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「名言との対話」10月18日。トーマス・エジソン「私は一日たりと、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから」
トーマス・アルバ・エジソン(英: Thomas Alva Edison、1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、アメリカ合衆国の発明家、起業家。
「発明王」エジソンは、生涯で1300もの発明と技術革新を成功させた。この人の異名は多い。「映画の父」、「メロンパークの魔術師」、そして「訴訟王」というのもある。GEの創立者の一人でもあった。
エジソンは「独学」の人であった。子どもの頃から異常なほどの知りたがりであり、「1+1」はなぜ2なのかというような問いで周囲を困らせている。
「蓄音機」、「白熱電球」、動画撮影機「キネトグラフ」、「トースター」などの発明が有名だ。
エジソンは昼夜を問わず、発明に没頭した。80歳を過ぎても一日16時間のペースで研究を続けた。要するに24時間働いてたのである。
「天才は1%のひらめきと99%の努力」
自動車王ヘンリーフォードは16歳年上のエジソンとは、一時エジソンの会社で部下的存在として働いていたこともあり、友人関係にあった。T型フォードで大富豪になった後には、いくつかのエジソンの危機に際して援助している。「エジソンは発明家としては優秀であったが、経営者としては最悪だった」と評している。二人とも自動車の殿堂に入っている。
以下、私の知っているエジソンと日本との関係の一部をあげてみる。
エジソンの白熱電球のフィラメントは京都八幡村の「竹」の発見まで8000回のトライアルを行っている。岩清水八幡宮には記念碑がある。電気・電波・コンピュータの守護神の電電宮のある京都嵐山の法輪寺にも記念碑がある。
エジソンが発明した「蓄音機」で、日本で初めて肉声を吹き込んだのは東京日日新聞社長の福地源一郎(桜痴)だった。そのとき、「こんな時代になると、新聞は困るぞ」と発言してる。音声のラジオ、映像のテレビと時代が移り、紙の新聞の危機を予言している。
日本の真珠王・三木本幸吉はエジソンとの会談でエジソンは「どうしてもできないものが二つ。ダイヤモンドと真珠だ」と讃えられている。
「シャープ」の創業者・早川徳次の「まねされる商品をつくれ」が口癖であり、次々とヒットを飛ばす発明家であった。その結果が総合電機メーカー「シャープ」の誕生であり、早川は日本のエジソンと呼ばれた。
2012年に冨田勲先生と同時に朝日賞を受賞した香取秀俊(物理工学者)は100億年の時を刻んでも1秒も狂わない時計を開発した。魔法波長の光格子を使った光格子時計を実現。国際的な「秒」の定義の有力候補。香取の「エジソンになりたかった」という発言をパーティ会場で聞いた。
エジソンは「失敗は成功の母」と語っている。因みに同じことを言っている日本人をあげていよう。本田宗一郎(ホンダ)「成功は99%の失敗に支えられた1%」。・柳井正(ユニクロ)「失敗は必要。むしろできるだけ早く失敗し、失敗を積み重ねることで成長が見えてくる」。塚本幸一(ワコール)「失敗を恐れず、成功を自惚れません」
2045年のシンギュラリティの到来予言が叫ばれている。その予言の主のレイ・カーツイワイルは、現代のエジソンと呼ばれる発明家である。
人物記念館1000館をみてきた私の「偉い人」の定義は、影響力の大きな人である。その観点からエジソンをながめると、同時代のアメリカはもちろん、世界の人々の生活に革命的な影響を与えている。その中には日本ももちろん入っている。そして、死後もなお、優れた偉業をなした日本人が大きな影響を受けていることがわかる。エジソンは、深く影響を与え、広く影響を与え、長く影響を与えて人である。その影響は生前にとどまらず、死後も永く続いている。こういう人を真の偉人というのだろう。