二人のアントニオ、劇場の人。

このところ、よくイタリアの音楽を聴いている。

否、正確には、イタリア人作曲家の音楽を聴いている。

一人は、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)

もう一人は、アントニオ・サリエリ(1750-1825)

ヴィヴァルディは、四季の作者としてとてもポピュラーな存在であるし、サリエリは、映画『アマデウス』の影の主役として、随分、持ち上げられたから、18世紀のイタリア人作曲家の中でも、取り分け有名な一人となっている。

一口に18世紀と言っても、時代は全く違うし、かたや司祭、かたや宮廷楽長だ。

けれども、二人とも、ヴェネチア共和国の出身で、往時は圧倒的な名声を誇り、ウィーンにて亡くなったのも共通しており、何より、主戦場はオペラの舞台であった。

私は、人間の声が、余り好きではないのか、音楽を聴いていて、人声が入って来るとノイジーだと感じる事が多いので、オペラは殆んど聴かない。

言葉が孕む意味、或いは、物語性が、うるさいのかも分からない。

要するに、唄が嫌いなんだな。

そういう立場(を表明すると、面倒臭い事を言ってくる人が多いから、平生黙ってはいるのだけれども)からすると、ヴィヴァルディもサリエリも、余り、好ましい作家ではない。

ところが皮肉なもので、つい最近まで、二人とも、オペラ作家としての功績は余り再評価される事もないままに、歴史の表舞台に返り咲いてしまったものだから、器楽作品がメインストリームという倒錯の渦中にある。

そうした器楽作品を聴いて思うに、アントニオは二人とも、歌よりは劇の人らしい。

余り、美しい歌は書けない人じゃあないのかな、と思った。

オペラにおける劇的効果を、音楽よりも舞台装置に頼った作品が無数にあった時代に、二人の作品が、どこまで音に頼って書かれたものだったかは知らないけれども、例えばヘンデルとか、或いは、モーツァルトとか、そういう独墺系の作家の方が、一見、メロディアスなのが面白い。

イタリアは歌の国だ。

しかし、それに憧れる辺境の作家の方にこそ、その特徴は開花する。

或いは、単に、日本の音楽教育が、独英式だから、イタリアの音楽よりも、イタリアの音楽に憧れた、ロンドンっ子やウィーンっ子の感性に、より馴染むのかも分からない。

ヴィヴァルディは、女子孤児院の為に、膨大な協奏曲を遺しているから、器楽作家としても生前から高名で、大バッハも、ヴィヴァルディからの影響を強く受けている。

サリエリの方は、正直に言うと、器楽作品は不得手であったんじゃないかと思う。

この人は、モーツァルトよりも少し年長ながら、長く音楽界の頂点に君臨し、長命でもあったから、ベートーヴェンは勿論、二人のフランツ、シューベルトとリストにも音楽を教授している。

一口に、サリエリの音楽と言っても、年代によって、随分と違っており、トレンドはきちんと押さえる勤勉な作家であった様だ。

また、イタリア人ながら、グルックのオペラ改革の支持者でもあったから、その真価は、いろいろ、劇作品に真正面から向き合わないと知れないものがあり、一曲抜き取って、ポピュラー・ソングとして歌える様な造りの人ではない。

だからなのか、サリエリの器楽作品は、一本調子なものが多くてつまらない。

否、ヴィヴァルディのコンチェルトだって、結構、一本調子な所があって、ダラピッコラやストラヴィンスキーが悪態をついたのも、分からないではないものがある。

そういう人達の音楽を、このところ、よく聴いている。

それは、必ずも、面白いことじゃない。

やっぱり、好きにはなれそうにもない。

ヴィヴァルディという人は、少なくとも器楽作家としては早熟だったらしい。

その中にあって、作品番号1の12のトリオ・ソナタは、珍しくヴィヴァルディの未熟な部分が残された作品とされている。

個人的には、ヴィヴァルディを聴くなら、この作品集だ。

素人耳には、どこが未熟かはよく分からないのだけれども、 生気に満ちていて、心地好い。

サリエリの方は、スペインのラ・フォリアの主題による26の変奏曲。

これは、サリエリがオーケストラの為に書いた最後の作品とされている。

音楽家人生の総決算、と言える傑作だったら良かったのかも知れないけど、きっと、それだったら聴いてないかな。

ある種の才能のなさと、能力の高さ、長生して積み重ねて来た時間の重さが、見事に袋小路に迷いこんでいる様な作品で、時代を超越した響きがある。

それは、新しいとか古いとか、そういう問題ではなくって、出来の良し悪しなんてものも考えなくて構わない音楽。

この一作だけでも、サリエリという人を祝福したくなる。

https://youtu.be/8TbmzQHSssM

ヴィヴァルディもサリエリも、今後益々、劇場型の作家としての才能が、再評価される筈だ。

それを、追い掛けたい気持ちは、勿論、ない。

ヴィヴァルディの作品1も、12曲目はフォリアで、こちらもまた、如何にも劇場の作家らしい熱を既に帯びている。

https://youtu.be/7v8zxoEoA_Q

フォリアは、狂気を意味するスペイン発祥の舞曲。

二人ともフォリアが最高だな。

フォリアに基づく変奏曲は、コレッリやラフマニノフの方が有名ではあるし、そちらの方が傑作かも知れないけれども、狂気を聴くなら、ヴィヴァルディやサリエリの方だろう。

それだけ分かればもう十分。

そのくらいには苦手な作家、そして、そのくらいには好きな作品を見つけた作家。

アントニオは、誤解されやすい人達だと思う。

それは、良くも悪くも劇場人の宿命みたいなものだろうから、揶揄もまた花道だ。

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