「名言との対話」8月6日。岸本水府「私たちの求めんとする川柳は、小徒然草、小茶話即ち「エッセイの縮図」であるという自信を持って、進みたいと思っているのであります」
岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 1965年8月6日)は、大正・昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。
1913年に西田当百等とともに番傘川柳社を組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹。そのかたわら、コピーライターとして福助足袋(現:福助)、壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ。広告部長)、桃谷順天館等の各社の広告を担当した。豆文広告を発案。1936年に「一粒300メートル」、「穿く身になって作る足袋」など名コピーライターだった。OSK日本歌劇団・松竹歌劇団のテーマ曲「桜咲く国」の作詞者として知られる。
著書に『母百句』・『川柳手引』等がある。田辺聖子による評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』があり、田辺は同作で読売文学賞および泉鏡花文学賞を受賞した。
今川乱魚・大野風太郎監修『岸本水府の川柳と詩想』(新葉館ブックス)を読んだ。以下、岸本水府の本格川柳論から。
僕たちは本格川柳と呼ぼう。
私は私たちの本格川柳道の信念にあやまちなきを信じ、研鑽と自重をもってこの上の前身を誓うものである。
私たちの川柳から各人が陳腐平凡を追放すれば、本格川柳は光る。
己の信ずるところに進むことを芸術の、川柳の本当と言わなければならない。
川柳は日本人の言葉のリズムに合った十七音字を日常語で行く人間諷詠であり、喜びあ、悲しみ、笑い、矛盾、皮肉、軽快、あこがれ、理想が存分に奏でられる街頭録音である。何という奔放自在な文芸なのであろうか。
私たちの求めんとする川柳は、小徒然草、小茶話即ち「エッセイの縮図」であるという自信を持って、進みたいと思っているのであります。
一家をなしている川柳家の無気力なことに驚かずにはいられない。
私たちの渇仰する川柳が、その日その日の思いを最も感銘に、私たちの知っている範囲の平易な文字を持って、告げ、訴え、叫び得るとすれば、川柳ほど便利で、早わかりして、しかも深刻な、近代思想にかなった文芸はない。
日常生活にも、人としての悩みやいろいろな思いがあるのですが、それを片っ端から川柳にしていくことは、生きていくうえの何者かの要求に応じているような心持ちがするのであります。
川柳 境地は明るいものであります。そして短詩型のくせに自由であります。簡易であります。
川柳は、清新な小気味よい、人の世の姿を忠実に鋭く描く文芸であります。
人の言い尽くしたことを繰り返しても人は手を打ってくれません。川柳に詠むものは新しくなければなりません。
その人に限り、その人でなければ詠えないような作品こそ、本当の川柳であります。
穿ちは警句であります。寸鉄殺人的な言葉であります。わずか十七字の中でピリッとした利き目を見せて、それで一幕ものを見たり、短編を読むくらいの力を持たせなければなりません。
穿ちすぎると失敗します。皮肉を言い過ぎると嫌味になります。ですから穿ち、皮肉には注意して、落ち着きのある句を示さなければなりません。
滑稽を一歩誤ってクスクスになると同じく、穿ちが誤ると理屈に陥ります。理屈をこねていては川柳にはなりません。
滑稽と言えばクスクス笑わせるのが本格ではありません。真の滑稽には涙があるくらいです。
滑稽は自然に湧き出たものでなければなりません。拵え上げたものではだれも笑いません。
軽みとは、さっぱりした垢抜けのしたものであります。
平凡の中に川柳味を見いだすこと、それが平淡であります。乃ち平凡は苦労なしのこと、平淡はあらゆる事柄を切りぬけて出た境地であります。
川柳には技巧がなくてはなりません。平凡な事柄でも技巧によって活かすことができます。
川柳は字数が少ないので、省略法が何よりのたよりとなります。しかし無理な省略は句を傷つけ意味をなさぬようなことになります。省略には技巧を要します。
題で作っても、題は後に除かれるものとして作らなければなりません。
一つの題に類想が多いことは、既に先人の作にも類想があるとみても差し支えなく、類想が多ければ多いほど平凡または陳腐と見ることができると思われます。
無理な言葉は使わなぬこと 十七字にまとまらぬからといって、無理な言葉を使うことは絶対に許されません。川柳は民衆詩ですから、私たちが日常に使っている言葉を根本とします。
下品なことは絶対排斥 川柳は下品なことを嫌います。社会のアラを作るものだと思ってそんなことを川柳の本質のように誤解している人があるようです。下女や居候を詠んで読んでいるものとも違います。
初心者時代には自分だけにわかって人にわからぬ句をよく作ってくるものです(中略)出来た句は必ず人に示して句意がはっきりしているかを見て貰うべきです。
川柳に早く上達したいが、どうすればいいかといいますと(中略)多読多作が一番早道でしょう。
川柳を作るような人は、冷静に自分は何処にあるかを見て、頓挫することなく思う方向に進むべきであります
人前で呼ばれても恥ずかしくないようなが雅号でなければなりません。短冊に書ける雅号でなければなりません。雅号はホンの符牒には違いありませんが、名は人格に関するものであります。
あなたの句に気取った句、気障な句はありませんか。あまりにも川柳的な句はありませんか。川柳という物差しを持つのが窮屈なら、せめて川柳と言う鏡を持って時々顔を見てください。
俄づくりの吟詠とそれでないのと、句稿をみてわかるのが選者である。
今日の川柳は(中略)近代人の鋭い感覚さえも盛られ、昔ながらの川柳の穿ちや、滑稽や軽みの外に、ある時は寂しさや、切ない情感までも詠破して、人の心にぐんぐん喰い言入るものであります。
川柳は人間そのものを丸出しにした、生活記録、人生批判の街の詩であります。
川柳は自然を描いても、それを人間世界におく、これが俳句と川柳の違いでしょう。
川柳は古川柳の昔からその時々の言葉を使っていますから、生まれながらにして新しいものであると言える訳です。川柳は現代語を用いるべきです。
「感覚」に幾分の古川柳方を加えて、人間を見る、人間を評する、よき味わいを保持するのが近代の川柳ではないか。
今の人の心を歌ったのならそれで新しい句である。
人間生活の姿、形、行いを「まこと」をもって詠じたものであり、「清明爽澄凛」を保持していきたい。
「世相風刺」--それは、花ひらくこれからの川柳のいのちであろう。
生きた時代色、新しい風俗人情が句の上に出るのは川柳の命だとおもう。
川柳にに限らず、文芸は「共感」ーーー多くの人の喝采ーーされなければ価値がありません。
川柳を作っているといつも明るい心になれる。明るい心は真面目である。川柳はふざけてはいけない。人間不諷詠である。
「ぬぎすててうちが一番よいという」「凡人という凡人でない証拠」「乗るとすぐタクシー代を握る母」「美しい指みな動く酒のかん」などの傑作もいいが、何より「本格川柳」を標榜して川柳刷新運動を先導した思想が素晴らしい。川柳道、川柳家、、、そして「人間諷詠」という川柳の本質をあらわす言葉に感銘を受けた。心を詠ずる短歌でもない、自然を詠む俳句でもない、私には人間諷詠の川柳が合っているようだ。
最近久しぶりに手にした外山滋比古『知的生活習慣』(ちくま新書)に俳句と川柳の比較論があった。今川乱魚との面談で触発されたそうで、どちらも「頭の体操であり、俳句は田園の詩であり、川柳は都会の詩だという。日本人の知性を示すのにいいから国際的な文芸になる可能性があると喝破している。
短歌は1000年の伝統の上に成り立っており、明治には俳句も含めて、正岡子規という天才があらわれて、両方とも近代化に成功している。川柳には近代には巨人がいないのが不幸だと外山は語っている。
私は心情を詠む短歌、風景を詠む俳句、人世を読む川柳という分け方をして、2022年10月から川柳に手を染めている。この岸本水府の川柳そのものと考え方を読むと、その可能性のある一人ではないかと思った。