「名言との対話」7月10日。岡井隆「だめな人間だったわたしは、それでも歌のおかげで、なんとか生きて来られたのである」
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - 2020年(令和2年)7月10日)は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。 享年92。
名古屋出身。旭丘高校を経て慶應大学医学部卒。内科医としてながく病院につとめる。医業と文学のせめぎ合いの人生だった。1946年「アララギ」に入会。1951年近藤芳美らと「未来」を創刊。1955年頃より塚本邦雄らと前衛短歌運動をおこし、歌集「斉唱」で注目をあびる。「禁忌と好色」で迢空賞。現代短歌大賞。「ヴォツェック/海と陸」ほかで毎日芸術賞。「馴鹿(トナカイ)時代今か来向かふ」で読売文学賞。
1983年から、中日新聞・東京新聞に『けさのことば』を長年にわたって連載していた。1990年6月から2014年3月まで、日本経済新聞歌壇の選者を務めた。1993年より宮中歌会始選者を21年間つとめた。2007年から宮内庁御用掛。2016年、文化功労者。
1975年の『鵞卵亭』(1975)から、短歌がもつ韻律の美しさを生かし、のびやかに現代人の内面を抉るようになる。1994年の『神の仕事場』あたりから、文語に口語文体を調和させるなど柔軟な作風を繰り広げる。定型詩の可能性を模索し、写実に偏りがちな短歌に思想性や社会性を持ち込み、虚構も大胆に詠み、英語や口語もふんだんに取り入れる。試行を続けてきた存在として、新しい世代に与えた影響は大きい。
1920年生まれの塚本邦雄、1935年生まれの寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人である。岡井によれば、前衛短歌運動は、象徴や比喩を多用し虚構も扱えば短歌にももっといろんなことが可能になるという、外からの短歌滅亡論への反論だった。また内では前衛狩りの歌壇の風潮と戦った。
以下、岡井隆の作品から気に入ったものを取り出した。
恩寵のごとひっそりと陽が差して愛してはならないと言ひたり
うつくしき女と会ひし中欧のカフェテラスより現在が生まれつ
曙の光の中で読むときに昨夜の書(ふみ)の顏変わりゆく
薬品にほとんど近き食品が勢ぞろひして寒し地下売場
才能を疑いて去りし学なりき今日新しき心に聴く原子核論
草刈りの女を眼もて姦すまでま昼の部屋のあつき爪立ち
かくのごとくわれもありしか青春とよびてかなしき閑暇の刑は
おおわが朱色の聴診器死へむきてあへぐひとりも夕映のなか
或る友を幸福の側へ差別してわれはも寝たり菊のごとくに
売春と売文の差のいくばくぞ銀ほしがりて書きゐたりけり
朝思へばぼくより幸福な奴なんてゐるわけがない歪むな隆
岡井隆の短歌から現代詩、批評まで、2020年まで70年を超える活動はまさに多芸多彩であった。日常の細部を口語を交えて軽やかに歌う「ライト・ヴァース」(軽妙洒脱な詩)を提唱するなど、年齢を重ねるごとに作風も自在に変えていった。岡井自身によれば、自身は一貫して歌人であり、結社人として生涯現役の人だった。
「NHK学園」の「短歌春秋」156号(2020年10月)「ありがとう 岡井隆先生」、157号(2021年1月)「岡井隆先生とともに」には、短歌界からのメッセージとともに、岡井本人の言葉も掲載されている。
「うた、といわれるように、音楽的な要素が大きな意味を持っている詩」「短歌の一部のかたちでメモをする」「すべて自然体」「気分転換になる」「素材のよさとかあたらしさで決まる」「一人になる」「気負わずに、さらっと」「さくたん作る」「一つの事や物を、いろいろな視線で見る」「執拗さとねばり腰」「リズム」「調べ」「言葉を拾う」
蒼穹は密かたむけてゐたりける時こそはわがしずけき伴侶
雨傘をはらりひろげて逢はむとす天はのかに杉にほひたる
また、156号では、永田和宏が追悼文を書ている。この号は永田の妻で歌人の河野裕子の没後10年特集でもあった。永田は生命科学の研究者と歌人の二足のわらじ(二刀流)を履いており、医者であり文学者でもある岡井に共感している。
岡井隆『わが告白』(新潮社)を読んだ。2009年から2011年までの80代初めの日記である。過去を書く伝記が嫌いな岡井は、現在を書く日記に愛着がある。日記は「強い。勁い。つよい」と繰り返している。この本では過去と向きあうことの困難さをうかがうことができる。
短歌は作品が大事だが、歌よりも歌人の方が優先する詩型であると岡井は言う。歌人の人生と生活を知らなければ歌の価値がわからない傾向がある。破婚と反婚、そして5年間の恋の逃避行と同棲までの7年、入籍まで9年を経験した「超婚」の現在。嫉妬と悪意の嵐との戦い。裁判沙汰になったストーカー騒動。 栄誉願望はエンドレスであり、欲望を肯定してようやく心の平安を得た日々。幸福論や仕事論についての多くの読書、ヒルティ、アラン、アンドレ・モロワ、亀井勝一郎など。、、、、
岡井隆という歌人の特色は、「短歌とはなにか」「現代の日本人にとって短歌とはなにか」についての本をたくさん書いていることだ。多くの歌人の 生き甲斐短歌とは違う。自身をだめな人間だったという岡井隆は歌の力にすがって辛うじて生き延びたという。絵画の東山魁夷も何をしですかわからない自分を絵が救ってくれたと言っていたことを思いだした。
「短歌とは何か」は、岡井隆自身の生きる意味そのものを探るテーマだったのだろう。
作者:岡井 隆
新潮社