。
自分がほとんど知らない他人の役に立つか、それとも身近にいる家族や恋人や友人の役に立ちたいか、自分と似たような価値観の人たちの役に立ちたいか。
自分のスキルや知識を使って他人の役に立つのも有りだし、時間や多少の労力を使って身近な人たちの役に立つのもありだし、自分の頭を使って自分と似たような考え方をする人たちの役に立つのもありだ。
そもそも、「働く」という言葉には、「動く。身体を動かす。」という意味もある。
家族のために家事や育児をすることも、広い意味で考えれば働くことだろう。
最大化を目指さない
各個人が自分の得意分野でたくさん稼いで、家事は家事代行に頼んだほうが効率が良いという考え方もある。
けれども、他人に家に入られるのをあまり好まない人もいるし、自分のことは自分でやりたい人もいる。
家事代行を頼まなければ生活が回らないくらい忙しく働いてたくさん稼がなくても、適度に稼いで家事も自分でするというのも有りだろう。
個人のオリジナルの価値を
私は、得意分野で稼ごうと思えばもっと稼ぐことはできると思う。
労働者に戻ればもっと稼ぐことはできる。けれどもやらない。
なぜならそれは、私は他から与えられる仕事をもうやりたくないし、きっと他の誰かができる仕事であるからだ。
私自身が現在、生活に困ってないのに誰かの仕事を奪うことで、誰かが不幸になることを想像するからだ。
それに、人生の有限の時間を使うなら、自分にしかできないと思われる「仕事」、あるいは「事」をしたい。
労働者としてお金を稼いで、あるいは個人事業でもっと稼げるところに手をつけて稼いで、そのお金を欲しいものを買うのに使うのも悪くはない。
けれどもそんなに贅沢しなくてもそこそこ幸せだし、お金で買える幸せよりも、私の書く文章に共感したとか、元気が出たとか、勇気をもらえたとか、そういうメッセージをもらえるときの嬉しさには敵わないのだ。
だから私は、そんなに稼げないと分かっている方を選ぶ。いや、もしかしたら運が良ければこちらの方が長期的に見れば稼げるかもしれない。
誰しも、生活に困っていないなら、極力自分しかつくり出せない価値や、自分オリジナルのものを生み出す試みを続けた方が良い。
なので、私は生活に困らない限り、文章を書いて発信して、私と似たような価値観や境遇の人の役に立てるようにし、多少広告収入が入るというスモールビジネスを続けよう。