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「名言との対話」7月6日、遠藤実「人の世に涙の川があり苦労の山もある。その川を渡るとき、その山を越えるとき、歌という友がいる」

遠藤 実(えんどう みのる、1932年7月6日- 2008年12月6日)は、作曲家。

東京生まれ。疎開先の新潟で育つ。14歳で工員。16歳、芸を民家の軒先で披露し、金品を貰う演芸を行う門付き芸人。1949年、17歳、歌い手に憧れ家出して、上京しギターを抱えて歌う流しの演歌師となる。

何度も歌手の募集に挑むが失敗する。審査員の作曲家の言葉が耳に入る。「あの人にできて、ぼくにできないことがない」と奮起し、「よし、作曲家になろう」と決心する。30歳、作曲家デビュー。家出した時の心境を歌った「お月さんこんばんわ」、そして「からたち日記」がヒットする。

世に送り出した曲は5000曲以上。演歌がほとんどである。戦後最大のヒットメーカーの一人となった。

ヒット曲をあげる。浅草姉妹。アキラのズンドコ節。初恋マドロス。おひまなら来てね。若いふたり。高校3年生。中学3年生。くちなしの花。北国の春。昭和流れうた。、、。高校時代によく歌った舟木一夫の「高校3年史」、私の持ち歌である渡哲也「くちなしの花」は遠藤実の作曲だったことを初めて知った。そして中国人が好んで歌う千昌夫の「北国の春」も遠藤メロディだったのだ。

遠藤メロディを歌った歌手をあげる。橋幸夫。こまどり姉妹。舟木一夫。千昌夫。小林旭。森昌子。島倉千代子。山本リンダ。渡哲也。五月みどり。、、

NHK人物録「あの人に会いたい」では、「歌神様」が心に中にいて、メロディを与えてくれる、と熱く語っている。

57歳、日本音楽作家協会を設立し会長。62歳、日本大衆音楽文化協会会長。63歳、日本音楽著作権協会会長。70歳、文化功労者。72歳、日本作曲家協会会長。76歳で死去。国民栄誉賞。

疎開先の新潟市に遠藤実記念館「実唱館」が1994年にオープンしている。「見て、聴いて、歌って楽しい」記念館だ。1994年、東京都杉並に一般財団法人遠藤実歌謡音楽振興財団。新潟のJR内野駅前に「遠藤実顕彰碑」があり、代表作の「北国の春」の歌詞、譜面が彫り込まれている。遠藤実ふるさと観音。遠藤実・節子夫妻と、その両親も眠っている。新潟市の地下街『西堀ROSA』の一角に遠藤実メモリアル・ルームが開設している。新潟に遠藤実を記念する施設がこれほどあるとは気が付つかなかった。

学校をさぼり、登った裏山から晴れた日には佐渡島がみえる。そのとき、自然にメロディは生まれてきたという。人生で誰も涙の川を渡り、苦労の山を越えて旅をする。そのときかみしめる喜怒哀楽を遠藤実は歌にしてくれた。「歌は心の友」であるとは遠藤の言葉だが、私たち大衆の心の代弁者だった。遠藤メロディは多くの人を励まし、そして救ったであろう。

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