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「名言との対話」11月3日。アンリ・マチス「正確さは、真実ではない」

アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)は、フランスの画家。

フランス北部のノール県生まれ。父親の要望により弁護士を目指すが、虫垂炎を患い入院中に母親に絵画を勧められ芸術の道へ進むことを決心し美術学校へ進学する。「帽子の女性」と「開いた窓」をサロンに出品し、批評家から「フォーヴ(野獣)だ!」と酷評される。これをきっかけに「フォーヴィズム」が広がっていく。ゴッホの影響を受けた自由で激しい色彩と大胆なタッチが特徴である。マチスは1906年に12歳年下の天才パブロ・ピカソと運命の出会いをする。

写真の登場によって本物そっくりの絵は好まれなくなったため、「絵画にしか出せない表現」をもとめて画家たちは苦悩するようになる。その回答であるマティスの「フォーヴィズム」は、「私の色選びは、いかなる科学的な理論にも基づいてはいない」という。マチスは現実の色彩から絵画を解放した画家だ。それに影響を受けたピカソのキュビスム(立体派)は、形体を現実のものから解放した画家である。フォーヴィズムの活動期間は数年と短かった。その後、マチスの絵は荒々しさは影を潜め、フォルム(形体)と色彩は次第に単純化していき、独特の色面による構成的な画風となっていく。

晩年には体力の衰えから、油絵ではなく切り絵による創作表現が主流となる。最晩年には南フランスのヴァンスで、修道院の礼拝堂の装飾に携わり、人生の集大成ともいえる作品を残している。

「色彩の魔術師」マチスの 「正確さは、真実ではない」という考えは、ピカソと相い通ずる。対象の現実の色や形にこだわらずに、物同士の違いを描こうとした。20世紀を代表するこの二人は切磋するライバルであり、琢磨する親友であった。対象を正確に描かなくてよいという驚くべき思想は、後の抽象画へとつながっていく。

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