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#12 最近調子がいいので、鉄道自殺について冷静に考えてみる【週刊自室】

 非存在のあなた、ご機嫌いかが。こちらはぼちぼちです。

 人生における目的喪失防止のために始めたnoteをほっぽって早3ヶ月が経とうとしているこのごろ。
 相変わらず出来損ない人間の私の精神は死を求めて迷走を続け、日記に呪詛の言葉を吐いたり、ギターを叩いたり、亡き祖父の部屋を漁ったり、並行世界の将棋を考えてScratchでプログラムを組んで遊んだり、葬式の時に流したい曲のプレイリストを作って布団で横になって聴きながら号泣したりしていたらnoteの更新なんてとてもできない状況のまま月日が流れに流れてしまいました。
 しかしあれこれ迷走したおかげで最近心の調子が上向いています。どういう因果なのでしょうね。
 そういうことで、週刊ですらなくなった「週刊自室」の記念すべき第12回にあたる今回は、「鉄道自殺」について考えてみようと思います。なんせ調子がいいので。

 なぜ調子がいい時に鉄道自殺について考えるのかといえば、調子が悪い時に鉄道自殺について考えても余計なことしか思いつかないからです。
 物事を冷静に捉えられる今だからこそ、およそ冷静ではない物事について冷静に考えることができるのです。
 ちなみになぜ冷静でない物事の中から鉄道自殺を選んだのかといえば、最近やたらと鉄道自殺のことを考えてしまうからです。恋煩いかな。鉄道自殺は俺のことどう思ってるのかな。同じ空を見上げているよ。

「迷惑な」鉄道自殺の現状

 さて、鉄道自殺と聞いた一部の人々は、「迷惑」「自己中」「死ぬのはいいがこっちの邪魔をするな」「死ぬなら一人で完結させろ」など、マイナスの印象を抱くでしょう。これは確かにもっともな意見です。だって実際迷惑ですし。
 運行状況の乱れはもちろんのこと、運転士や後始末に関わる人間の精神的負荷は計り知れません。
 ちなみにGoogleで「鉄道自殺」と検索すると、「他の人はこちらも検索」の欄に「電車飛び込み いい加減にしろ」と出てきます。みんなコンディション悪いんだね。死ねば楽になれるのに死ねないから必死に生きているというのが人間のかわいらしいところですよね。

 鉄道自殺がどのくらいの頻度で行われているかについて、厚生労働省の令和5年版自殺対策白書(※1)を参照すると、令和4年の自殺者総数について「飛び込み」の割合はおよそ3%にも満たないことがわかります。(ただし20歳未満の自殺者に限ってみれば、その割合は10%を超えます)
 同じく令和4年の自殺者総数が2万1881人であることから雑に計算すると、年間およそ600人程度が鉄道自殺を完遂していることになります。単純に考えると毎日1、2人回鉄道自殺による人身事故が起きているわけです。

 そして、公益財団法人鉄道総合研究所が発行している鉄道総研報告2008年7月号(けっこう昔)の「鉄道人身事故に関する自殺行動モデル」というタイトルの特集論文(※2)では、自殺者が鉄道自殺を選ぶ理由として
「メディアの鉄道人身事故情報によって、「人身事故」と「自殺」「即死・死亡(致死性が高い)」イメージが結び付けられている」
ことが指摘されています。
 確かに私も、「人身事故」と聞けばまず飛び込みを想像しますし、鉄道自殺は首吊りや飛び降りよりも自殺の手段として確実であるという印象を持っていました。
 同稿は、鉄道自殺の抑止手段として「人身事故による影響人員の大きさや、損害賠償、遺族の迷惑を強調すること」の効果を疑問視しています。
 というのも、「自殺しようとしている絶望的な人は、他者の感情について冷静に考えられる状態にないことは容易に想像できる」からです。
 死にたくて死にたくてしょうがない人にとっては、死んだ後の世界のことなんて気にする余裕がありません。そこまで追い詰められている人間に向かって「飛び込みは迷惑だよ」と声をかけたところで意味がないのです。多分ね。
 同稿は、先に指摘した「人身事故」と「自殺」「即死・死亡」の結びつきを弱めていくことが鉄道自殺の防止につながると結論しています。また、根本的には精神衛生面の取り組みが必要であるとも。

 ここまでは、自殺を抑止したい社会側の見解です。
 ここからは、自殺を目論む個人の視座から、鉄道自殺について考えていきます。(別に私が自殺を目論んでいるわけではありません。なんせ調子がいいので)

報復としての鉄道自殺

 先の論文を参考にすれば、鉄道自殺が選択されることの背景のひとつは、自殺の手段において「即死性」や「確実性」が重視されるという点にあると考えることができます。
 死にたい人間からすれば、なるべく長く苦しまずに済むことと確実に死ねることは最も重要な条件です。(後で詳しく述べることですが、どうやら鉄道自殺の即死性・確実性は思ったほどではないみたいです)
 そして、ここからは私の個人的な推論ですが、鉄道自殺が選ばれる理由のもう一つは、初めに述べた鉄道自殺の「迷惑さ」にあるのではないかと考えます。

 鉄道自殺は、社会を生きる人間にとって有害です。
 社会を生きられず、社会に殺された人間が自死を選ぶとき、もしその人間が社会に対して強い怨嗟を抱えているなら、鉄道自殺はその憎き社会に対する力限りの抵抗として機能する、優れた自殺手段として提示されるのではないでしょうか。
 つまりこのとき、鉄道自殺とはささやかな復讐、自爆テロとしての意味を持つのです。

 社会の歯車たる鉄道に乗車する、社会の構成員が、社会の犠牲者をほんとうの意味で殺す。踏み躙る。そうして死んでいった者に手も合わせず、「いい加減にしろ」と怒鳴りつける。

 鉄道自殺とは、実に見事な社会の縮図ではないですか。

 もちろん、この筋書きは綺麗事です。実際には誰が悪いという話ではなく、ただ人間同士の不和があり、精神と肉体の折り合いがつかないことがあるというだけで、その列車を運転している人間にも、乗車している人間にも、罪はありません。
 ただ一人一人が懸命に生きていくために、一人一人が犠牲にならざるを得ないというだけなのです。
 しかし、死を希う人間には、社会という幻想が恨めしく思えてしまうものです。そうして命を絶つ人間にも、きっと罪はありません。

 ではいったい、私たちはどうしたらよいのでしょう。
 「誰が悪い」と言ったところで、誰かの苦しみが解決するわけではありません。轢く人間にも、轢かれる人間にも、決して罪はないのです。
 ですから大事なのは、適度に立ち止まって休みながら、物事について冷静に考えることです。

鉄道自殺は思ったよりしんどい

 そういうわけで、参考になる資料として、鉄道自殺について冷静に考察された記事を紹介します。記事の中で人の記事を紹介します。冷静に考えた結果こうするのが最適であるという結論に至りました。私は悪くない。

「1/100秒単位でシミュレーションした「飛び込み」は、想像を絶する苦痛と絶望に満ちていた」
というタイトルのこちらの記事は、世界のエレクトロニクス動向がわかる総合情報メディア「EE Times Japan」にて、エンジニアの江端智一氏が執筆・連載している『世界を「数字」で回してみよう』の「人身事故」特集の第11回。
 第1回から読んだほうが絶対に面白いと思いますし、そうしないのはあまりに不誠実であると思いますが、鉄道自殺がどれだけしんどいのかを知りたい方はひとまずこちらの記事をお読みください。
 ざっくり説明すると、「ちゃんと轢かれたとしても死ぬまで時間がかかる可能性が高」く、「そもそも列車との位置関係的にちゃんと轢かれない可能性がある」らしいですよ、奥さん。
 どうやら鉄道自殺は、思ったよりもしんどそうです。
 他の回もいろいろ読んでみると、自殺の違法性とか、ホームドア設置のコストと人身事故の処理コストの比較とか、人身事故のうち「酔っ払い」が結構な割合いることとか、興味深い記述が山ほどあります。ぜひご覧になってください。自殺を検討している方ほど読みやすい内容だと思います。

やっぱり自殺は錬金術

 鉄道自殺は、しんどい。
 自殺の探究がこうした「結局自殺って難しいんだな」という結論に落ち着きがちなことについては週刊自室#2で述べましたが、鉄道自殺についても例外ではないようです。というかこの連載自殺の話しすぎ。週刊自室の半分は自殺願望でできている。もう半分は怠惰。

 俺たちは結局、生きていかざるを得ない。

 最近の私は調子がいいのでその事実を平気で受け入れることができますが、調子がよくなかったらそうはいかないでしょう。
 過去の調子がよくない私に何か言葉をかけるとするなら、調子がよくなった私の回答はひとつです。

「元気が出るまで寝ていよう」

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(※1)

第一章 自殺の現状 3及び4より(2024/09/17閲覧)

(※2)

(2024/09/17閲覧)

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