「名言との対話」1月30日。加藤寛「だから、ただ働きを惜しんではいけない」
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。 享年86。
岩手県一の一関市出身。中上川彦次郎の奨学金を得て、慶應義塾大学で学士、修士、博士となり、ハーバード大学への留学を経て母校の教授となり、総合政策学部初代学部長をつとめた。
政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任した。
鈴木善幸、中曽根康弘内閣で、第二次臨時行政調査会第四部会長としての国鉄分割民営化や、政府税制調査会会長として直間比率是正・間接税中心の税体系の導入等の日本の行財政改革を牽引した。また、小泉・竹中の郵政民営化や構造改革のブレーンとしても貢献している。「ミスター税調」の異名がある。
慶應の湘南藤沢キャンパス (SFC) 設立に当たっては中心的な役割を担い、総合政策学部学部長を務める。その後、千葉商科大学の学長を務めた。慶大教授時代の教え子は、橋本龍太郎、小泉純一郎、竹中平蔵、細野助博など人材を各界に送り出した。教師としても偉大だった。
大学改革の旗手であった加藤寛は野田一夫先生の互いの私大の非常勤講師時代からからの友人で、会話の中でよく登場していたし、政府委員として重要な政策のキーマンだったから、その姿はよく見かけていた。
加藤寛『福沢諭吉の精神』(PHP新書)を読んだ。福沢精神を土台に、日本経済の繁栄によって惰性の行き着いた現状を叱責した本である。
第二次世界大戦中の膨大な国債をインフレよって解決したと説明し、財政危機はインフレ、」デフレ、戦争で解決するしかないとしてしている。この本は1997年の刊行であるが、バブル崩壊から数年経って、阪神淡路大震災、オーム真理教事件が起こるなど日本の堕落が目に見えたころだ。私がJALを早期退職し、宮城大に転出し年であるから、当時の雰囲気はよくわかる。その後に山一証券、拓銀の破綻などが起こった。その警鐘の書であったのだ。
教育については、グローバル時代を迎え、外国語とコンピュータと、福沢がすすめた会計という3つのツールを、慶応の総合政策学部長時代と、千葉商科大学学長時代に導入した。慶應藤沢の改革は話題となったし、千葉商科大学も新規上場企業でこの大学がトップとなったと紹介している。
加藤寛の言葉を探すと、「ただ働きを惜しんではいけない」という言葉に出会った。その前に「人生は修業の連続とよく言うが、世の中に無駄な仕事はない。どんな仕事もどんな経験でも必ずそこには自分に役立つ勉強が潜んでいる」と語っている。苦手な仕事を含め、どんな仕事も自分を高める経験となる。そういう気概や心構えが後のミスター税調・加藤寛を形づくったことは容易に推察できる。