蘇軾とトンポーロー(東坡肉)
こんにちは、“鳩”です。
2月に予備校の授業がおわり、ぶらぶらのんびり道楽に興じております。
「道楽」は“道を解して自ら楽しむ”という意味なんだそうですが、なにかと窮屈なことが多い昨今、自ら食を楽しむ「食道楽」が気兼ねなくてよいですね。
食在中華。
中国では「四本足はテーブル以外、空飛ぶものは飛行機以外、なんでも食べられる。」と言われるように、食べることにかけては彼らを差しおいて右に出る民族はいないでしょう。
歴史上にも数多の「食道楽」がおりました。
今回はそんな食道楽の一人、蘇軾のお話です。
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蘇軾(そしょく)は宋代中国の政治家で11世紀後半に活躍、というと今から950年くらい前の人物です。
四川の富裕な商家にうまれ、幼いころから英才教育を受けました。
21歳で国家公務員試験の科挙に及第し、翌年には殿試(これは皇帝による最終試験、つまり社長面接です)に合格して高級官僚となります。
将来を嘱望された、まごうことなきエリートでございました。
11世紀頃の宋朝(宋代前半をとくに“北宋”と呼びます)では、周辺異民族への貢ぎ物や国境防衛の軍事費がふくれ上がり、ひどい財政難におちいっていました。
そこで若い皇帝の神宗は王安石を登用し、財政改革を実施します。
王安石は剛直頑固な人物で、使えるものはすべて使う、“新法党”を形成して半ば強引に改革を推しすすめました。
彼に反発する“旧法党”との抗争がおこります。
対する蘇軾も生真面目生一本、ことあるごとに王安石と論を交えましたが、とりまきの権謀術数に嫌悪感を覚えたのでしょうか、地方での奉職をつづけました。
そんな任地の一つであった杭州は風光明媚な場所で、朗らか気候と豊かな食材、蘇軾はこの地がとても気にいったようです。
開封(北宋の都)の醜い政争もあまり聞こえてきません。
民の陳情に耳をかたむけた政治で成果を上げる一方、杭州の文化人と篤く親交を深めて、多く詩作を遺しました。
年は30半ば、充実の人生を歩んでいたといえるでしょう。
いっぽう、都開封の政情は風雲急を告げます。
皇帝や政争にほとほと愛想をつかした王安石が政界を引退すると、彼の部下たちが新法党の勢力を盤石なものとするため、旧法党への弾圧をつよめました。
蘇軾は旧法党の主要人物とみなされております。
彼は弟の蘇轍と幾多の詩作を交していたのですが、その数首に新法党の政治を揶揄する内容がみられるとして、いくぶん言いがかりではあったものの、皇帝への不敬罪で投獄されます。
そして百余日ばかり獄中ですごしたのち、黄州への閑職に封じられました。
事実上の左遷でした。
さて、黄州は現在の長江中流域に位置し、武漢にほど近い街ですが、当時は超のつくド田舎でございます。
年中ジメジメとして霧が立ちこめ、これといった地場産業はなく、民草は荒れた耕地にへばりついて、その日暮らしをつづけていました。
「淮河より南に下ると、中原には戻ってはこれない。」
これは官僚の間でささやかれた噂です。
中華文明の中心地である華北(黄河流域)から、江南(長江流域)へ左遷されたら、二度と政治の表舞台には立てないといわれていました。
さすがの蘇軾も赴任当初はかなり落胆したようです。
なんていっても彼はまだ40代なかば、まだまだ働き盛りでした。
しかし、もともと楽天的な性格であったのでしょうか、それとも諦めもあったのでしょうか、数カ月経つと蘇軾はだんだんと黄州の気候・風景・土地柄に慣れ、なるほど、そんなに悪い場所でもないな、と考えるようになりました。
彼は緩やかに流れる長江が一望できる小高い丘に粗末な居を構え、猫の額のような土地を耕して食い扶持を確保します。
そこは古い兵営の跡地、城外の東にあったため、自身を「東坡居子」(とうばきょし)と名乗りました。
蘇軾が“蘇東坡”と呼ばれる所以です。
彼は暖かな気候の黄州では畜産に適していることを見抜いていました。
とくに豚肉。
宋代の中国において豚肉は最下級の食肉とされており、なかでもあばら肉などは猫でも食べない下等なものとみなされていました。
蘇軾はさっそく豚バラ肉の美味しい食べ方を研究しました。
そうして出来上がったのが、「トンポーロー(東坡肉)」です。
次の詩歌は蘇軾がトンポーローについて詠ったものです。
まずは漢字の雰囲気を目で見て味わい、書き下し文で音に舌鼓を打ち、意訳で内容を吟味してみてください。
食猪肉
黄州好猪肉
價賤等糞土
富者不肯喫
貧者不解煮
慢著火
少著水
火候足時他自美
毎日起来打一碗
飽得自家君莫管
<書き下し文>
黄州の猪肉は好し
価銭は糞土に等し
富者はあえて喫せず
貧者は煮るを解せず
ゆるやかに火をつけ
水は少なめ
火候足るとき それは自ずから美なり
毎日 起きてきて 一碗つくる
自家を飽かり得れば 君 管することなかれ
<意訳(関西弁)>
黄州の豚肉はええぞ
くっそ安い
金持ちは食わんし
貧乏人は煮方を知らん
ゆっくり火ぃにかけて
水は少なめや
火ぃがシュっと通ればホンマ旨い
毎日一碗つくってるけど
ワイが腹いっぱいなればそれでええ ほっとけ
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蘇軾の漢詩を忠実に守って、トンポーローを作ってみました!!!
まず、皮付き肉を準備します。
宋代の中国ではあばら肉の皮を丁寧に削ぐなんてこたぁしません。
皮付きの豚肉ですか、そんなものどこに売っているんだ…
これを見つけるのは骨だぞ(肉だけど…)。
…業務スーパーにあったぁ!!!
チリ産!?!?
え、チリ…
黄州の豚肉じゃないと本場ではないのだけど。
うぉ、はやくも挫折ですか!?
業務スーパーにわざわざ出向いて皮付き買ったのは骨折り損ですかぁ!?(肉だけど…)
飽得自家君莫管
(ワイが腹いっぱいなればそれでええ)
(ほっとけ)
蘇軾さーん!!!!!
ガッテン承知、チリ産でも何ら問題ないってことっすよね!!!
ありがとう蘇軾、ありがとう。
皮付きバラ肉 約1200g
中華醤油 100ml
紹興酒 300ml
氷砂糖 100g
材料はこれだけ。
余計なものは要りません。
これがコツですよね。(肉だけど…)
香辛料はちょっと迷ったのだけど、蘇軾は地場産の新鮮な豚肉を使っていたので臭みはほとんど無かったようです。
いっぽう、こっちはチリ産ですがきちんと温度管理がきちんとされてて、臭い肉など現代にはなーい!
蘇軾さん、見てるか…
現代ではチリの豚肉を日本で美味しく食べられるんだぞ…
あなたの教え通り、バラ肉を醤油・酒・砂糖だけで見事に煮せてみせるよ。
しかし、脂身が多いですな。
手順は以下。
① 小一時間水煮して脂をしっかり抜く
② アクを丁寧にとりつづける
③ 醤油で化粧をほどこして色をなじませる
④ 調味料と一緒に3時間煮込む
⑤ 煮汁が少なくなったらお湯を足す
これでいかがでしょうか、蘇軾さん!?
慢著火
少著水
(ゆっくり火ぃにかけて)
(水は少なめや)
ガッテン、不肖この鳩、わかっております!
慢著火、少著水…
小分けしたバラ肉を。
水煮で脂を抜いて。
アク、めっちゃでよる!!!
悪魔的!(アクだけに…)
あぁ、ずっとアクすくってるよ、ぼく。
ちょっと飽きてきた(アクだけ…)。
3歳の娘「パパ、何してるの?」
あぁ、パパはね、アクをとっているんだよ、あくまでも(アクだ…)。
妻「…じゃあ娘ちゃんとパフェでも食べてくるね。」
あぁ、カフェ、あいていればいいね(アク…)。
慢著火
少著水
(ゆっくり火ぃにかけて)
(水は少なめや)
わーっとる、わーっとる!!!
調味料を加えて…
煮て煮て、煮込み続けて…
慢著火、少著水…
できたっ!!!
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さて、その後の蘇軾は齢50を手前に、中央政界へ復帰します。
皇帝哲宗の代になって、旧法党が勢力を盛りかえしたのです。
蘇軾は栄転をつづけて、ついには龍図閣学士(副総理大臣に相当)まで昇りつめました。
官僚として再起不能なところまで落ちた蘇軾でしたが、その才気才覚のおかげでしょうか、再び日の目を見ることとなったのです。
しかし、一度辛酸をなめた蘇軾ですから、富や名誉などは時流の大きなうねりによって瞬時に消え失せてしまうことを百も承知しておりました。
卓越した仕事ぶりを見せてはいましたが、彼はどこかもの悲しげであったといいます。
蘇軾は再び左遷されました。
広東省の恵州、そして海南島への出仕を命じられます。
当時の広東省といったら南蛮(南の蛮人)との境でしたから、その先にある海南島にいたっては、もはやこの世の果てのような僻地でございます。
ここでも蘇軾はその持ち前の明るさとたくましさで、「食道楽」にいそしんでおりました。
よほど自信があったのか、蘇軾は中央政界に復帰したのち誰彼ところかまわずトンポーローをふるまいました。
それが各地の文化風習にならって、地方色があらわれた紅焼肉となり、現在でも家庭の味となっております。
いかに環境が変わろうとも、どんな逆境に見舞われようとも、飄々とたくましく、ただ己が道楽をつらぬいた蘇軾。
しなやかな骨が芯一本通った彼の生涯に思いをはせながら、トンポーローを味わいたいですね、肉だけど。