見張る・【見守る】・見放す
新人教育や後輩指導、社会人経験が長いと誰もが通る道。私もその1人。つい最近、ボキャブラリーに富んだ後輩から「あの先輩の時は見張られているようで緊張する」「その先輩はあまり関わろうとされず見放されている」「見守って欲しい」と発言があった。それぞれにどんな意味があるのか、中堅の立場だから見えた後輩指導での大事なことを共有したい。
見張るという行為(点滴ルート確保編)
見張る先輩の言い分としては「間違ったことが患者に実施されたんじゃ患者も後輩も守れない」
「だから間違えないために私が言わないと。あなたは間違えたことをやっていいと思うの。」
とキツイ反撃を受けたことがあるのは置いといて、
この見張る先輩はリスク回避を大事にしている。
しかし後輩としては準備段階からあれやこれ注意され、険悪なムードの中患者のもとへ行き、じっと手技を見られている。見張る先輩がいることで安心感より緊張感が勝ってしまったようだ。
ここでの問題は、
①後輩が自ら考えた行動を妨げ成長する機会を奪っていること。
②仮に点滴ルート確保できても準備はほとんど先輩がしたから成功体験を得られないこと。
にある。
では見守るって何ですか。
それは『待つ』『任せる』ことだ。
ルート確保でいえば、先輩の腕で試した後は準備から実施まで実際に患者のもとへ行き手技に対しては何も言わない。もっとナイスなフォローは患者と談笑して場を和ませることで、後輩は普段の力量を発揮できる。
→本来の力量で経験しないと上手にならないことを理解できているからだ。
また申し送り事項での忘れ事や、処置場面においての物品の準備の不足。
こちらも見守る先輩からは指摘せず後輩が自分で気づくまで待つ。
→エピソード記憶は長期に記憶でき、学ぶ機会に最適な場面になる。
成功体験は自信とやる気に。
失敗は忘れられない学びの機会に。
それが『見守る』ことの後輩にとって強みだ。
では失敗やミスの責任は誰が取るのか。
指導者に決まってる。だって守る立場なんだから。
見放さないこととは。
任せる・待つを意識していても後輩が「見放されている」と思ったなら最後。そうならないために大事なことは、助けが必要なことの「見極め」にある。
見極めとは、後輩の能力×患者の安全性にある。
患者の安全性が確保できない。と思った時はすかさず声をかける。
自分がやった方が早い、物品が無駄になる、医師を待たせる、などの理由は患者の安全性に全く関係ないので一旦経験させてみる。
後輩指導の醍醐味、より多くの成功体験を積ませ、自分のフォロースキルを磨くことにある。
ということを伝えたい。