「名言との対話」12月16日。北村西望「たゆまざるあゆみおそろしかたつむり」
北村 西望(きたむら せいぼう、1884年(明治17年)12月16日 - 1987年(昭和62年)3月4日)は、日本の彫刻家。
長崎県西島原市出身。東京美術学校彫刻科時代に、文展で「奮闘」「雄風」「壮者」などが入選など。首席で卒業。卒業後、「怒涛」が文展二等賞。「晩鐘」が特選。1919年の帝展以降は審査員。1921年、東京美術学校教授。作品は「児玉源太郎大将騎馬像」「山県有朋元帥騎馬像」「板垣退助翁」など、勇壮な男性像が多かった。「報国芸術会」では指導的立場にあった。
戦後は平和、自由、宗教をモチーフとする。1958年、文化勲章、文化功労者。1953年以降井の頭公園のアトリエで制作した彫刻を中心に、井の頭自然文化園彫刻館に500点以上が展示されている。
「長崎平和祈念像」が代表作。102歳という長寿であった。74歳で文化功労者と文化勲章を受賞しているが、それから30年近くの人生があった。この間、島原市名誉市民、日展名誉会長、南有馬町名誉市民、東京都名誉市民、長崎県名誉県民と様々な名誉を受けている。東京都以外は、みな「初」であったことも凄みを感じさせる。これほど「名誉」のついた肩書きの人も珍しい。業績もさることながら、長寿のなせる技だろう。日本彫刻界の北村西望賞も創設されている。
「何度負けてもいい、のんきにじっくりとやれば必ず勝つ日がきます」。最後は、こういう人が遠くまで行くのではないか」
「清い心でやらないと、いいものはできない」
「わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです。いい仕事をするには長生きをしなければならない」
私は2021年に片倉城址公園を訪問した。それは、北村西望を記念した彫刻公園だった。展示されていた彫刻は自刻像だ。北村西望は、武蔵野の自然、特に緑豊かな八王子の自然をこよなく愛した人であった。公園の説明は、以下だった。
昭和50年代半ば、「市内の街頭や公園に彫刻を」と ”彫刻のある街づくり”が進められた際、日本彫刻協会主催の「日彫展」に設けられた ”北村西望賞” 受賞作品を野外展示する「彫刻公園構想」が進められました。彫刻家・北村西望が本公園を非常に気に入り、展示場所として自ら選定されました。昭和57年の除幕式では「彫刻は三千年も保ち、年代に負けない。三千年も大事にしてもらえることはありがたい」と喜びを語ったそうです。公園内には計19体の彫刻があり、そのうち『浦島一長寿の舞』が西望の作品です。
北村西望は自分は天才ではないと自覚していた。だから他人が5年でできることを10年かけてもやる、という決意で仕事に立ち向かっていったのである。
自分はうさぎではない、自分は亀である、と自覚する人はいる。しかし、自分は動いているかわからないような、あのかたつむりになぞらえる人は聞かない。ここに北村西望のすばらしい事績の秘密がある。
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