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「名言との対話」2月3日。三浦朱門「笑いは幸せな老年夫婦の必需品」

三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年大正15年)1月12日 - 2017年平成29年)2月3日)は、日本作家日本大学芸術学部教授文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。文化功労者。享年91。
東京都出身。「朱門」の名前はイタリア文学者だった父・三浦逸雄氏が十二使徒の一人、シモン・ペテロから付けた。1950年に同人誌「新思潮」に参加、曽野綾子出会い3年後に結婚した。夫婦共にカトリック信徒である。三浦は小島信夫阿川弘之遠藤周作らと共に「第三の新人」と呼ばれた。家族の崩壊を描いた『箱庭』や住んだ経験のある場所をテーマとした『武蔵野インディアン』など、戦後日本を描いた作品が代表作だ。
妻の曾野綾子の本から、朱門の日常垣間見ることができるが、よく考えるとこの人のことはよく知らない。「ラジオ版学問ノススメ」という2011年の番組で、『老年の品格』という本を書いたばかりの朱門がインタビューされていた。初めて肉声を聞いたのだが、なかなか味わいの深い言葉が多かった。「ユーモアのある老人に」「固定観念を捨てて自分で何でもやってみよう」「おかしいことはおかしいと言おう」「病気になって迷惑をかけず、家族や社会に役に立とう言う謙虚さ」「今の若い人は真面目すぎる。色々なルートがある」「民主主義、平和主義、自由などは現代の呪いであり、カッコ付きだ」「日本人は日本文明、日本文化の中で日本人になる」など、なかなか面白く聞いた。
また、17世紀の30年戦争の時代に、幾何と代数を数学として成立させたデカルトをはじめ、パスカル、カレリオ、ニュートンらが「サイセンス(科学)」を誕生させ、そして信仰と政治が分離し近代が生まれたことが繋がって自分なりに総合的に分かった、そしてこの時に大人になったと思ったと述懐している。
三浦朱門は過去の成功を語るな、威張るな、そして失敗談を語れと言う。自分を客観視してその滑稽さを笑う、そういう中から若い人が何か参考にしてもらえばいいという。失敗から学ぶ方が失敗せずに成功するよりも教訓になる そういえば、福沢諭吉は常に失敗したことしか語らなかった、偉い人だと感心したと後に山本権兵衛が言っていたエピソードを思い出した。なるほど、それなら私にも山ほどある。失敗を語ろう。
Audibleで三浦朱門『だから男は旅に出る』を聴いた。「思えばこの人生、旅によってどんなに輝きを増したことだろう。人生も旅も、何事が起きるかわからない…。驚き・冷や汗・大笑い、ある時は妻を忘れて走り出し…。作家が初めて明かす、ロマンとスリルにあふれた旅行実録」。

第1部 トランクの中身(トランクの中身:妻知らず ほか)。第2部 冒険旅行(冒険旅行:果たせなかった夢 ほか)。第3部 裸の実力(裸の実力:古き良き時代の旅 ほか)。第4部 光あるうちに歩め(飛行機に乗ったら席がない:光あるうちに歩め ほか)。
夫婦だから当然だが、妻の曽野綾子がよく出てくる。完璧主義者の様子。度胸の良さ。たまの愚痴。荷造りの名人。、、、、。5歳年下の曽野綾子とともに保守の論客だ。そしてどちらも文化功労者である。この夫婦はよく旅に出ている。世界中を歩き回っているのに感心した。
朱門はキリスト教聖人のシモンから採っていると書いたが、曽野綾子はマリア・エリザベート。「芥川の再来」「第三の新人」。日大芸術学部教授。女子短大学長。文化庁長官。学士院院長。文化功労者。この人は何でもできる人だったようだ。本は読んだことはなかったが、ようやくエッセイ集で人となりがわかった。
そういえば、2006年に大磯の澤田美喜記念館を訪問したとき、三浦朱門曽野綾子夫妻は「今日をいかに生きるかに悩む人々、未来の原型を過去に見出す能力を持つ人々、殊に若い人々に、このコレクションを見て欲しいと思う」と記念館の入り口にメッセージを残していた。
80歳を越えた人たちは何を考え、どういう心構えで、日々を送っているのだろうか。『生涯現役の知的生活術』(育鵬社)を読むと、いまだ現役の著名人たちの日常と本音がわかるので、面白い。86歳の三浦朱門は、日常の生活態度を語っていた。都内なら二駅までなら地下鉄は使わない。距離3キロ程度。タクシーも原則乗らない。1日1冊以上の本を読みたい。料理や掃除をする。三浦朱門の名言は多いが、ここでは「笑いは幸せな老年夫婦の必需品」 を採ることにしよう。




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