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「名言との対話」 3月14日。榎本喜八「目でボールを見るのではなく、臍下丹田でボールをとらえているから、ゆっくり振っても精神的に間に合うんです。ちょうど夢を見ているような状態で打ち終わる」

榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 2012年3月14日)は、プロ野球選手。

早稲田実業から毎日オリオンズに入団。「安打製造機」の異名を最初に取った選手。打率.298、ホームラン16本、打点67で新人王。139試合 592打席 490打数 146安打 24二塁打 7三塁打 84得点 87四球 5敬遠 5犠飛 出塁率.414は高卒新人の歴代最高の数字となっており、打率.298 67打点 232塁打 10死球も清原和博選手に破られるまでは歴代最高記録。1000本安打・2000本安打の最年少記録を保持し、その他にも数々の高卒新人記録も持つ。率3割越えを6回。1000本安打達成は24歳9か月で高卒新人記録を持つ。2000本安打達成は31歳7か月でイチローに抜かれるまで1位。イチローの1000本安打達成は25歳4か月。2000本安打は、川上哲治、山内一弘に続き、榎本喜八は三番目に達成した。

榎本は早稲田実業出身の先輩荒川博から合気道の藤平光一を紹介される。「臍下丹田を意識し、そこに意識を鎮める」。無駄な力が抜け、リラックスした自然体でバッターボックスに立てるようになった。りきまずに体を柔らくして、自在にバットを振り抜くという独特の打法を完成させた。榎本のオリオンズ入団にも関わった荒川は、刀を振らせるなど武道に通じる指導をし、王に一本足打法を指導したコーチである。

「臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映るようになったんです。ちょうどタライに張った水に、お月さんがきれいに映る感じ。寸分の狂いもなく、自分の姿が映って、どんなふうに動いているのかまでよくわかった。ボールがバットに当たった瞬間から、バットに乗っていくところもよくわかった。すると、どんなボールに対しても、自分の思い通りに打てちゃう。

1963年7月14日からの11試合で、打率.558(43打数24安打)を記録し、4安打2試合・3安打2試合・2安打4試合。「野球の神様から“神の域”に到達する機会を与えていただいたんですよ」。「野球の神様から“神の域”に到達する機会を与えていただいたんですよ」と語っている。

動画で榎本が安打を打つ場面をみると、バットを振る音が聞こえてくるような気がする。私には、榎本の名前だけは知っていたが、どのようなバッターかは知らなかった。榎本喜八の凄みを同時代の天才たちに語ってもらおう。

「バットコントロールが素晴らしく、あれだけの打撃の名人はいなかった」(荒川博)。「今までに見たバッターの中で一番”正確な”バッターは誰かと聞かれ場、躊躇なく榎本と言うな」(西本幸雄)。「神様という言葉は、榎本にこそふさわしい」(川上哲治)。「左打者の理想は榎本さん。教科書になるフォーム。ほとんど動かない。体も開かない」(張本勲)。

対戦した稲尾和久投手「榎本さんにだけはフォークを投げた。たったひとりのバッターを抑えるために新しいボールを覚えなければならなかったんです」「スポーツではなく真剣勝負、そう、果たし合いだったような気がします」。相手チームの捕手・野村克也「際どいコースを審判が、ストライクに取ってくれた。すると、見送った榎本が指を3㎝ほど広げ、“これぐらい外れている”と呟くではないか。実は、ボールを受けた私も、同じぐらい外れていると思っていた。それほどまでに、正確に見ているのかと驚いた」。

後の世代のスポーツ評論の二宮清純は「寸分の狂いもなくピッチャーが投じたボールを打ち返している証拠であり、ピッチャーにしてみれば何一つとして言い訳が許されない。さながら一太刀で眉間を割られたようなものだろう」。

2000本安打第一号の川上哲治は「球が止まって見える」と言った。第2号の山内一弘「ボールには打つところが5カ所ある。内側、外側、上、下、真ん中だ」と発言している。第3号の榎本喜八は「目でボールを見るのではなく、臍下丹田でボールをとらえている」と語った。沢木耕太郎『敗れざる人々』の中に、「E」という男がでてくる。この本では、マラソンの円谷やボクシングのカアシャス内藤などを読んだが、榎本の部分を読まなかたの惜しかった。今後も天才と努力の人たち、神の領域に達した人たちの言葉を追いかけたい。

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