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「名言との対話」3月18日。吉川幸次郎「私などは大体『論語』によって生活といってもよい面を持っている」

吉川 幸次郎(よしかわ こうじろう、1904年3月18日 - 1980年4月8日)は、日本の中国文学者。

兵庫県神戸市生まれ。神戸一中時代から中国文学に親しんだ。三高時代には現代中国語を学び中国を旅した。京都帝国大学文学部に入ると、中国語学、中国文学に親しんだ。大学院では唐詩を専攻している。1928年から1931年まで北京に留学。帰国後は、現在の京大人文科学研究所に入所した。吉川はシナ服を着て中国語で会話しそして中国語で論文を書いていた。孔子を尊敬し儒者を自称していた。

1947年に学位を取得し、京都大学文学部教授となる。 1956年から58年まで文学部長。この間、NHKラジオ文化講座「中国の文学」やNHK教育テレビ「中国文学入門ー詩を中心として」などを講義している。

1964年から亡くなるまで、東方学会理事長、会長を務めた。1918年から1970年にかけて全集を自分で編集する。1969年文化功労者となり、1971年には朝日賞を受賞。

吉川幸次郎『「論語」の話』(ちくま学芸文庫)を、毎日少しづつ楽しみながら読み終わった。1966年8月にNHKラジオで放送されたものを文字に起こしたものである。計27話ある。中国学の泰斗がやさしく語ってくれているので、孔子という人物とその思想がよく理解できた。

論語はおおむね500章ばかりの、孔子中心とした人たちの言行録である。論語は2つの特色がある。1つは文章が読みやすくやさしく、かつ内容が優れていることである。

孔子は最晩年に過去の書物の中から選び出した「五経」を編纂する。『易経』、『書経』、『詩経』、『礼経』、『春秋』だ。五経は人類の未来の教科書である。経は、永遠と言う意味であるから、永遠の教えということになる。これに後の朱子は「四書」を加えて、「四書五経」となった。『論語』『大学』『中庸』『孟子』だ。その四書五経のトップで学ぶべき書物が『論語『である。

『論語』は、日常の事柄を題材としながらそこに強い理想主義が説かれている。江戸時代の京都の従者である伊藤仁斎は、「論語」を「最上至極宇宙第一の書」と評価している。論語の言葉は熟慮に満ちている。

孔子の教えの中の最も重要な「仁」とは、人間相互の間の愛情のことだ。人間の可能性への信頼が底流にある。しかしそれは努力によってこそ得られるものである。中庸とは節度である。礼楽、つまり礼儀と音楽を重要とした。文化を大事にし、文明の進歩を信じていた。

孔子は中国民族の教師であるだけでなく、朝鮮でも、そして日本でも江戸時代には知識人だけでなく、庶民も学んでいる。『論語』は、『聖書』と並ぶ人類の人生の教科書なのだ。

「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」は人口に膾炙している。孔子は50歳から56歳まで祖国魯の国の閣僚となり最後は総理大臣の地位についている。その後、70歳まで各地を遊説する旅にあった。

「七十にして心の欲するところに従って、矩を越えず」について、これを吉川は「もはや七十になってからは、完全な自由を得た」と訳している。私は人生の豊かさとは「自由」の多寡にあり、人生とは自由の拡大を目指す旅であると考えている。肉体的自由、経済的自由、時間的自由、そして最後は精神的自由に行き着く。「心の欲するところに従って、矩を越えず」を自由の境地と理解した吉川の考えに共鳴する。

この本の中で「私などは大体『論語』によって生活といってもよい面を持っている」と控えめに語っているが、吉川幸次郎は自身を「儒者」と定義づけていたのである。一生かけて、『論語』を学び、孔子に学んだ人だった。そのエキスを今回読んだことで、私も『論語』にさらに親しみを増すことになった。日本人はやはり『論語』ではないだろうか。


「論語」の話 (ちくま学芸文庫)

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