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「名言との対話」2月19日。渡辺恒雄「終生一記者を貫く」
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - 2024年〈令和6年〉12月19日は、日本の新聞記者・実業家。読売新聞グループ本社代表取締役主筆。享年98。
渡辺恒雄本人が簡単に自己の経歴を述べている。
旧制開成中学、東京高校時代から反戦、反体制思想。共産党の東大細胞に入党するが、信条であったカントの道徳哲学=人格主義と、マルクス主義との矛盾を感じ、「右翼日和見主義者」として除名される。
入社した読売新聞では「派閥記者」となった。「派閥記者の典型としての悪評もあった」とも正直に告白している。情報をとるためには取材源の内部に入る必要があるとして派閥政治の内面に侵入したのである。社内では務台光雄氏を信奉し、務台から主筆、副社長に抜擢され、遺言で社長に就任したとの経緯を説明している。
以下、渡辺の言葉を『文藝春秋』誌などから探す。
政治とは?「僕の経験からすると、まったく生臭い人情が政治・外交を動かしている。新聞記者はそこまで入らないとわからない。ネタをとれない」
哲学?「一つは上なる星ちりばめたるたちのいる天空、一つはわが内なる道徳律」(カント「実践理性批判」)
墓碑銘「終生一記者を貫く」
『私の死亡記事』(文藝春秋編)という面白い本がある。生前に本人が書く死亡記事で100人以上の有名人が参加している奇書だ。最後が渡辺恒雄である。
「カラス駆除中、転落死」がタイトル。94歳とあるが実際は98歳だった。「派閥記者の典型としての悪評もあった」とも書いている。葬儀は無宗教の音楽葬。このエッセイの最後には、巨人軍オーナーとしての夢を語っている。2000年の優勝以来、長嶋茂雄監督は2019年まで20連覇を達成。2018年に長嶋は新設のボーベル・スポーツ賞を受賞する。スクープした報知新聞は新聞協会賞を受章するというオチまでついている。ユーモアあふれる記事となっている。
2012年に『佐藤栄作日記』第4巻を少し読んで食事を終えて、テレビを見ていたら山崎豊子原作『運命の人』をドラマをやっていた。沖縄返還時の密約をすっぱ抜いた毎日新聞の西山記者の物語だ。モックン演じる弓成は毎朝新聞の敏腕政治記者として活躍するが、ライバルの読日新聞の山部一雄はのモデルは、読売新聞の渡辺恒雄ではないかと調べたら、やはりそうだった。
2020年5月4日のテレビBS1。18時「独占告白・渡辺恒雄ー戦後政治はこうして作られた」。渡辺恒雄(94歳)と中曽根康弘(101歳で死去)との関係。どちらも偉いと感じ入った。
2020年8月29日のNHKBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄ー戦後政治はこうしてつくられた 昭和編」。2019年11月22日からのロングインタビュー。前編は2020年4月26日、後編は5月20日放送。その再放送の後編をみた。93歳で現役の主筆。資料整理は自分で行う。そうしないとわからない。
佐高信『タレント文化人200人斬り ブラックリスト完全版』では、「権力に近づくその無原則ぶりは正力から直伝の世渡り法なのか」斬られている。「派閥記者の典型としての悪評もあった」と渡辺自身が述べているとおりの悪評だ。
親友でもあった中曽根康弘総理が揮毫した「墓碑銘」は、「終生一記者を貫く」と書かれている。98歳で亡くなるまで「主筆」という肩書で新聞記事全体に目を光らせていたから、そのとおりの生涯だったということだろう。
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