「名言との対話」8月31日。小池邦夫「自分の井戸を掘り続けたい」
小池邦夫(こいけくにお 941年ー2023年8月31日)は絵手紙作家。享年82。
松山出身。2012年に 小池邦夫絵手紙美術館を訪問した。絵手紙人口は今や150万人という。身の回りでもこの話題を聞くことが多くなった。この運動を一人で起こしたのが小池邦夫である。
子規の故郷で俳句の盛んな松山の出身だ。ミカン農家の次男。書道を志し、東京学芸大書道学科に入るが、書道教師になるつもりはなく、後3単位であるのに、意志的に中退する。
その後、中学以来の友人である正岡千年に毎日独自の手紙を書き続け、19歳から40歳まで続けている。
26歳、画家中川一政に師事。書画一致。34歳、個展。37歳、肉筆絵手紙6万枚に挑戦し話題になる。一日200枚、10時間書き続けてようやく。40歳、絵手紙講座。
44歳、東京中央郵便局にて絵手紙そのすすめ教室。普及拡大運動。45歳、東君平と絵手紙合戦1000日。
48歳、郵政大臣表彰。51歳、朝日カルチャーセンターで通信講座「絵手紙」監修。52歳、全国各地の公民館、郵便局で絵手紙教室。絵手紙グループが広がる。53歳、パリ絵手紙交流展。54歳、NHKラジオ、テレビ出演。55歳、郵政大臣より感謝状。月刊「絵手紙」創刊。56歳、小池邦夫の絵手紙教室展が全国で開催。そして今日に到るというまさに絵手紙人生である。今では全国から毎日百通の絵手紙が届くそうだ。
記念館で得た言葉:ヘタを恥じてはならぬ。私は絵手紙書き。ハガキ書きを男児一生の仕事にしている私。一人をまず動かそう。書き魔。手紙念仏。絵手紙作家。絵手紙文学の創始者。絵手紙宣教師。絵手紙遣唐使。「裸の言葉を書こう」。
「1.読みやすい字。2.しこたまやったら忘れて我流で大胆に。3.筆で書く」。
小池は25歳の時に瀧井先生という本物に出会い、この人を師とする。「ヘタでいい、ヘタがいい」は名文句だ。絵手紙は、画と文と書で成り立っている。
この人は不器用だが、エネルギーにあふれていている印象だ。影響を受けた主な人は、富岡鉄斎、会津八一、中川一政、武者小路実篤、棟方志功、、、。。現在の小池の画風を彷彿とさせる。
そして若い時から分野を問わず一流の人物に会い、講演を聴き、それを手紙に書き、彼らの生き方をこやしにしている。石川達三、左幸子、亀井勝一郎、中村光夫、、、、、岡本太郎「芸術は、見て心を震わせばよろしい」、伊藤整「勉強の仕方さえ教えればそれでよい。後は自分でやれるはず」、湯川秀樹、バーナード・リーチ、円地文子、谷川徹三、大宅壮一、棟方志功、開高健「新しい文学は口語体を再考すべきだ」、安西愛子、水上勉、三好達治、都留重人、浜田庄二、南原繁、白洲正子、茅誠二、中村光夫「古典を読んで下さい」、小林秀雄「とことん好きになればええのです」、高見順「近代の作家の図書館や資料室がないのが不思議でならなかった」、臼井吉見、吉川幸次郎、団伊玖磨、清家清、長洲一二、小泉信三「福澤諭吉があって北里柴三郎があった」、福田恒存「芸術には孤独がつきものです」、松本清張、清水幾太郎、宇野重吉「芸は長く続けていればこそ、その命が輝くのです」、葦原英了「日本の土地柄に合って、日本の言葉で、生活から出たミュージカルをぜひ作りたい」、木下順二、戸板康二「道にはトレーニングがつきもの。道とつく限り、鍛錬を抜きにしては考えらえません」、中川一政「実篤の書画は、断固として「志の絵」だ」「いい書を見続けていると、必ずその人だけの書が書けるようになる」「我を学ぶ者は死す」、、、、。
これは一部だが、各分野の本物に触れ続けてエキスを掴み取っている様子が伝わってくる。現在、各分野で活躍している人たちとの交流があるようだが、こういった活動の延長線上にできた人脈だろう。
この絵手紙美術館では「にっぽん全国自慢のいっぴん絵手紙展」を開催していた。なるほどあらゆるところでこの絵手紙を書いている人がいることを認識させられる。私の故郷の大分県をみると、カボス、椎茸、アジ、竹細工、ふぐなどの絵に因んだものが多い。
小池邦夫は「自分の井戸を掘り続けたい」と語っている。大したことはできないかも知れないが、一生かかっても、自分の井戸を掘り続けたいと思う。
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