#5 ツツジは置かれた場所で咲くというのに、お前ときたら【週刊自室】
この間、精神科で薬をもらった帰りのことだ。
最近は睡眠生活の調子が良く、気分も優れた状態が続いていたため、チリチリと雨粒の描線が紛れるローコントラストな視界さえ、その日の僕にとってはさわやかな春の一場面だった。
自宅からクリニックまでの二十分程度の道のりは、普段ならそのほとんどが、舗装されて大地と隔絶した病的に安らかな道を訥々と歩いてゆくだけの実に味気ない作業でしかなかったが、その日は違った。
咲いている。
花が咲いているのだ。
心から喜ばしい意味で、道々に花が咲いているのだ。
僕にはそれが信じられなかった。
なぜなら僕は、植物が苦手だからだ。
草木というのは本当に気持ちが悪い。
「くさい」「きもい」を略して「草木」なのではないかと疑っていた時期があるくらい、僕にとって草花や樹木というのは警戒すべき対象だ。
昆虫などという忌まわしき豊かな生態系がひそむ草木。
珍妙な風味と色彩をまとった邪悪な花を咲かせる草木。
ああ、草木よ、できれば僕から少し距離を取るように心がけてくれないか。
そう思い続けていたはずの草木から出でた花々が、心底喜ばしいことにあたりいちめんに咲き誇っているのだ。
僕は道の生垣に近づいて、至近距離からその花々を眺めた。
ラッパ状に開いた赤紫色の花は、雨露を上品にまとって儚げに俯いている。
触れただけで破れてしまいそうなほど薄い花弁。
職人の工芸品のように細かくつくられた雄しべ。
その繊細な造形物が、生垣にせめぎ合うように無数に咲いているのだ。
僕はしばらくそのけなげな姿に見惚れていた。
「ツツジだね」
付き添いの母が言った。
そうか、これはツツジというのか。
一歩下がって周りを見ると、生垣には白い花も咲いていた。近づいてみると、これもツツジだった。
花弁の向こう側が透けて見えそうなほどに切実な生を漂わせるその花は、薄弱な見目形の背後にしたたかな生命力を匂わせていた。
雨という条件も良かったのだろう。滴を身にまとうことでその生は劇的さを増し、内なるコントラストがこのツツジという花の存在を際立たせていた。
僕はようやく、花というものの美しさを理解できた。
いままでずっと、誤解していたのだ。
花というのは、生理的嫌悪の温床ではない。
花は置かれた場所で、その身に降りかかる全てを甘んじて受け入れる。
そして、花はその寛容さでもって、あくせく動く私たちを静かに見守っているのだ。
(ここで「寛容植物」というダジャレを思いついたが、微妙なので書かないことにした。ダジャレは言わぬが花である)
数日後、僕はカウンセリング通院を始めるためにふたたびクリニックを訪れた。
カウンセラーからオリエンテーションを受けつつ、こちらの状況を説明する。
「通院の費用は親御さんが支払っている感じですか?」
「はい、そうです」
そういうことを確認される歳になったのだなあ、と心を縮こませながら思った。
「まあそういう方が多いですからね。はじめは」
はじめは。はじめはである。つまり自立しろということだ。
一通り説明が済んだ後、契約書にサインをする。
ボールペンで文字を書くのは苦手だ。力の入れ方が難しく、ペン先がよく滑ってしまう。
貧相な字で名前を書き、そもそも心が貧相だからなあ、と余計なことを考えた。
これまた下手くそな三つ折りで契約書をしまい、母親が会計を済ますのを見守る。
一家で僕だけ妙に背が高いので、うどの大木として人間を見守っているような気持ちだ(残念ながら僕は花と違って寛容ではないけれど)。
そのまた数日後。
僕は市立図書館を訪れた。
この社会でやたら持ち上げられている「かわいい女の子」という支配的概念にまつわる(自由)研究的記事を書くために、関連しそうな書籍を借り集めるのが目的だった。
いろいろ借りるついでに『働かない息子・娘に親がすべき35のこと』という本も借りた。親の視点に立ってみようと思って。
研究に役立ちそうな本がいくつも見つかったので、僕はほくほくしながら帰路についた。
自宅まであとちょっとのところで、近所の世話焼きなおばあさま(以下「対象イ」とする)に遭遇した。
対象イは僕を視認するとすぐさま「大きくなったねえ〜」と発言。僕は気分が良かったので、「おかげさまで」だとかそれらしく受け答えすることにした。
対象イは、僕の背丈を指摘したあと順当に「今いくつ? もう大学生?」と僕の年齢を確認するタスクに移行した。
僕は答えに窮した。朗らかな青年の笑みが醜い穀潰しの諦めにも似た無表情に変化していくのを、自分でもはっきりと感知できた。
僕は大学に進学したわけでもなければ、浪人しているつもりもない。だが高校生でもない。しかも高校を卒業したわけでもない。
高校を三年いっぱいで中退し、そのまま勉強も就労もせずぼんやりと生きているだけの家族の金食い虫である。不良債権である。癌である。
僕は苦しい説明を試みた。
「いや、大学には行ってないです」
「あら、じゃあ高校三年生か」
「いや、高校はもう、終わって......」(「卒業して」と言いかけたが誤魔化すことにした)
「なに、大学は行かないの?」
「どうしようかなあって感じです」
「行けるなら行きなさいよ。別に片親とかでさ、お金がないとかいう訳でもないんだしさ。もう通用しないよ? 見下されるよ? それでいいってんならいいけどさ。受験自体はしたの?」
「しませんでした。ちょっと心の調子が悪くて......」
......
僕の意識は次第に不安定になっていった。
たしかこの後「たまにうちに遊びにきなさいよ。家にこもってばっかじゃ視野が広がらないでしょ? こういうばばあ(本当にそう言った。さわやかな自虐だ)と話したらさ、考えが変わるよ」とか言われたような覚えがある。
それで適応障害が治るのならずいぶんとまあラクな話だ。期待よりも忌避感情が勝つけれど。
やっぱり無理にでも受験勉強をするべきなのだろうか。
このまま歳を取っていったら、僕はいよいよ手の付けようもない化け物になってしまうのだろうか。
帰宅した僕は、すぐに『働かない息子・娘に親がすべき35のこと』をカバンから取り出して読んだ。読みに読んだ。一瞬で読了した。
「一年経ったら家から追い出す覚悟で」とか書いてあった。子離れしろということらしい。わかりました。
病気を言い訳に人生を放棄している自分を俯瞰して、あのツツジの花を思い出す。
ツツジは置かれた場所で咲いている。雨粒さえも器用に自分に飾りつけてみせる。そうして沈黙の中に居場所を見つける。
僕はツツジのようにはなれなかった。
ビニールハウスの中で丁重に育てられて、甘い露だけをおもう存分吸収して、そして腐敗した。
花も実もなく、ただ貧しい根と弱々しい茎、萎びた蕾があるだけ。
僕は外の世界を知らない。そして全てを外の世界のせいにしようとしている。
そうして別の世界へ脱出しようとしている。
一切の苦痛も悲劇もない、虚空の世界へ。
僕はあまりに幼く、身勝手で、無責任だ。
そういうもっともらしいことを考えながら、今日も僕は本を読んで文章を書いてギターを弾いてYouTubeを観てSwitchでカービィを遊んだ。
多分死ぬまでこんな調子だと思います。
生きてるあいだ、よろしくね!
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