ドリフトしちゃう?ブレーキとアクセルの件
(2020年11月13日のFacebook投稿より。)
経済的な意味、あるいは文化的な意味でのコロナ禍は、ブレーキを踏みすぎという観点から、ほぼ人災だと思っている。
まあ、それは3月来、そう思っているわけですが。
ときに、「ブレーキとアクセルを同時に踏むとドリフトしちゃうだろ」的なことがもっともらしく発言されていたりするが(感染対策がブレーキで、経済対策がアクセルということですね)、そもそも国家政策なんて、ブレーキとアクセルを両方踏むのが普通なのです。もしドリフトしちゃうなら、それを操るのが政治の仕事です。
たとえば二酸化炭素の排出削減にしたって、ブレーキとアクセルの両方のバランスが必要だし、農業振興を例にしても、農業経営に対していろいろな支援をしつつ、その一方で輸入関税を下げたりもする。
政策って、そもそもそういうものなんだけど。
で、そうしたときに、コロナ禍での死者数が同じ感染症でも結核の年間死者数にも届いていない事実と、一流企業ですらリストラせざるをえず、自治体も財政の余裕を失っている状況を比較すると、その悲惨さは表現する言葉もない。
言い換えれば、新型コロナで失われる命と、それ以外の原因で失われる命の、公平性、そのバランスが完全に壊れているということで、経済どうこうはさておいたとしても、【倫理的観点から言って】まずい状況だと言わざるをえないわけです。
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