「名言との対話」8月21日。平松守彦「リンケージ(人々とのふれあい、つながり)こそが究極の生き甲斐なんですよ」
平松 守彦(ひらまつ もりひこ、1924年3月12日 - 2016年8月21)は、日本の政治家。享年92。
大分中学、五高、東大法学部卒業後、商工省入省。「佐橋大臣」と呼ばれた佐橋滋次官のもとで通産省統制派官僚として活躍した。課長補佐時代には、木下大分県知事にのちの大分臨海工業地帯となる臨海工業地帯構想を進言、そして日本のコンピュータ業界の離陸に関わる。課長時代以降はコンピュータのソフトウェアに関する法律作成、三大コンピュータグループ形成などの重要な施策を展開した。
1975年に望まれて大分県副知事を引き受ける。妻に先立たれ、娘二人を東京に残した人生の再出発だった。1979年大分県知事に就任し、以後6期24年にわたり県政を担当し、「一村一品」運動などを展開し、世界にも広げた名物知事だった。
平松の思想は、『グローバルに考えローカルに行動せよ』(東洋経済新報社)、『地方からの発想』(岩波新書)などの著書に集約されている。今回『地方からの発想』を読んだ。「陳情とは情を陳べると書く。理屈を述べるのではない」「地方自治とは教育である」「リーダーとはコロンブスの卵を生む人、生み続ける男でなければならない」「一村一品の「品」は人品、品格の品であり、「人づくり」のほかならない」「豊の国づくり塾の塾是は、「継続、実践、啓発」。塾歌は「若者たち」」。
平松知事の代名詞となった「一村一品」運動は日本全国に展開したが、世界にも影響を与えた。特に中国では武漢の「一村一宝」があるなど盛んだった。 2010年9月に私は中国政府の国賓館である釣魚台の昼食会に招待されたことがある。食事は西洋料理で、世界の名品をそろえていたが、ジュースの中に故郷大分の「つぶつぶ かぼす・日田の梨」のジュースがあり、平松知事の「一村一品」運動の浸透に感激したことがある。
また、平松知事には、は草柳大蔵さんとは学徒出陣の仲間だった縁で開催された草柳文恵さんのお別れの会、大分県人会、親しい友人であった野田一夫先生の縁、、などで何度もお会いしている。温厚な紳士という印象を持っている。
平松知事は、先哲叢書を10年かけて完成させていることも特筆すべきだ。福沢諭吉、田能村竹田、滝廉太郎、福田平八郎、双葉山、三浦梅園、広瀬淡窓、ペトロ・スカイ岐部、野上弥生子。大友宗麟、、、。人づくりに関心が高く、子ども達に先哲から刺激を受けて欲しいとの考えだった。
『地方からの発想』では、福沢諭吉の『分権論』を取り上げ「政権と治権」を論じている。地方行政の担当すべき治権とは、人民の生活に密着したものであり、警察、道路・橋梁・堤防の営繕、学校・社寺・遊園地の造成、衛生の向上、、、などであり、福沢の考えに沿って地方自治の本義に向かってのライフワークである地方行政の仕事に邁進したのだ。
冒頭に掲げた「リンケージ(人々とのふれあい、つながり)こそが究極の生き甲斐なんですよ」の前には、「人間、地位がある、金があるでは満足できないのです」という言葉がある。生き甲斐とは、ふれあいであり、つながりである。高齢化社会を生きる指針として心すべき箴言だ。