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デヴィッドRホーキンズさん 歴史的概要

デヴィッドRホーキンズさんを、ネットで調査した所、1927年生まれで、2012年9月19日KIN114にセドナで光に還られたという情報でした。

今日は2021/12/23 KIN114で、光に還られた日とマヤ暦の番号が同じベストタイミングなので、「生まれ持った真理」を教えて頂いた感謝の気持ちで、この投稿を出したいと思います。

すべては一人ひとりの自由意志の世界ですが、僕は、デヴィッドRホーキンズ著の「I<わたし>真実と主観性」の本に、認識できる言葉で書いてある【生まれ持った真理】を、たくさんの一人ひとりの方が認識することは、優しい世界を創るための啓蒙だと思っており、繰り返し繰り返し発信しています。言葉を変えれば、本当のあなた、無条件の愛のあなたに気づける内容なので、是非知って欲しい啓蒙です。

真理の内容ですので、さすがに1回読むだけで内容が理解できて説明できる本ではありません。500ページの内容の中から、大切な部分を抜き取って、霊的探究の入り口を創っています。

気づいている心は、みんな平等に持っています。気づいている心の気づきは自律的で、考えたり解明したりするのではなく、知っている状態を基盤にしています。言い換えれば、計算的でなく、自発的かつ静かに機能します。愛が基盤です。

今回は、デヴィッドRホーキンズさんの歴史的概要の部分を、気づている心の立ち位置で、そのまま伝えさせていただきます。

歴史的概要「I<わたし>真実と主観性」

(『パワーかフォースか』、『The Eye of the I』の中の、著者の歴史的背景を綴った「著者について」から、抜粋)

わたしの生涯を通しての強烈な意識の状態は幼年期に始まりました。それは、最初にインスピレーションとなって現れ、その後、主観的悟りのプロセスを進むための指針の役割を果たしました。

わずか三歳のときに、突如存在のあるがままの状態に完全に目覚めるという現象が起こりました。非言語的な部分で深遠な”存在”の意味を完璧に理解すると、すぐにそもそも”わたし”は存在していないのではないかという身も縮むような恐ろしい洞察が訪れました。おぼろげな意識が突然、自覚的な気づきに目覚めた瞬間に、個人的な自己が生まれ、”is(そうである状態)”、”is not(そうでない状態)”の二元性が主観的意識の中に立ち現れたのです。

子供時代と思春期を通して、存在の抱える矛盾と自己の本性への問いが絶えず心を占めていました。時折、個人的自己がより大きな非個人的な「自己」の中にすべり込むと、当初の非ー存在(non-existence)の恐怖ーー無に対する根源的な怖れーーが再燃しました。

ウィスコンシン州の田舎町で、十七マイルのコースを自転車で回りながら新聞配達をしていた一九三九年の頃、家から数マイル離れた真っ暗な冬の夜道で氷点下二十度の猛吹雪に襲われたことがありました。自転車は氷の上に倒れてしまい、荒れ狂う風が新聞を荷台からもぎ取り、雪に覆われた凍結した地面一帯に吹き飛ばしてしまいました。悔しさと疲労の涙がにじみ、着ていた服は氷ついてこわばっていました。わたしは、暴風から逃れるために、高く積もった雪堤(せってい)の凍てついた外壁を砕いて隙間をつくり、中に滑り込みました。程なくすると震えが止まり、えも言われぬ温かさに包み込まれ、あらゆる描写を超えた平安が訪れたのです。そこには、自らの本質と不可分の始まりも終わりもない、光と無限の愛の臨在(りんざい)が充溢(じゅういつ)していました。肉体と外界の感覚が次第に薄れていき、気づきはあまねく存在する光に照らされた状態と融合していきました。心に静寂が広がり、あらゆる思考がやみました。「無限なる臨在(プレゼンス)」が存在するものすべて、あるいはそこに唯一存在できるものとなり、時間もいかなる描写も超えていました。

りん‐ざい【臨在】〔名〕 キリスト教で、見えない神がそこに存在すること。また、人の行為を通して、神がはたらきかけたこと。
じゅう‐いつ【充溢】[名](スル)満ちあふれること。

デジタル大辞泉

どれくらい時間が経ったのでしょうか。何者かが膝をゆらし、不意に意識が戻りました。ーーそこには不安げな表情をした父の姿がありました。肉体とそれに付随するすべてに戻ることはひどく億劫でしたが、父の愛と苦悶(くもん)のおかげで、「霊(スピリット)」は肉体に滋養と活力を注いだのです。父の死への恐怖に同情しましたが、同時に死という概念そのものが不条理に感じられました。

わたしはこの主観的体験について口にすることはありませんでした。というのも、その体験を描写する手がかりとなるようなものは何もありませんでしたし、聖人たちの生涯を記した文書以外、ほとんど霊的経験について耳にすることはなかったからです。しかし、その体験以後、現実として認識される世の中の出来事は、仮のものでしかないと感じるようになりました。伝統的な宗教の教えは重要性を失いました。存在するものすべてを輝かせる「神性の光」に比べると、伝統的な宗教の神は鈍くくすぶっているだけでした。こうして、霊性(スピリチュアリティ)が宗教に取ってかわったこのです。

それから、第二次世界大戦、掃海艇での危険な任務に就いたとき、しばしば死の危険に瀕しましたが、死ぬことに恐怖を感じることはありませんでした。あたかも死そのものが信憑性を失ってしまったかのようでした。戦後は、心の複雑さに興味を抱いていたことから精神医学を学び、医学部に進み研修医になることにしました。精神分析医になるための指導をしてくれたコロンビア大学の教授は不可知論者でした。わたしたちはともに宗教に対して懐疑的でした。わたしは精神分析でよい成績をあげ、キャリアも順調に進み、成功を手に入れました。

けれども専門家としてのストレスの多い生活から徐々に致命的な病が進行し、どんな治療法も効果を示すことはありませんでした。三十八歳にしてわたしは極限状態に追いつめられ、死期が迫っていることを悟ったのです。肉体に関心はなかったのですが、霊(スピリット)がひどい苦闘と絶望感にさいなまれていました。そして最後の瞬間が近づいたとき、次の言葉がふと頭によぎったのです。「もし神が本当に存在するのだとしたら?」。それからわたしは声に出して祈りました。「神よ、あなたがいらっしゃるのなら、どうかわたしを助けてください」と。神が何であれ、すべてを明け渡すと、意識は忘却の淵に沈んでいきました。再び意識が回復したとき、何か途方もなく大きな変容が起こり、ただ沈黙と畏怖の念が広がっていました。

もはや”個人”は存在しませんでした。個人的な”わたし”も自己も自我(エゴ)もなく、ただ”わたし”に取って代わった限りないパワーの「無限なる存在」があったのです。身体とその行動は、完全にその「臨在の無限なる意志」によって統制されていました。世界は、「無限なるワンネス(一体性)」の明瞭さによって光り輝いていました。万物は、「神性」の表現としてその無限の美と完璧さをあらわにしたのです。

その後も、静寂はとどまり続けました。個人的な意志は消滅し、肉体は限りなく力強くありながら、この上なく優しい「臨在の意志」に完全に従っていました。

その状態では何も考える必要はありませんでした。すべての真理はおのずと明かされ、いかなる概念化も不要となり、可能でさえありませんでした。また肉体の神経系にはひどい負担がかかり、あたかも神経回路の耐性を大幅に上回るエネルギーを抱えているかのようでした。

世界にうまく機能することはもはや不可能でした。あらゆる怖れや不安とともに通常の意欲がなくなったのです。すべては完璧なので、求めるものは何もありませんでした。名声や成功、お金は意味を失いました。友人から、診療の現場に復帰するように説得されましたが、その気がまったく起こりませんでした。

けれども、わたしは人格の下に横たわる真実を知覚する能力を持っていることに気づいたのです。感情の病は、それが自分の性格だと思う信条が原因しているのです。臨床診療はおのずと再開され、最終的には以前よりも拡大していきました。

外来患者が二千人以上にも膨れ上がったので、五十人以上のセラピストや他の従業員に加えて、二十五の診療室と、研究所や脳波計の実験室も置かれました。さらに、毎年千人もの新患が訪れました。また、ラジオやテレビ番組にも取材を受けました。一九七三年にライナス・ボーリング教授と共著で「OrthomoleccularPsychiatry(正常生体分子の精神医学)」という本を著し、臨床研究の成果を発表しました。しかし、当時からすると十年先の内容だったので、精神医学会に波紋を投げかける結果となりました。

当時苦しんでいた神経系の状態が全体的に少しづつ改善されるにしたがって、新たな症状が現れました。甘美なエネルギーの束が絶えず脊髄から脳に逆流し、強烈な快感を伴うようになったのです。人生の出来事がすべて共時的に起こり、完璧な調和の中で展開していきました。奇跡は日常的に起こるようになりました。世の中が奇跡と呼ぶ現象の起源は「臨在」にあり、個人的な自己とは無関係でした。残された個人的な、”わたし”はただそうした現象に気づいているだけでした。かつての自己や思考よりも深く、偉大な<わたし>がすべての決断を下していたのです。

歴史を遡って調べてみると、同じ状態について言及した存在がいました。こうしてわたしは霊的文献を調べ始め、ブッダや覚醒した聖人、黄檗(おうばく)禅師、近年の覚者ではラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの教えに目を通しました。そして、このような状態が特殊ではないことを確認できました。いまや『バガヴァッド・ギーター』も完全に腑に落ちるのでした。また、シュリ・ラーマクリシュナやキリスト教の聖人たちが報告した霊的エクスタシーとまったく同じ現象がたびたびわたしにも起こっていました。

日課だった朝と夕食前の一時間前の瞑想は中止せざるを得ない状況になっていました。というのも、余計に至福の状態を増幅させて、まったく社会に機能できなくなってしまったからです。あの雪堤の中で経験したような現象がたびたび訪れ、そうなると元の状態に戻るのがきわめて困難になりました。万物の息を呑むような美が完璧さの中で輝き、世の中が醜態と見るものも、わたしには不朽の美以外の何物でもありませんでした。霊的な愛があらゆる知覚や、こことあそこ、かつてと今といった制限を飲み込み、分離を溶解してしまったのです。

内なる沈黙とともに数年を経るうちに、「臨在」の強さが増していきました。人生はもはや個人的なものではなく、そのような意志さえもありませんでした。個人的な”わたし”は消滅して、「無限なる臨在」の道具となり、通常通りに生活を送りながら、「臨在」の意志のままに行動していました。訪問者は、「臨在」のオーラから限りない平安を感じていました。答えを求めて訪ねてきた探究者も、かつてのわたしの自己のような個人性を失い、自らの「自己」から答えを導き出して帰っていきました。彼らの「自己」も、わたしの「自己」も何ら変わりないものでした。同じ「自己」が各人の瞳から輝きを放っていました。

常識では想像できないような奇跡がひとりでに起こりました。数年間悩まされ続けた肉体の慢性的な疾患も消滅してしまいました。視力も自然と回復し、それまでずっとかけていた遠近両用メガネも必要なくなりました。突如ハートから、「無限なる愛」のえもいわれぬ至福のエネルギーが放出されて災難の現場に降り注ぎ、奇跡的な救済を起こすこともしばしばでした。

予期しない状況で、何の前触れもなく著しい知覚の変容が起こることもありました。それまでは通常通りに分離していた景色や人々が、突如時を超えた普遍の一体性の中に溶解するまで、圧倒的な「臨在」が押し寄せてくることもありました。

静止した「沈黙」の中では、”出来事”も”事実”も存在しません。実際に何事も”起こって”いないのです。なぜなら、過去・現在・未来も、生死から逃れることのできない分離した”わたし”という幻想も知覚の人工物にすぎないからです。

制限された偽りの自己が、真の源である普遍的な「自己」の中に溶解すると、ようやく家に帰り着いたという筆舌に尽くしがたい感覚に包まれ、究極の平安とあらゆる苦悩からの解放感が訪れます。そして、全ての苦しみの原因は、自分が分離した個人であると思い込む幻想にあることがわかります。自らが宇宙で、完結しており、「存在するものすべて」とひとつであることがわかると、未来永劫苦しむことはあり得ません。

私のもとには世界各国から患者がやってきました。なかには、最も絶望的な患者もいました。はるか遠くの病院から、移送用のシートにぐるぐる巻きにされた患者がグロテスクに身悶えしながら担ぎ込まれてきました。彼らは進行型の精神病や、末期的で治療不可能と思われる精神疾患の治療のためにやってきたのです。数年間も口をきいていない緊張型統合失調症の患者もいました。けれども、どんな患者の中にも、その変わり果てた姿の背後に、輝く愛と美の本質が横たわっていました。おそらく通常の視覚にはその本質があまりにも覆い隠されて見えなかったせいで、この世では全く愛されざるべき存在となってしまったのです。

ある日、拘束衣を着た、口のきけない緊張型の患者が病院に運ばれてきました。彼女は重度の神経障害も患っていたので、立つこともできませんでした。床の上でのたうち回り、けいれんを起こして目をむいてしまいました。彼女の髪はかき乱れ、服も破れ、のどから奇妙な音を発していました。両親が比較的裕福だったため、彼女は世界中の数えきれないほどの医師や著名な専門家の診療を受けましたが、どんな治療も功を奏さず、絶望的な病状としてさじを投げられていました。

彼女を見ると、わたしの中にふと短い、非言語的な問いが生じました。「神よ私が彼女に対して何をすることを望んでいるのですか?」。すると、彼女はただ愛されたいだけだということがわかりましたーーただ、それだけでした。彼女の内なる自己が瞳から輝き出したかと思うと、愛情に満ちあふれる「臨在」と彼女の「自己」が交流し始めました。その瞬間、彼女は癒されたのです。自らの本性に目覚めることで、癒しが起こったのです。心と体に起こったことに、もはや彼女はわずらわされることはありませんでした。

同じ現象が数えきれない患者の間で起こりました。公衆の面前で回復した患者もいれば、回復しない患者もいましたが、臨床的に回復したかどうかはもはや彼らにとって重要なことではありませんでした。彼らの内的な苦悶に終止符が打たれたのです。愛されている実感を得られ、内面に平和を感じたときに、苦痛は消滅したのです。「臨在の慈悲」によって患者の現実のコンテクスト(文脈/状況)が変化することで、目に見える世界を超えた次元で癒しが起こったということでしか、この現象を説明することは出来ません。このように「自己」の内なる平和は、時間とアイデンティティを超えてわたしたちを包含しているのです。

すべての痛みや苦しみはひとえに自我(エゴ)から生じるものであって、神からではないことは明らかです。この真理は無言のうちに、患者の心に伝えられました。患者の心に同じような心の障害物によって数年間も口をきいていない別の緊張病の患者がいました。その患者の心にも「自己」が直接語りかけました。「自我(エゴ)があなたにしてきたことに対して、あなたは神を非難しているのではありませんか?」。すると彼は床に飛び降りて、突如話し始めたのです。一部始終を目撃したナースの衝撃は非常に大きなものでした。

診療の仕事はどんどん増えていき、最終的に収拾がつかない状態にまで膨れ上がりました。患者を収容するために病棟を増設したにもかかわらず、空きのベッドを待つ患者であふれかえっていました。一度に一人の苦しみにしか対応できないのが、わたし自身の大きなストレスになっていました。まるで大海から水をすくっているかのようでした。そうした中で、絶え間なく生じる人類の霊的な痛みや苦しみには共通の原因があり、それを別の方法で伝えられるに違いないと思い始めていました。

そして、そのことがキネシオロジー(筋肉反射)の研究につながり、驚くような発見をもたらしたのです。キネシオロジーは、二つの宇宙ーー肉体世界と心(マインド)・霊(スピリット)の世界ーーの”ワームホール”であり、異なる次元をつなぐ手段であることがわかりました。ルーツを見失った眠れる人々であふれかえる世界において、キネシオロジーは本質を回復させるツールであると同時に、誰にでもわかる形で、どれほど自らが高い次元の真理と切り離されているのかを見せてくれるものでした。わたしたちは、思いつくかぎりありとあらゆる物質や考え、概念をテストしてみました。このとき、どれほど生徒や助手たちに協力してもらったか分かりません。

調査を進めるなかで、重大な発見がありました。それは、すべての被験者が蛍光灯や農薬、人工甘味料などのネガティブな刺激物に対して弱い反応を示す一方で、気づきのレベルを深めた霊的(スピリチュアル)な生徒たちは、通常の被験者ほど弱い反応を示さなかったということです。霊的な生徒たちの意識には、重要で決定的な変化が起こっていました。中でも最も顕著だったのは、自分を翻弄していたのは世界ではなく、ただ心が持っている信条だけだったという気づきがもたらした変化でした。おそらく覚醒に向かって成長するプロセスそのものが、病気を含めた存在の試練に対する抵抗力を強めてくれるのでしょう。

「自己」は、ただ思い描くだけで世界を変えていく力を持っています。愛は、愛がない状態を愛に置き換えるたびに世の中に変化をもたらしました。この愛のパワーを特定地点にふり注ぐだけで、文明の構造そのものに大きな変化をもたらすことができたのではないでしょうか。それが起こったときに、いつでも歴史に新たな岐路が生まれたのです。

現在ではこの重要な洞察を世界に伝えるだけではなく、紛れもない方法で、公衆の面前で実証できるようになりました。振り返ってみても、人生の悲劇は心が簡単にだまされてしまうことに由来していました。不和と争いは、真偽を見極めることができない人類の必然的な結果なのです。しかし、ここにこの根本的なジレンマを解決する答えがあります。意識の特性をまったく新しいコンテクスト(文脈/状況)の中で認識し、推測するしかなかったその特性を説明可能にする方法です。

その後、わたしはそれまでの生活と、それにまつわるすべてのものを後にして、小さな町で隠居生活を送る必要がありました。それからの七年間は、瞑想と研究に費やしました。

当時は求めずともひとりでに圧倒的な至福の状態に包まれたので、わたしは「神性の臨在」とともにいながら、世の中で機能する方法を模索しなければなりませんでした。また、世界で何が起こっているのか、認識できなくなっていました。わたしは研究や執筆を続けるために、すべての霊的な実践方法を中止して物質世界に集中する訓練をしなければなりませんでした。

神秘家の領域であるたぐいまれな真理の主観的体験は、霊的なエネルギーを集合意識にふり注ぐことによって、全人類に影響を与えることができます。けれども、こうした認識は一握りの霊的研究者に理解されるだけで、人類のほとんどにはわからないことです。ですから、わたしは通常の意識に近づくように努めました。通常の状態も「神性」の表現のひとつであることには違いないので、わたしは自らの本質の真理を、日常生活の中で見出そうとしました。その際、唯一必要なのは、どんなときも優しさと思いやりを持って生活することです。そうすれば、必要な事はすべて、最善のタイミングでおのずと明かされていきます。ありふれた日常も神から切り離されてはいないのです。

長い長い霊(スピリット)の旅路の末に、ようやくいちばん大切な使命にたどりつきました。それは「臨在」をできるかぎり多くの人々の近くに届けることでした。

りん‐ざい【臨在】〔名〕 キリスト教で、見えない神がそこに存在すること。また、人の行為を通して、神がはたらきかけたこと。

「臨在」は静寂で、平安を運んできます。それは、「存在するものすべて」が生まれ、現す場所です。「臨在」はどこまでも優しく、しかも岩のように堅固です。「臨在」とともにいれば、あらゆる怖れが消え去ります。霊的な喜びは、ふつふつと言葉にできない恍惚とした静寂のレベルからわき起こってきます。時間の感覚は消滅します。不安も後悔も、痛みも期待もありません。喜びの源は途絶えることなく、こんこんとわき続けます。始まりも終わりもなければ、喪失感も悲嘆も欲望もありません。万物はすでに完璧で完結しているので、すべきことは何もありません。

時間が停止したとき、あらゆる問題も消え去ります。問題は視点の人工物にすぎません。「臨在」が浸透すると、肉体や心と同一化することがなくなります。心が沈黙に沈み、「I Am(わたしは在る)」という考えさえもなくなったとき、「純然たる気づき」が立ち現れ、すべての世界、宇宙、時間を超え、始まりも終わりもない、わたしがそうであるもの、かつでそうであったもの、そしてこれからもずっとそうであり続けるものを光り輝かせるのです。

人は、「どうすればそのような気づきの状態に至れるのだろうか」と不思議がります。けれども、その道はあまりにもシンプルなので、ほとんどの人がそれに続こうとはしません。はじめに、わたしにはそのような状態に達したいという強い願望がありました。次に、どんなことがあろうと例外なく、絶えず普遍的な赦しと優しさを行為にする訓練に移りました。すべてに対して慈悲深さを持たなければならず、それには自分自身や自らの考えも含まれました。次にやってくるのは、自らの欲望を中断し、あらゆる瞬間に個人的な意志を明け渡す訓練です。すべての考えや感情、欲望、功績を神に明け渡すたびに、心は静まっていくのです。最初にすべての物語とその段落を手放し、次に細かい考えや概念の数々を明け渡しました。思考を所有しようとする欲求を手放すと、思考は精密な形を持つ前に、半分で崩れ去ってしまいます。最終的には、思考になる前の段階で、考えるというプロセスそのものの背後にあるエネルギーを放棄することが可能になりました。

さらに、瞑想していても一瞬も妨げられることがないほど、たゆみなく意識を一点に集中させる訓練を行い、日常の雑務をこなしているときもそれを続けました。はじめのうちはものすごい努力を要するのですが、時間が経つうちに習慣となって自動的になるので、どんどん努力がいらなくなります。最終的には、まったく努力を必要としなくなります。このプロセスは、地球から発射されるロケットに似ています。発射直後は甚大なエネルギーを要しますが、地球の重力から離れるにしたがって必要なエネルギーは減少し、最終的に宇宙の無重力空間に入れば、自らの勢いだけで進むことができます。

そして、何の前触れもなく突然の気づきの転換が起こると、そこには紛れもない、すべてを包含する「臨在」が広がっていました。自我(エゴ)が死滅するわずかな時間に強烈な不安に襲われましたが、絶対的な「臨在」に満たされると、一瞬のうちに畏怖の念がわき起こりました。このブレイクスルーは鮮烈なもので、これほどまでに強烈な体験はかつてしたことがありませんでした。この世のどんな体験もそれに匹敵するものはありません。その衝撃は計り知れないものでしたが、「臨在」の愛が和らげてくれました。もし、「臨在」の愛の援助と保護がなければ、誰も生き延びることはできないでしょう。

いふ【畏怖】《名・ス他》恐れおののくこと。

自我(エゴ)が存在にしがみつき、無と化してしまうことを恐れたので、恐怖に襲われる瞬間も続きました。けれども自我(エゴ)が死に絶えると、代わりに「完全なるものとしての自己」ーー本質の完璧な表現であり、万物を認識する「すべてなるもの」ーーが立ち現れました。自らはすべてであり、かつてもそうであり、それ以外の何ものでもないという気づきが非局所的に起こります。わたしたちは完全かつ完璧であり、あらゆるアイデンティティや性別も超越し、人間であることさえも超越しています。ここに至れば、もはや苦悩や死に怯える必要は永遠になくなります。

自己が終焉を迎えるこの最終段階において、わずかに残った存在と非存在の二元性は「普遍的な神性」の中に溶解してしまい、もはや選択できるような個人的な意識は残されていません。そして、最後の一歩は「神ご自身」が踏まれるのです。

1995年 デヴィッド・R・ホーキンズ

10000字になりました。ほとんどの人が体験をしたことのない領域を、言葉で現してもらっていると思います。

そして、504ページの本には、「生まれ持った真理」が書いてありました。それを4~5回読んで、抽出した部分が下記の所です。

人は、「どうすればそのような気づきの状態に至れるのだろうか」と不思議がります。けれども、その道はあまりにもシンプルなので、ほとんどの人がそれに続こうとはしません。

あまりにもシンプルな世界なのですね。愛が基盤の気づいている心の立ち位置で居続けるには、僕も、まだまだ×たくさん訓練中です。動物脳(本能)=自我(エゴ)=考える心=チンピラがやってきます。もうやってこないでしょうと思っていたら、思いっきりやってきます。でも、その対策は、自分の中でちょっと気づけたので、今までの自分のやり方に執着せずに絶えず普遍的な赦しと優しさを行為にする訓練をしていきたいと思います。

追記:これを書いた後にもチンピラ=自我(エゴ)がやってきて、同一化してしまいました。しかし、その自分も、本当の”わたし”ではないので、自分をゆるして、慈悲、赦し、寛容、忍耐で行こうと思いました。今は大丈夫ですが、それを続けていきたいと思います。

追記:2022/12/27 KIN223 この記事を書いてから、ちょうど1年が経ちました。1年間で、気づけたことがたくさんありました。愛と平和の立ち位置で、啓蒙を続けていきたいと思います。どんなときも、優しさと思いやりをもって生活をすることです。で、動画が生まれました。↓


みんなで共に、喜びで霊的な成長をしていきましょう。


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