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「名言との対話」10月31日。山崎朋子「自分が生きた証をこの世に残すには、みずからの「心を刺した」主題を、その望み選んだ形において実現するしかないだろう」

山崎 朋子(やまざき ともこ、1932年1月7日 - 2018年10月31日)は、女性史研究家、ノンフィクション作家。享年86。

長崎県佐世保市生まれ。呉市広島市で育つ。父は軍人、母は歌人

オーディブルの「講演・エンターテイメント」の女性作家たちの講演録を聞いたことがある。これは文藝春秋社の文化講演会での講演録で、それぞれ1時間弱の中身が濃かった。有名な作家達であり、山崎朋子上坂冬子山崎豊子宮尾登美子は太平洋戦争に翻弄されており、「戦争」というテーマをそれぞれの立場から深掘りしており、心を打つ。

上坂冬子「繁栄日本の陰に」:奄美大島の民謡に隠された長崎原爆の被爆者たちの知られざる人生。アメリカ在住の広島からの原爆の被害者たち。ノンフィクションというものがよくわかる。

山崎豊子大地の子と私」:日中戦争最大の犠牲者・戦争孤児。同じ日本人なら最後の一人まで捜し出すのが人間じゃないか。「私たちを三度も捨てないでください」という言葉の衝撃。

宮尾登美子「いま女はさまざまに生きる」:満州難民収容所。空腹で子供とひとつの饅頭との交換を考えた。引き揚げ後の肺結核。赤ん坊だった娘に収容所経験を書き残したかった。そこから始まった作家人生。

杉本苑子「万葉の女たち娘たち」:天皇・貴族・庶民・奴隷まで、あらゆる層の人々が本音を吐露する万葉集の歌は現代人の胸を打つ。

平岩弓枝「秘話かわせみ」:「御宿かわせみ」の執筆秘話。師匠・長谷川伸と兄弟弟子たちとの濃密な修行の日々。

永井路子「歴史をさわがせた女たち」:平安以前は女系家族。女帝が多くその官僚としての女官の存在など、女の時代であった。新しい日本史のヒーロー像。裏声で語るオンナの物語。

そして山崎朋子「アジアの女・アジアの声」の語りには特に感銘を受けた。帝国海軍の伊号潜水艦長であった父を喪った経験。朝鮮人青年との恋愛。アジア各地に散った底辺女性や満州花嫁の悲劇のエピソード。個人の幸せと国家の真の姿を見つめてきた作家だ。

『サンンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)という映画は観たことがあり、同じ題名の山崎の代表作も読んだこともある。 今回は『サンダカンまで わたしの生きてきた道』(朝日文庫)と題名の自伝を読了した。

1954年女優を目指し上京。朝鮮人 青年との恋、暴漢に顔を切られる事故、結婚、出産を経て女性史研究の道を歩む。波乱の自分史だ。1966年、34歳『日本の幼稚園』で毎日出版文化賞。1973年、41歳『サンンダカン八番娼館』で第4回大宅壮一ノンフィクション賞。1980年、『光ほのかなれども--二葉保育園と徳永恕』で日本保育学会賞。1995年の『アジア女性交流史 明治・大正篇』に続き、2012年には『アジア女性交流史 昭和期篇』を完成させている。女性史研究の第一人者となった。

「自分のテーマ」を追う「自分の会」をつくる決心、そして勉強法が参考になる。

上 笙一郎(夫)「自分で学びとろう」という姿勢が一番大事。書くことが最大の勉強になっている。良い修行になる」。自分のテーマ「アジア女性交流の歴史を掘りおこす仕事」を題材に自分で学ぶ。(独学で学ぶ態度)

尾崎秀樹「そういう会はどこにもないですね。、、、自分でつくりなさい。人数はどんなに少なくても良いから。それが、一等良い勉強になりますよ」。自分の会として「アジア女性交流史研究会」という小さな自分の会を立ち上げる。小さな雑誌を創刊する。(機関誌が重要ということだ。それが人脈となっていく)

聞き書き」を主題として「人物幼稚園史」を連載する。日本の幼児保育=教育の歩みを人物に依って綴る。この連載がもっとも良い勉強になった。明治期より現代まで、ユニークな実践をおこなった施設または人物によって、「歴史の要点」を浮き彫りにしていくという方法を採った。(人物を中心とした歴史という視点)

最後の数ページが圧巻だった。「「自分の眼」で見て、、、、そういう人を、多くの男性の中から「選んだ」のである。たまたまではない。」「ひたすらに男性の「思想・人柄」を見ようとしていた。、、、その人の「志」というものの有り無しを「選びの規準」としていた。」「人を取り巻く諸種の「条件」の有利・不利によって人生のつれあいを選ぶのでなく、人の「志」を「もって選ぶこと。」「漢字の「志」は士(サムライ)の心。大和言葉の「こころざし」は、ひとつの主題・ひとりの人物・ひとつの事柄にみずからの「心を刺す」こと。」

「顔を出す必要のないラジオは別として、テレビ出演を断ることとし、その後ずっと通している」という方針があるから、この人のことは馴染みがなかったのだ。厳しい生き方、学び方には感銘を受けた。「心を刺した」テーマを、自分のやりかたで学んでいく。志、独学、自分の会と機関誌の発行、人物中心の歴史という視点。改めて参考にしたい。 「自分が生きた証をこの世に残すには、みずからの「心を刺した」主題を、その望み選んだ形において実現するしかないだろう」という人生観には深い共感を覚える。


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