「名言との対話」11月25日。石本他家男「トッププレイヤーと言うのは、トップレベルのユーザーである」
石本他家男(いしもと たかお 1901年11月25日ー1988年5月27日)は、デサントの創業社長。
石川県出身。大阪で丁稚奉公をしたのち、1935年、ツルヤを創業。1957年、デサントブランドを創設。翌年スポーツウェア事業の石本商店を設立。1961年、社名を変更し株式会社デサントとする。当初はスキー、その後野球、スケート、自転車競技などに広げていった。1970年代のプロ野球チームのほとんどはデサントのユニフォームになった。1980年東証第一部に上場。海外ブランドの代理店事業も展開。1986年、デサントのウェアを着た中野浩一が世界選手権10連覇を果たす。1988年死去。
デサントは、石本亡きあとも、発展を続けている。直近の業績発表では、2023年3月期の連結純利益が前期比61%増の100億円になる見通しだ。過去最高益になる見込みである。新型コロナウイルス禍からの売り上げ回復に加え、効率的な在庫管理でコストを削減。22年4~9月期の純利益は過去最高となる51億円となっている。
「トッププレイヤーと言うのは、トップレベルのユーザーである」という言葉の後には、「その優れたユーザーが着用して満足する機能性の高いものであれば、一般化しても安心。優れた開発は優れた人間との共同研究から生まれる」と続く。この言葉に、トップアスリートとスポーツ用具メーカーの関係が示されているように思う。
ここで思い出すのは、オニツカ創業者でアシックス初代社長の鬼塚喜八郎だ。「キリモミ作戦」と「頂上作戦」で、4年ごとのオリンピックに照準を合わせて、商品開発を続けていく。メルボルン、東京、ローマ、ロサンゼルス、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、、、。1964年の東京オリンピックでは、オニツカの靴を履いた選手が体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの競技で金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得している。多くの金メダリストとライバルメーカとのエピソードは『念じ、祈り、貫く』という書に紹介されている。それは国際化の道でもあった。マラソンシューズでは、寺沢徹、アベベ、円谷幸吉、ラッセ・ビレン、高橋尚子、野口みずき、、、。
裸足でオリンピックで金メダルを獲得したアベベに靴をはかせたエピソードも面白い。アベベの印象は単なるマラソン走者ではなく、一人の哲人だった。鬼塚は「アベベに靴を履かせたい」と考え、シューズをはかせることに成功し、アベベは優勝した。鬼塚は生涯でアべべから感謝された時ほど嬉しかったことはないと語っている。
ヨネックス株式会社創業者の米山稔も同じ戦略をとった。世界のバドミントンのレジェンドになっていたインドネシアのルディ・ハルトノをラケットを改良することで応援し、全英オープン選手権7連覇を果たした。現在ではヨネックスは世界のバドミントン界で圧倒的な支持とシェアを誇っている。テニスでも「頂上作戦」を敢行する。キング夫人。マルチナ・ナブラチロワ。伊達公子、マルチナ・ヒンギス。セレシュ。大坂なおみ、などトッププレイヤーの信頼を得ている。
アシックス、ヨネックス、そして石本他家男のデサントなど、世界で成功したスポーツ用具メーカーは、「頂上作戦」を敢行していることがわかる。一人のスーパースターが誕生すると、そのスターが武器とする用具を皆が買う。それはなぜかというと、イメージもあるが、優れた使い手が満足する機能性の高いものは安心だからだ。「優れた開発は優れた人間との共同研究から生まれる」のである。
こういう観点からサッカー、ゴルフ、水泳、野球など、あらうゆるスポーツをながめてみると納得する。これはスポーツに限らない。文筆活動をする作家でも、万年筆、原稿用紙、インクなどは文豪の愛用品に皆が目がいく。優れた製品の開発の物語は、つくる人と使う人の共同研究の成果なのだということがよくわかった。
ここから先は
久恒啓一の「幸福塾」
「幸福論」の世界的名著を書いた「ヒルティ」「アラン」「ラッセル」。日本人では、「努力論」の幸田露伴、「九幸翁」の杉田玄白、「処世術」の本多…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?